三菱ケミカル 取締役・常務執行役員(総務部、広報部、人事部所管) 中田るみ子氏
多様な個人が心地良く働く組織であるために 社員と交わした30の約束
聞き手/大久保幸夫(リクルートワークス研究所 アドバイザー)
大久保 三菱ケミカルでは、経営戦略としてダイバーシティの推進に力を入れてきました。
中田 一口にダイバーシティといっても、私は、性別や国籍のように表に現れる部分に限らず、考え方や経験のように見えない部分の多様性が極めて重要だと考えています。当社は、2017年に三菱化学、三菱樹脂、三菱レイヨンという3社が合併してできた会社。歴史も文化も得意領域も異なる会社が1つになっているため、多様性が高いはずです。にもかかわらず、必ずしも多様性を活かせていないのが課題であり、異なる経験を積んだ一人ひとりが力を発揮できる環境を作ることが急務でした。そのときに気を付けなければいけないのは、女性の活躍を後押しすると言いながら、実質的には男性と同じ働き方をせよ、などというように、既存のやり方に合わせることを求めてはならないということです。
大久保 将来的な人や組織の状態をどのようにイメージしていますか。
中田 開かれた世界に多様な人材が集まって、コラボレーションを図りながら新しいものを生み出していく。就業形態も様々で、一度辞めてまた戻ってくる社員もいるでしょう。そうなると、人事制度にももっとフレキシビリティが求められます。勤続年数にとらわれず、業務に応じた処遇とすることや、自ら手を挙げて主体的にやりたい仕事に取り組める仕組みも必要になります。
大久保 日本型雇用では、労使交渉でも足並み揃えた昇給を求めるなど、多数派の平均値をいかに上げていくかという考え方が基本でした。これに対してジョブ型の処遇、社内公募、再雇用といった現在模索されている人事施策は、多様性を前提としているので、従来の日本の人事管理とは相性が悪いんですね。こうした施策は、発想の原点をダイバーシティに置き換えて初めて実現できるのではないかと思います。
中田 そうですね。社内外から多様な専門人材が参集して、新しいノウハウも取り入れながら何かをつくっていこうとすると、どうしても外に向けての遠心力が働きます。そこでチームを1つにまとめる求心力となるのは、“パーパス”です。何のために集まっているのか、同じミッションを共有できているかが非常に重要だと思います。
「30の宣言」で会社の姿勢を明言する
大久保 御社は、「KAITEKI実現」というビジョンを掲げています。
中田 「KAITEKI」とは、「人、社会、そして地球の心地よさがずっと続いていくこと」。その担い手である従業員自身も快適に働けなければ、このビジョンは実現するはずもありません。その環境を整えるための施策を、「三菱ケミカルは決めました」と題する30の宣言にまとめて、2019年6月に発表しました。
大久保 30の宣言では、「社員が配偶者の転勤に帯同したい場合や介護で親元に戻りたい場合は、積極的なサポートを実施します」「他所で経験を積んで戻ってきてくれる人を歓迎します」など、非常に具体的です。現場の声もかなり聞いたそうですね。
中田 なかには、以前からあった習慣や制度をあらためて明文化したものもあるのです。
例えば、制度化されていたわけではありませんが、転勤の場合は必ず本人の意向を確認した上で実施していましたし、個別に相談してくれれば家庭の事情に伴う異動の希望などにも、できる限り応えてきました。ただし、従業員はそんな対応をしてもらえるとは知らず、相談せずに退職を決めてしまう、ということもあったのです。当社のコミュニケーションの姿勢として、一度制度の内容を説明したからには、社員が理解していて当然、と考えてしまっていたのですね。今回、宣言の形で具体的に表現することで、会社が従業員に何を提供したいと考えているのか、あらためて伝えることができたのではないかと感じています。
ジョブ型や公募制など人事制度も刷新
大久保 この宣言を受ける形で、2020年10月には人事制度の大幅刷新を図りましたね。
中田 もともと職務等級制度はあったのですが、これを機に管理職についてはジョブディスクリプションを作って、職務内容に応じたジョブ型の処遇に変えました。一般社員については、社内公募に本人が手を挙げて異動できるようにし、また、本人の同意なくして転居を伴う異動はさせないことをきちんと制度化しました。管理職は会社都合の転勤もあり得ますが、勤務地継続の希望を出せる仕組みにしました。
大久保 私自身も、本人の同意のない転勤はするべきではないとずっと主張してきたのですが、頭では理解しても、いざやろうとするとなかなか難しいという話を人事の人々からよく聞きます。人事権を手放すのは勇気がいりますから。
中田 その点で、現場からいちばん不安の声が上がったのが公募制でしたね。特に地方の工場などでは、社員がいなくなってしまうのではないかという危機感が強かったようです。半年以上議論を重ねて、ようやく納得してもらえました。
大久保 公募制に不安を覚え、懸念を表明する現場は少なくないと思います。どのように納得してもらったのですか。
中田 何度も話し合いを重ね、異動の時期を遅らせるなどの対応をした結果、「人気を高める努力をしよう」と言ってくれるようになりました。裏返せば、自分たちがいい人材を獲得するチャンスでもあるのです。公募でふさわしい人が見つからなければ、会社都合での異動もあります。外から採用する、あるいはその地で働きたいという地域採用を増やすという手もあると思います。
改革実現のポイントは 全体をセットで考えること
大久保 上司部下間で、日頃から信頼関係が築けているかどうかも大事なポイントです。
中田 管理職には、1on1を組み合わせて、個々のメンバーと本人のキャリアについて定期的に話すよう伝えています。上司の頭には一人ひとりの部下について、「ここで3年経験を積んで、この能力がついたら、こんな経験をさせて」という育成のイメージがあっても、往々にして本人には伝えていないものです。人事である以上、約束ができないことは軽々に言えないとはいえ、言葉にしなければ若い人にはわからない。上司にキャリアを相談したら「とりあえず10年頑張れ」と言われて若手が落胆したという話を聞きますが、50代にとっての10年と20代にとっての10年は重みが違う。日頃から1on1でコミュニケーションをとっていれば、ニーズのミスマッチが生じても早めに手を打つことができるでしょう。
人事制度は一つひとつの単体で変えていくことは難しい。大切なのは異動だけでなく、育成、コミュニケーション、処遇、報酬など全体をパッケージとして考えていくことです。
大久保 職務等級制度のもと、公募制を活用して主体的なキャリア形成を支援する。管理職になってからはジョブディスクリプションに対応した報酬制度のもとでプロとして働く。その連動性が重要で、セットで進めていくことによって改革実現に大きく近づくように思います。
三菱ケミカル 取締役・常務執行役員(総務部、広報部、人事部所管) 中田るみ子氏
慶應義塾大学卒業後、エッソ石油入社。2000年ファイザー人事企画担当マネジャー。取締役執行役員人事・総務部門長を務めたのち、2018年、ダイバーシティ推進担当執行役員として三菱ケミカルへ。2020年取締役に就任。
text=瀬戸友子 photo=刑部友康