“日本のエンジニア”はラビリンスに迷い込んでいる
豊田義博
リクルートワークス研究所 特任研究員
ライフシフト・ジャパン 取締役CRO/ライフシフト研究所 所長
“日本のエンジニア”はどこへ行くのだろう。AIが世の中を変えようとし、 DXが各方面へと広がり、リスキリングが潮流となろうとする中で、我が国の「ものづくり」を支えてきた “日本のエンジニア”の未来には、どのようなCX(キャリア・トランスフォーメーション)が待ち受けているのだろう。大手メーカー4社のエンジニア40名へのインタビュー、エンジニア1000人への調査から未来の姿を探る。まずは “日本のエンジニア” の現状を探ることから始めたい。キーワードは「ラビリンス」だ。
折衝過多であるエンジニアの日常
エンジニアの仕事とは?と問われて、どのようなイメージが浮かぶだろうか。彼ら彼女らが働く日々は、どのようになっているのだろうか。ハードウェアエンジニアであれば、メカや回路を組み立てているような光景が、ソフトウェアエンジニアであれば、端末に向かってプログラミングしている光景が頭に浮かぶ方が多いかもしれない。実情をある程度ご存じな方であれば、納期に追われている、遅い時間まで働いている、というイメージも浮かぶだろう。
「40人インタビュー」 では、協働企業4社のエンジニア(元エンジニアを含む)に様々な話を伺ったのだが、その冒頭に、日々どのように働いているかを聞いている。聞き方はこうだ。
「あなたの日常の仕事を、①個人で考えたり、何かを生み出す、創り出している時間 ②会議、打ち合わせなど誰かとコミュニケーションしている時間 ③事務作業などの時間 に大別すると、どのような比率になりますか?」
誰しもが一番大きな比率を与えたのは、②のコミュニケーションの時間であった。同じ部署やプロジェクトのメンバーと、関連部署のメンバーと、協力企業の人々と、顧客と、あるいは会議体への参加、などなど。少ない人でも4割、部門統括、全社横断部署のリーダーといったポジションに就いている方になると、その数字は7割、8割に跳ね上がる。「朝8時頃から夜8時頃までオンラインミーティング」と苦笑交じりに話されていた方もいた。その内容は、構想やアイデアを生み出すディスカッションの場もあるようではあるが、案件を形にしていくために、試行錯誤を重ね、様々な調整、交渉を繰り返しているほうが主であるように思われた。そして、その案件の大半が、各メーカーの製品・サービスに、そして業績に直結するものである。筆者には、折衝に追われている姿がイメージされた。
「“日本のエンジニア”の実態調査」から浮かび上がるラビリンス
こうした仕事の実態を、別の観点から眺めてみよう。「“日本のエンジニア”の実態調査」(※2)では、 “日本のエンジニア” たちに、現在の職場・仕事における状況について尋ねている。結果は以下の通りだ。
図表1 “日本のエンジニア”の職場・仕事の実態
まずは、関わっている案件の内容やその質について、いくつかの回答を見ていこう。
「難題が降り掛かってくる」という設問に「とても当てはまる」と回答した人は29.4%。「当てはまる」と回答した人をあわせる(以下「当てはまる計」)と86.8%。つまり、86.8%の人が、仕事では「難題が降り掛かってくる」のが日常である、と認識している。同様に「未来に向けて、製品やサービスのあり方や方向性を根本的に変えなくてはならない」という設問の「当てはまる計」は76.1%。「生産性を高めることを強く意識させられている」という設問の「当てはまる計」は80.8%。
解決の道筋が見えないような案件が次々と舞い込むのが “日本のエンジニア” の日常のようだ。中には、これまでとは抜本的に異なる製品・サービスの創造を要請されることも珍しくなく、その課題解決、価値創造の効率を高めることをも同時に求められている。
では、その案件の課題解決に向けての体制はどうなのだろうか。この観点でもいくつかの問いかけをしている。回答結果を見ると、「人員が足りない」という設問についての「当てはまる計」は87.4%。「時間に追われている」は82.2%。限られた人員で、時間に追われながら働いている人が多数を占めている。体制は決して十分とはいえないようだ。
エンジニアの人手不足は、転職マーケットの状況にも顕著に表れている。昨今の転職市場では、求人需要が満たされている企業は2割に満たず、需要の充足率が50%を切る企業が半数を占める(※3)のだが、その代表格がエンジニアの求人である。ハードウェアエンジニア、ソフトウェアエンジニアの需要は、ともに常にひっ迫していて、満たされない状況が慢性化している。
就業時間は減少しているようだ。「働き方改革の影響で、労働時間が減っている」という設問に対しての「当てはまる計」は半数程度いる。しかし、仕事は質・量ともに変わっていないようにも思われる。人員が増えていないとすれば、時間に追われる度合いは増す一方だ。
