新国立建設現場の過労自殺は、パワハラによるもの、か? 豊田義博
「バカか、てめえ」新国立建設で自殺 過酷労働の内情
朝日新聞10月9日付朝刊29面に掲載された記事の見出しである。関係者への取材により、パワハラがあったことが明るみに出た。やはり、という想いと同時に、またミスリードにつながるのではないか、という想いが交錯している。
今年の3月、新国立競技場の建設現場で働いていた若手社員が、過労の末に自殺した。スーパーゼネコンで構成されるジョイントベンチャーの一次下請けの建設会社で、施工管理技士として立ち働いていた新入社員だった。200時間近くに及ぶ残業をしていた実態が判明し、7月20日に遺族が労災を申請したことで世に知られることとなった。2020年東京オリンピックのメインスタジアムの建設現場での出来事であり、国の威信をも大きく揺るがす忌々しき出来事である。
オリンピック人材ニーズ予測が浮かび上がらせた建設業の課題
五輪、ワールドカップなどのメガスポーツイベントは、建設業を中心に大きな雇用を生み出す。私たちリクルートワークス研究所は、2020年東京オリンピックに向けて、81.5万人の人材需要が生まれると試算している。建設業は、うち33.5万人と、全体の4割強を占めている。また、他産業の人材需要がイベント実行前後に集中するのに対し、建設業の需要は4年前の2016年ごろより立ち上がり、2018年にピークを迎えることが推定されている。
図表 産業別人材ニーズ時系列シミュレーション(単位:人)
この試算レポートでは、一方で、この建設業の人材需要を満たすことは難しいと指摘している。震災対応で人材需要が高止まりし、長期的な人手不足に陥っているこの業界だけに、人材調達のあり方、人材育成のあり方などの抜本的な構造改革を進めなくては、人材需要は満たされないと警鐘を鳴らしている。
また、需要が満たせないことも想定し、配置の見直し、業務の見直し、効率性・生産性の向上といった「働き方改革」を推進すべきだとも説いている。そして打ち手がとられない場合には、携わる人材の労働時間の増加、業務範囲の拡大が起きることも予測している。
現在の新国立競技場の建設現場は、着工の大幅遅れも手伝って、まさにそのような状況が顕著に生じている。今回の過労自殺は、こうした社会状況とそれに対する不作為が生み出した悲劇である。3年も前に予測しながら、このような事態が起きてしまったことは慚愧の念に堪えない。
国や都の事務局が本件を視野に入れていなかったわけではない。昨年6月に策定された「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技⼤会の⼤会施設⼯事における安全衛⽣対策の基本⽅針」においては、
「国内外から注⽬される⼤会施設の建設⼯事を、⼤会の⼀つのレガシー(引き継がれていく有益な遺産)として、今後の快適で安全な建設⼯事のモデルとするべく、建設⼯事の発注・設計段階から安全衛⽣対策に取り組み、先進的な対策により建設⼯事の抜本的なリスク低減を図るとともに、⼥性や若者が安全に安⼼して、やりがいを持って働ける建設現場の構築を⽬指す」
と明文化されている。しかし、宣言をしたにもかかわらず、この事態を引き起こしてしまった。その責任は、一次下請け会社に留まるものでは、決してない。
過労自殺の原因を矮小化してはならない
冒頭の記事の話に戻ろう。今回の過労自殺の一因として、長時間労働だけではなく、上司からのパワーハラスメントがあったというのが、記事の主旨である。上司から「バカか、てめえ」と謗られたり、頭を叩かれたりしていたという。
過労死裁判などで多くの実績を残し、今回の労災申請も担当している川人博弁護士によれば、過労自殺の原因は、長時間労働、業務上の精神的なストレス、職場でのハラスメントという3点に集約されるという。川人氏は、すべての案件がそれらの複合によって発生していると説いている。過去の事例を見ると、長時間労働はほぼすべての事件において見られる。納期へのプレッシャーや過度なノルマなどの業務のストレスも多い。そして、意図的に本人を困らせようとするようなハラスメントも確かに散見される。
だが、特に若手社員の過労自殺に絞って、過去の案件を見直してみると、職場でのハラスメントに関しては、留意が必要であることが見えてきた。
多くの現場で起きていたのは、陰湿ないじめや嫌がらせのような行為ではなく、若手社員への無関心、マネジメントの不在であった。
「バカか、てめえ」といった罵詈雑言と同じような心ない言葉を浴びせているケースもあるが、本人の仕事の状況や精神状態に思いを致すことなどまったくない表層的な関与ゆえのものであることが見えてきた。
上司からの心ない言葉は、彼らの精神状態を大きく傷つけるだろう。彼らを、過労自殺の直接の原因であるうつ病などの精神障害へと追い込んでしまうトリガーとなっていることも十分に予測される。そうした言動を、ハラスメントと認定することも頷けはする。しかし、おそらく、そういった言動をとった上司には、いじめや嫌がらせをしたという意識はない。
また、ハラスメントをしないことが解決手段なのではない。暴力的な言葉を振るっていない場合でも、上司から疎外されていると感じているケースは少なからずあった。社会に出て間もない新人・若手を預かり、彼らを一人前の社会人とするために、さまざまな形でコミュニケーションを取り、動機づけていくという、上司にとって当たり前の言動が欠如していることが問題なのだ。
さらに、こうした指摘は、問題をミクロな要因へと捉えなおしてしまう危険性も持つ。「あの上司がパワハラをしたからだ」と、課題を矮小化してしまう。
原因は、仕事の割り振りなどの差配を含めた上司のマネジメントの拙さ、ことの大きさを認識できなかった愚かさにあったであろう。現場の実態を掌握せず、過重労働を放置した一次請会社にも、大きな非があろう。そして、そういった状況が起きることが十分に想定されながら特段の関与をしなかった元請け会社、そして、責任者・委託者として安全衛生対策に取り組むと明言したにもかかわらず、このような事態を引き起こしてしまった国や都にも、大きな非がある。すべてが、当事者として、この悲しい出来事から学び、何かを大きく変える責任がある。
このひとりの死は、とても重たい宿題を、改めて私たちに提示している。
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