第2回 リスキリングとは何か
戦略が変われば人的資源戦略も変わる
前回のコラムでは、DXは企業のビジネスモデルや事業戦略そのものを変化させる活動だと述べた。DXに限らず、企業が環境の変化を受けて大きな戦略転換を迫られることはいままでにもあった。顧客の嗜好の変化、新たな法的枠組みの成立、新技術の台頭、新しい競合の出現など、さまざまな変化に適応して企業が戦略を描き直すときには、その新しい戦略に合わせて組織内の機能を変革したり、新しく必要なリソースを獲得したりする必要があるのは当然だ。
人材というリソースについてもそれは変わらない。戦略を大きく転換させようとするならば、それを実現できるように企業が保有している人的資源のケイパビリティ(能力やスキル)を変えていくことが必要になる。
戦略に合わせてどう人的資源を変えるか
戦略の転換に伴う人的資源のケイパビリティの転換の方法には、以下のようなものがあり得るだろう。
1つ目には、配置転換とOJTを中心とした能力再開発である。これは日本企業が従来好んで活用してきた手法である。たとえば、ある事業部門が閉鎖になっても、その現場にいた人々を別の事業部門や別の生産拠点に配置転換させ、仕事の内容がまったく違うとしても、1~3年といった長い時間をかけて、新しい部署や部門で必要なスキルを習得してもらうというのが典型的な方法である。
従業員の雇用保障を重視する多くの日本企業では、大きな戦略転換に際しても、このようにして時間をかけて人的資源のケイパビリティを塗り替えていくことを選択することになる。
2つ目は、1つ目とは対照的な方法で、不要となるスキルや能力しか持たない人材を外部に放出し、必要とされるスキルや能力を持つ人材を外部から新たに採用することだ。日本企業ではリストラによるケイパビリティの入れ替えは忌避される傾向が強いが、レイオフなどのリストラと新しい人材の採用の組み合わせは、古典的な人材戦略であるといえる。
人的資源戦略としてのアク・ハイヤーや分社化
3つ目に、2つ目の変形版ともいえるが、近年目立ってきた手法で、「アク・ハイヤー」と呼ばれる、人材獲得を主たる目的としたM&Aという方法がある。たとえば、デジタル系の技術者が多く在籍するIT系ベンチャー企業を、モノづくりのプロセスをデジタル化したい伝統的メーカーが買収するようなことがこれに当たる。
一人ひとりを中途採用するよりも短期間に大量の欲しい人材を獲得できる可能性がある。ただし、組織風土が合わないなどの理由から、獲得したかった人材群が短期間で大量に辞めてしまうなど、失敗に終わるケースもあるだろう。
4つ目には、間接部門のシェアードサービス会社化や営業やサービスの部隊を別会社に移籍させる、といった「分社化」が人材戦略の一環として行われることがある。分社化すれば、新会社では本体とは異なる人事制度や報酬水準を定めることや、従業員に新会社の機能に特化したキャリアに専心してもらうこと、特定の職務に適しているかどうかだけを焦点にした採用などが可能になる。また、本体を新しい戦略に合致する最小限の人材だけで固めることができる点もメリットになり得る。
ここに挙げたような手法を駆使して、企業はこれまでも、戦略の転換を可能にするように人的資源のケイパビリティの組み替え(入れ替えることも、その中身を変容させることも含まれる)を実行してきたのである。
DX時代の人的資源戦略=リスキリングとは
現代のDXという現象は、先に述べたとおり、多くの企業にとってビジネスモデルや事業戦略が大きく転換する事態にほかならない。したがって、企業は、DX 戦略を構築すると同時に、人的資源のケイパビリティを変更する戦略を速やかに打ち出す必要がある。
では、DX 時代に必要なのはどんな人材だろうか。
まず挙がるのは、事業の各プロセスをデジタルなシステムに置き換えられるエンジニアや、顧客、市場、製品などの情報データを解析して戦略に反映できるデータアナリストなどの専門人材だ。彼らにはAIなどコンピュータサイエンスの高度なスキルが求められる。また、次に挙げられるのは、既存の事業やこれから手掛ける事業にいかに“デジタル”を組み込むかを企画し、付加価値向上のシナリオを描ける人材だ。彼らはデジタルとビジネスの両方を理解している必要がある。しかし、こうした人材を揃えただけでは、DX戦略の成功は覚束ないはずだ。