こうした状況に、環境的な悩ましさが追い打ちをかける。 “日本のエンジニア” が働いている場所は、本社オフィスがある都市部から離れた、設計・開発部隊が集結している場所であることが多い。そういう環境で忙しく働くということになると、人との接点は限られる。「週日は、仕事場と自宅を往復するだけで、社外の人との接点はない 」という設問についての「当てはまる計」は77.9%。「仕事で日常的に接するのは、社内の同職種の人に限られている」は73.6%。必然的に、視野狭窄に陥ってしまう。
答えの見えない難題に、少ない人数で時間に追われながら、閉鎖的な環境で取り組み、折衝を重ねている。難題をクリアしても、すぐまた次の難題が降りかかってくる。視野狭窄の度合いは増していく。出口の見えないラビリンスに迷い込んでいるかのような状況が浮かび上がってくる。
CX(キャリア・トランスフォーメーション)のアクセル要因
プロジェクトのPhase1で構築した研究視界図(協働企業4社の人事の方々が提示してくれた実態・課題共有の内容を整理したもの)を重ねてみると、この構図はさらに悩ましさを増す。
図表2ー① 研究視界図(CXアクセル要因)
各社が対峙している社会課題や潮流は大きく3つにまとめられる。1つ目は「モノからコトへ」。モノ(製品・サービス)を提供するのではなく、コト(体験/経験・価値)を提供する、というマーケティング発想を大きく取り入れ、ビジネスを転換していこうという潮流だ。自動車産業が、 MaaS(Mobility as a Service)の発想に基づき、その実現を目指すためにCASE(※4)領域で技術革新を進め、自動車製造業からモビリティサービス提供業へと転換していく、というのがその好例だろう。作り手の視点から、顧客視点へと軸足を変えることが求められる。
2つ目は、カーボンニュートラルへの取り組みだ。この大きな社会潮流への向き合い方は様々な角度、観点があるが、自社の生産活動、供給活動の脱炭素化はもちろんのこと、グリーンテクノロジー領域での事業化を視野に入れる企業も多い。
3つ目は、DXだ。社会潮流や各企業の取り組みについては改めて語る必要もないだろうが、研究開発現場のDXは、メーカーのR&D(研究開発)のプロセスを一大変革することになる。その典型が MI(マテリアルズ・インフォマティクス)だ。研究者の経験に基づき、試行錯誤的に実験やシミュレーションを繰り返す従来の方法から、ディープラーニング等の情報科学を活用して材料開発を行う方法へのパラダイムシフトはすでに始まっている。
この3つの社会潮流は、各メーカーのイノベーションニーズを喚起する。プロダクト・イノベーション、プロセス・イノベーションはもちろんのこと、マーケット・イノベーション、サプライチェーン・イノベーションなど、あらゆるイノベーションの必要性が湧き上がる。
こうしたイノベーションニーズは、人材ニーズの変容をもたらす。これまでの製品やサービスとは全く異なるモノ・コトを生み出せるような経験や専門性を持った人材が待望される。DXを推進していく人材の需要も高まっている。各社は、今社内にはいない、これまで採用したことがないような人材を必要としている。こうした人材ニーズが、転職マーケットにおけるエンジニアひっ迫の大きな要因となっている。
そうした実態を踏まえ、各社はエンジニアに対する新たな人材マネジメントのコンセプトを打ち立て、施策を講じている。これまでの考え方をリセットした新たな採用のあり方を模索したり、社内の配置・異動のあり方を刷新したり、DX人材育成のプラットフォームやコンテンツを創造したり、リスキリングのプログラムを走らせたり、専門職の仕組みを刷新したりしながら、こうしたムーブメントに対応しようとしている。
トランスフォームする動機や機会を得られずにいる “日本のエンジニア”
これが、エンジニアのCX(キャリア・トランスフォーメーション)を推し進めるアクセル要因だが、この構図はさして目新しい内容ではない。人と組織の動向に多少なりとも関心のある人であれば、どこか聞いたことがあるような話ばかりだろう。そして、こうした取り組みがうまく機能している、期待するような変化を生み出しているとはいえない状況にあることも、ご存じのことかと思う。こうしたアクセル要因があってもなお、トランスフォーメーションを前に進ませないブレーキ要因があるのだ。
その起点は、好調な既存事業にある。これまで各企業を支えてきた事業は、衰退しているわけではない。コロナ禍の影響や国際情勢の変化などによって業績の揺らぎがある企業ももちろんあるが、既存事業は今も各社の業績を支えているし、各事業もまた新たなニーズに対応したり、生産性を高めるための工夫をしたり、といったアップデートを繰り返している。つまり、既存事業は、これまでの知識・スキル・経験を持ったエンジニアを、今も、そしてこれからも必要とし続ける。そして、その状況が3年後、5年後にはどのように変容しているのか、大きく減退しているのか、はたまた今以上の需要が生まれているのかは、現時点では判然としない。
