多様化する米国企業の福利厚生 キーワードは気候変動
未来の働き方9つのトレンド
2024年1月、ITアドバイザリー企業のGartnerが未来の働き方の9つのトレンドを発表した 。9つのトレンドとは、以下である。
- 企業は、労働コストに対処する新たな福利厚生を提供するようになる(コロナ禍でリモートワークが普及し、出勤すること自体をコストだと考える従業員が増えたため、より進んだ福利厚生が期待される)。
- AIは就業機会を減少させるのではなく創出する(短・中期的には生成AIが就業機会を減少させることはなく、再設計を促す)。
- 急進的だった週4日勤務(週休3日制)が日常になる(多くの求職者が求めているのは週4日勤務で同じ給与)。
- 従業員間の対立の解決は、マネジャーにとって必須のスキルとなる(従業員間の対立に対処できるマネジャーは、企業に大きな利益をもたらす)。
- 生成AIの実験で成果を得るには、大きなコストと痛みを伴う(生成AIへの期待は過度に高まったが、企業は期待とリスクを管理する必要がある)。
- 「紙の天井」が崩れ、学位要件よりスキル要件が重要になる(大企業の中にはすでに学位要件を撤廃しているところもあり、スキルベース採用の導入が増えている)。
- 気候変動対策が新たな福利厚生になる(気候変動が世界中の企業に影響を与えていることがあきらかになり、気候変動対策が重要なEVP<Employee Value Proposition、従業員への価値提案 >になりつつある)。
- DEI(Diversity, Equity & Inclusion)はなくなるのではなく、「働き方」の中に埋め込まれる(DEIは「働き方」として共有されるようになる)。
- キャリアパスに対する従来の固定観念は、労働力の変化を受けて崩壊する(高齢の労働者の増加、コンティンジェント労働力の増加、ミッドキャリアの転職の増加などによって伝統的なキャリアパスは崩壊しつつある)。
近年、米国企業は深刻な人材不足を経験し、優秀な人材を確保するために、バラエティに富んだ福利厚生や働き方を提供するところが増えた。リモートワークや週休3日制といった柔軟な働き方に対応するもの、サバティカル休暇や専門的能力開発ファンドといった従業員の自己啓発を促進するもの、そして、フィットネス手当やメンタルヘルスサポートなど従業員のウエルビーイングに関するものまで、多種多様な福利厚生がある。
9つのトレンドの中で注目したいのは7番目の「気候変動対策が新たな福利厚生になる」である。この点についてもう少し詳しく探ってみる。
急速な温暖化がもたらす世界的な異常気象と自然災害
日本と同様に、米国でも多くの地域で猛暑の強度が増し、その期間が長くなっている。大雨、干ばつ、洪水、山火事、ハリケーンなど自然災害の発生も頻繁かつ深刻になり、あらゆるところで連鎖的な影響が出ている。
当然のことながら、それらは個人や企業に深刻なダメージを与えることも少なくない。コンサルティング会社Mercerが2024年に行った調査 によると、回答企業の6割は「自社の従業員が過去2年以内に異常気象や自然災害による被害に遭った」と回答し、3割以上が「自社の事業運営に影響を受けた」と回答している。洪水や竜巻などの劇的な事象に加えて、気候条件の変化は微妙な方法で健康に影響を与えている。気温の上昇は全世界で確認されているが、それによって熱中症と診断される人の数が増えていることがその一例である。
気候変動対策が従業員に安心をもたらす
企業は事前に計画を立て、気候変動対策をEVPに組み込むことで、業務の混乱を最小限に留め、従業員に安心感を提供できる。具体的には、自然災害発生時における避難用シェルター、電力などのエネルギー、食糧の提供計画や、被害を受けた従業員に対する特別休暇や特別手当の付与、短期宿泊施設の提供や引越しの援助などが考えられる。
では、どの程度の企業が気候変動対策を備えているのか。前述のMercerの調査によると、回答企業の約半数(53%)が、異常気象や自然災害に備えて何らかの対策やプログラムをすでに実施しているか、2025年に実施する予定を立てている。これらのプログラムには、災害後の従業員を支援するためのポリシー、および異常気象時に労働者の安全と健康を保護するためのガイドライン、さらには、従業員の脆弱性評価の実施や気候不安(エコ不安)に対するメンタルヘルスサポートなどが含まれる。企業が異常気象や自然災害に備えて従業員のために行動することで、信頼関係が高まると期待される。
気候変動対策とグリーン特典
企業の気候変動対策は、異常気象や自然災害への準備や対応だけではない。最近の傾向として、「グリーン特典(Green Perks)」を福利厚生パッケージに組み入れる企業が増えている。「グリーン特典」とは、環境保護という観点から気候変動対策に取り組み、サステナビリティ文化を企業に根付かせるとともに、従業員のエコフレンドリーなライフスタイルを促進する取り組みのことをいう。たとえば、車でオフィスに通勤する従業員に対して、電気自動車の購入やリースの補助をするプランや、英国政府が進めているようなCO2排出削減のための自転車通勤(Cycle to Work)を補助するプラン4などがある。
大手小売りチェーンWalmartのケースを紹介したい 。アーカンソー州ベントンビルにある同社本部では、2022年に従業員の通勤について新たなポリシーを導入した。まず、本部に職場モビリティ担当部長という役職を新設した。この役職のミッションの1つは、本部に勤める従業員約1万5,000人の10%の通勤手段を、単独でのマイカー通勤以外にするというものだった。つまり、公共交通機関を使う、マイカーの場合は2人以上の乗り合わせにする、あるいは徒歩や自転車を使っての通勤にするというのである。目標達成のために、同社は自転車の業界団体であるPeopleForBikesと提携して、全従業員用の駐輪場やシャワーとロッカーの設置を行い、インフラを整えた。
Walmartがこのポリシーを導入した目的は、自転車やその他の形態のマイクロモビリティを推進し、環境保護のためにCO2排出量を削減するだけでなく、従業員の健康を促進し、かつ、生産性を向上し、地域の渋滞緩和に貢献するためである。アーカンソー州ベントンビルは「世界のマウンテンバイクの首都」とも呼ばれるほどマウンテンバイクの利用が盛んで、自転車通勤の文化を育むことを目指している地域である。Walmartの目標は、地域の方向性とも一致するものだった。
アーカンソー州ベントンビルのWalmart本部
Walmart以外にも自転車通勤を積極的に推奨している企業は多い。充実した福利厚生を提供する企業として知られる、アパレル会社のPatagoniaでは15年以上前から、マイカーではなく自転車や公共交通機関などを使って通勤する従業員へのインセンティブとして、一往復毎に2ドルを支給するプログラムを導入している。同プログラムを導入した年だけで900人以上の従業員が参加し、50万ポンドものCO2排出量が削減されたという 。
グリーン特典は、環境保護と従業員のウエルネスに実際に貢献するだけでなく、環境に配慮する企業であるというブランディングとアイデンティティを高める効果があり、「一挙両得」のプログラムだといえる。今後、このようなプログラムを導入する企業はますます増えていくに違いない。
ケイコ オカ
2001年大阪大学大学院法学研究科博士課程修了。専門は労働法。同年4月よりリクルートワークス研究所の客員研究員として入所。労働者派遣法の国際比較や欧米諸国の労働市場政策を研究する。