「無給労働」政策に国民が憤慨する理由
労働者に課せられる「無給労働」政策とは
フランスでは11月21日、上院(※1)が2025年の社会保障予算の一環として、財政危機に直面する社会保障を救済するために「無給労働」政策を採択した(※2)。この政策は、高齢者や障害者の自立支援のための資金を確保する目的で、すべての労働者に年間7時間の無給労働を課すというものだ。
この制度により、年間25億ユーロの資金が確保できると見込まれている。上院は以前から祝日の廃止を求めていたが、フランスではすでに20年間、毎年5月に「連帯の日」として、祝日でありながら無給で働く日が存在している。この新しい制度の導入は、労働者にさらなる負担を強いるものであり、多くの人々にとって受け入れがたいものとなるだろう。
フランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、現代の労働政策は「豊かになるにつれ労働時間が減少していく」という歴史的な流れがあるべきだとし、今回の政策は「逆説的」であるとして強く反対している(※3)。
労働者階級と女性層からの強い反発
長期にわたるインフレで購買力が低下し、すでに生活が困難な国民に対して、さらに負担を強いることが予想される。経済紙レゼコーが掲載したモンテーニュ研究所の世論調査(※4)によると、国民の59%が社会保障の財政健全化のための「労働時間の増加」に反対しており、71%がフランスの労働時間は「主要国と同等かそれ以上」と回答している。
国民はこの政策に対して驚きと強い失望感を示している。「インフレですでに大きな打撃を受けているのに、賃上げもないまま労働者にさらに負担を課すのは不公平だ」「これは偽装された搾取の一形態だ。社会保障の赤字は労働者の責任ではない」「政府は革新的な解決策を見つける代わりに、人々に無償で働くよう求めるという安易な方法を取っている。搾取にはうんざりだ!」といった声が上がっている。
特に女性からの反発は強く、その背景には長年にわたる男女間の賃金格差問題がある。2022年のデータによると、同等の労働に対して女性の賃金は男性より13.9%低く、この格差を考慮すると、年間で2カ月弱無給で働いている計算になる(※5)。フェミニスト団体レ・グロリューズによると、それはつまり2024年11月8日16時48分から女性の無給労働がスタートするということである(※6)。
無給労働導入を巡る政府の思惑
年末に差しかかり、フランスは社会情勢が悪化している。ミシュラン(タイヤ)、オーシャン(流通)、アルセロール・ミタル(鉄鋼)、ヴァレオ(自動車部品)などの企業が大規模な人員削減や工場閉鎖を発表しており、政府は11月と12月に相次ぐストライキの要請に直面している。すでにフランス国鉄(SNCF)は賃上げを求めて、クリスマス時期に無期限ストを予告している。2020年の年末年始に発生した大規模な公共交通ストライキが市民生活に与えた壊滅的な影響は、今も記憶に新しい。
政府は、緊張を和らげ、国民の感情を逆撫でしないよう慎重な姿勢を見せているが、労働組合との調整には前向きである。また、経済政策に関するより深い議論を呼びかけ、解決策は単に労働時間を増やすことではなく、富の再分配にあると強調している。
このような状況から、上院は新たに「連帯の日」を設ける代わりに、「年に1日」「週に10分」「1日に2分」など、より柔軟な実施方法を提案している。近日中に上院と下院の議員による合同委員会で議論され、最終的な妥協点を見つけることが求められているが、意見がまとまらない場合、最終的に下院が上院の提案を拒否する可能性も残されている。
平均年齢60歳以上の男性議員が大半を占める上院だが、年金手当などの待遇が非常に手厚いことでも知られている。まずは2カ月間無給で働いていただいて、女性の格差や無給労働というものを体験したうえで政策を提示すれば、きっと国民の感情もやわらぐのにと思うのは、私だけではないはずだ。
(※1)フランスの統治体制
フランスは大統領を元首とした共和制である。直接選挙で選ばれる大統領は、国家の主要方針の策定や外交・安全保障を担う。なお、大統領は内政を担当する首相の任免権を持ち、国民議会(下院)の解散権をも保持するなど権限が強い。議会は元老院(上院)と国民議会(下院)二院制で構成され、直接選挙で選ばれる下院が上院に優越する。
(※2)制度に関するレクスプレスの記事
https://www.lexpress.fr/economie/politique-economique/travailler-sans-etre-paye-7-heures-de-plus-par-an-cette-mesure-choc-votee-par-le-senat-MURICXOZUZA2ROV27ZTSEGZBZE/
(※3)ピケティ氏の発言内容
https://www.francetvinfo.fr/economie/pour-l-economiste-thomas-piketty-les-7-heures-de-travail-par-an-sans-salaire-proposees-par-le-senat-ne-vont-pas-dans-le-sens-de-l-histoire-ou-l-on-travaille-moins-a-mesure-que-l-on-s-enrichit_6911351.html
ピケティ氏のプロフィール:2014年に『21世紀の資本』を出版したフランスの経済学者。現代の資本主義がなぜ格差拡大を加速させるのか、そしてその格差を最小限にとどめるためには、資本主義をどのようにコントロールする必要があるのか。また社会のあり方について国家の役割はどうあるべきかなどを分析し、700ページという大作でありながら40ヶ国語に翻訳され、経済専門書としては異例の世界的大ベストセラーとなった。
(※4)経済紙レゼコーの記事
https://www.lesechos.fr/economie-france/social/sondage-exclusif-les-francais-hostiles-a-une-hausse-du-temps-de-travail-pour-financer-le-modele-social-2130378
(※5)INSEE(フランス国立統計経済研究所)の男女賃金格差に関する分析
https://www.insee.fr/fr/statistiques/2407703
2022年、女性の給与は男性のそれと比べて、フルタイム換算で13.9%低いという結果が出ている。
(※6)レ・グロリューズのニュースレターより
https://lesglorieuses.fr/8novembre16h48/
田中 美紀
パリ大学経済学部修士課程修了。パリ在の日仏系シンク・タンクに勤務後、2018年より独立。
現在、ビジネスファシリテーター・コンサルタントとして幅広い分野で活躍中。
社会・労働・経済分野におけるリサーチ業も行う。
2022年2月よりリクルートワークス研究所の客員研究員として入所。