Global View From USA

第9回 過剰に感情の表明求める日本 変化の激しい社会に対応できるのか

2024年08月23日

会見風景日本では企業の不祥事の際、経営者が深々と頭を下げるシーンはお馴染みだ。写真は紅麹サプリで健康被害を発生させた小林製薬の会見。
Photo=時事

この原稿を書いている現在、約4カ月の日本滞在の2カ月目に突入している。日本に滞在する際に、必ず毎回学びや新たな発見もあれば、カルチャーショックもある。今回特に実感するのが「感情労働」の社会的重要性、そして理不尽さだ。

国ごとのコミュニケーションスタイルの話をする際に、アメリカは「ローコンテクスト文化」、日本は「ハイコンテクスト文化」であることの違いが必ず話題に上がる。アメリカははっきりと言葉を通して明晰に対話をする文化、日本は言葉そのものではなくボディラングエージや声のトーンなどが重視される文化だといわれている。私は生まれも育ちもアメリカで、日本語は第二言語であるため、なんでも「言葉ではっきり説明」してもらえないと、どうしても「日本人ならわかって当たり前」ということが察しづらい。

この文化の違いは仕事の場面でも頻繁に感じる。たとえば、日本人がアメリカ人の仕事のミーティングに参加したら、基本的にとても「ドライ」な会話で終わるため、「アメリカ人はフレンドリー」というイメージを裏切られるだろう。とりあえずチームとしての目標が達成できればよくて、それに付随する「やる気」や「思い入れ」ないのか」などと、「結果」とは異なる精神面などを統制されがちだ。企業の社長や有名人の謝罪会見での「土下座会見」なども同様に、問題の根本を解決することよりも、「感情の表明」が優先されがちだ。

決してこれは「アメリカがよい」という話ではない。「感情」を優先していては成し遂げられることも、見られる景色も狭められてしまい、高スピードで変わりゆく社会に組織も個人も追いついていないのではないか、という問題提起だ。

セクハラやパワハラの告発に対する「でもあの人は頑張ってるから」、というエクスキューズにも共通する課題だ。同時に、今社会問題化しているカスタマーハラスメント(カスハラ)の背景にも、この問題が潜んでいる。低賃金で働いている人に対して非常に高いクオリティの「感情労働」を求めることも、今後は持続可能でなくなる可能性が高い。社会全体が精神的に燃え尽きてしまう前に、この文化的慣習のよい面を評価しつつも、悪い面を現実的に見据える必要があるのではないだろうか。

Text=竹田ダニエル

プロフィール

竹田ダニエル氏

Takeda Daniel
カリフォルニア大学バークレー校在学中。AI倫理教育研究員。1997年生まれ。カリフォルニア州出身、在住。著書に『世界と私のA to Z』『# Z世代的価値観』。

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