すべての場面で求められるデジタルで価値創造する人材
DXとは、業務遂行の手段をデジタル化し、効率性を上げることだけを指しているのではない。企業の価値創出の仕方、すなわち「どこで」「どのような」価値を生むか、といった企業の事業構造の土台の変革までが含まれている。
たとえば、2020年には新型コロナウイルス感染症の大流行で、多くのモノやサービスの提供が“非対面”で行われることになり、WEBやクラウドを通じたビジネスが一気に加速した。これも一種のDXだが、このときに必要なのは、ネット上で売買の仕組みを作ることだけではもちろんない。ネット上での集客のための検索エンジン最適化施策、顧客の動線を決めるWEBデザイン、顧客のもとに出かけることなしに商品やサービスをアピールするための営業手法、注文発生後に自動的に商品のデリバリーを開始できるプロセスの構築、アフターサービスやフォローを受け付ける窓口の設置、発生し得るデジタル・非デジタルなトラブルに対処するための部隊の確保……。
本格的なDX が進むということは、このようにビジネスプロセスのすべて、バリューチェーンのすべての場面で、これまでとは異なるスキルや能力が必要になるということだ。事業戦略を描く人や基幹システムを構築する人だけをデジタル人材に置き換えればいい、ということではまったくないのだ。
リスキリングなくしてDXの成功なし
バリューチェーンの各プロセスにいるすべての人が「デジタルで価値を創造する」ための新しいスキルを獲得する必要がある。これを可能にする人的資源戦略を打ち出せなければ、どのようなDX戦略も実現には至らず、絵に描いた餅で終わってしまうだろう。
デジタル技術の力を使いながら価値を創造することができるように、多くの従業員の能力やスキルを再開発すること、つまり、従業員のリスキリングが、DXの実現には欠かせない。デジタルスキルがない人を解雇して外部からデジタル人材を好きなだけ採用するということが多くの企業にとって現実的でない以上、このリスキリングこそが、DX 時代の新たな人的資源戦略になるのは間違いない。
リスキリングは生き残りのための重要戦略
たとえば、従来は人が作業をしていた製造工程でロボットが導入されたとする。その場合、手でモノを組み立てたり溶接したりする、という仕事はなくなるが、今後はロボットを操縦したり、ロボットのシステムにエラーがあったときにそれを修正したりする仕事が生まれる。
製造ラインの最前線に立っていた人は、そのような新しいスキルを身につければ、引き続きその企業における価値創造に参加することができる。これがリスキリングの意味するところである。
企業がDX 時代を生き抜くための新たな価値創出手法を、なるべく多くの従業員に獲得してもらうこと、これなくしてDX戦略の成功はあり得ないし、逆にデジタルやAI が人々の雇用を奪うという事態を抑止することもできない。
リスキリングは、DX時代に、企業と個人の双方が生き残るための重要戦略なのだ。
リスキリングとアップスキリング
リスキリングと並んで使われる言葉に、アップスキリングがある。英語では、能力開発の領域でどちらも一般的な用語だが、DX が進むなか新たな意味を持つようになった。たとえば、製造ラインの労働者がソフトウェアエンジニアになるのは、リスキリングである。一方、経理担当者が経理マネジャーになる、あるいは財務分析のためにITツールを学ぶ、といったことはアップスキリングであるといえる。
ただし、同じ職種でも、たとえば訪問営業の担当者がWEBとクラウドだけで営業ができるようになるというようなケースは、リスキリングともアップスキリングとも表現されることがある。その意味では両者の境界線には
まだ揺れがあるともいえるだろう。同職種でも創出される価値がデジタライゼーションによって変化するときは、リスキリングであると考える。
DXでは、リスキリングとアップスキリングが同時に必要となるだろう。ただ、現職の延長線上で行うアップスキリングと異なり、リスキリングは、まだ存在しない仕事に向けて、教えられる上位者がいないなかで実行しなければならない可能性がある。OJTを超えたプラットフォームの整備が必要だ。
本記事は「リスキリング ~デジタル時代の人材戦略~」6-9ページから作成しています。