個人の視点からこの状況を見てみよう。世の中では大きな社会潮流が生まれ、自身が所属する企業にも変化の兆しは生まれている。しかし、自身に託されているのは既存事業、既存製品、既存顧客への対応である。そこには難題という名の新たなチャレンジもたくさんある。人手はもともと足りないところに、一部の人材が新事業へとシフトされるなどのしわ寄せがきているが、そこで求められるプロセス・イノベーションもまたチャレンジである。つまり、やりがい、手応えのある仕事が目の前にはある。彼ら彼女らは、世にいわれるようなCXの必要性を情報としては受け取りつつも、実際の仕事への対応の中ではさほどには感じていない。既存事業や製品への愛着も、これまで支えてきたというプライドもあるので、変わる意欲があるわけでもない。仕事や日常で日々接しているのは、同じ仕事をしていたり関連する部署などで働いていたりする限られた人たちであり、目に見えるような変化は感じられない。
さらに、これまで既存事業の維持拡大を果たすために最適化されてきた組織体制と、それを支えるキャリアパスは大きくは変わっていない。両利きの経営を目指して、様々な組織人事施策を打ち出しているが、根幹となる組織人事体系は維持されている。大学・大学院時代の専攻を活かしてある製品・サービスの特定部分を担当し、スペシャリストとしての経験を重ね、視野を広げ、やがてはチームや組織を束ねる道に進むか、専門職の道に進むか、というトラディショナルなキャリアパスを、エンジニアの大半はこれまでも歩んできたし、今後もそのような道が用意されていると認識している。
図表2ー② 研究視界図(CXアクセル要因/ブレーキ要因)
かくして、 “日本のエンジニア”は、外界の変化を情報としては受け止めながらも、自社内の閉じた世界に、これまでとさして変わることなく棲み続けている。ラビリンスであることを緩やかに自覚しながらも、トランスフォームする動機や機会を得られずにいる。
これが、私たちがプロジェクトのPhase1で創り上げた研究視界図から見えてくる世界だ。とても悩ましい構図である。この研究視界図というマクロ、メゾなフレームを踏まえて、私たちは、Phase2「40人インタビュー」に臨んだ。そして、ミクロの世界に想定していなかった実態を発見することになる。次回の記事では、その全体像を提示したい。キーワードは、「広げる」と「深める」である。
(※1)【インタビュイーの所属企業】
旭化成、ソニー、トヨタ自動車、日立製作所に所属するエンジニア、元エンジニアへの取材を依頼したが、日立製作所に関しては、プロジェクトの趣旨を鑑み、グループ会社である日立インダストリアルプロダクツに所属する方にインタビューに応じていただいた
【インタビュイーのアウトライン】
◎共通する前提
電気・電子、機械、化学等を専攻し、大学理工系学部を卒業、あるいは大学院理工学研究科を修了し、エンジニアとしてキャリアをスタートした方
①次世代中核人材(30代/33~39歳 各社5名 計20名)
エンジニアとしてのキャリアが軌道に乗り、プロジェクトリーダー、グループマネジャー、新規事情担当などのポジションについている活躍人材
②中核・円熟人材(40代~/44~58歳 各社5名 計20名)
20~30年にわたって基幹事業、中核的な部署等においてエンジニアとしてのキャリアを展開している人材
【インタビュー仕様】
・90分/1人
・オンライン(Teams)
・インタビュアー+サブインタビュアー
【インタビューに向けての事前ワーク】
●「変化の履歴書」の作成
・キャリア曲線ワークシート
・ステージワークシート
・転機ワークシート
「変化の履歴書」の詳細は、以下を参照 : 『マルチサイクル・デザイン読本』 https://www.works-i.com/research/report/item/multicycledesign_2019.pdf
【インタビュースクリプト概要】
①現在の仕事について
②大学卒業までのアウトライン
③ワークシートに基づくヒアリング
④自身の期待役割の変化について
・「広げる」「深める」の受け止め方(ポジティブ/ネガティブ)
・これまでの変化の主体性(自ら望んで/異動などの会社の指示で)
・所属企業・部署・上長が、自身に期待するもの(現在、将来)
⑤自身がかくありたい、というエンジニア像
・テーマ/興味関心
・志向、持ち味、強み
・核となる経験
(※2) “日本のエンジニア”の実態調査 調査対象 : 《メイン対象》大学・大学院にて自然科学系(工学、理学、情報工学、農学等)学部に学び、卒業・修了後、従業員規模500名以上のメーカーへと就職し、正社員として設計、開発などの技術系職種でキャリアをスタートした就業経験5年以上の20~50代 《比較対象》大学・大学院にて社会科学系(経済学、法学、商学、経営学等)学部に学び、卒業・修了後、従業員規模500名以上の民間企業へと就職し、正社員として営業・事務・企画系職種(総合職)でキャリアをスタートした就業経験5年以上の20~50代 調査サンプル : 《メイン対象》1082名 《比較対象》497名 調査時期 : 2023年3月
(※3)リクルート「2023年 転職市場の展望」2023年1月発行
https://www.recruit.co.jp/newsroom/pressrelease/assets/20230105_hr_02.pdf
(※4) Connected(コネクティッド)、Autonomous/Automated(自動化)、Shared(シェアリング)、Electric(電動化)の頭文字をとって作られた造語