Global View From USA

第10回 間違いを指摘したがらない日本 指摘できるのは大切な能力だ

2024年10月17日

モニターを見て打ち合わせをする写真違う意見や指摘を「批判」と捉えないことが大切だ。
Photo=apjt/amanaimages

日本の会社や個人と仕事をするときに、頻繁に直面するのが、「問題や間違いを誰も指摘したがらない」という問題だ。特に、よりはっきりとストレートに会話をし、仕事を進めるような文化圏の人と日本人の間に立たされる場合に、この傾向は目立つ。

たとえばギリギリになって問題があることをようやく打ち明けたり、問題を指摘した人を悪者扱いしたりと、とても非効率的かつ非合理的な仕事の現場を頻繁に目にする。

これは対立を回避する傾向にあるような(nonconfrontationalな)日本の文化に由来するものでもあるが、問題に気づき、指摘した人がすべての責任を背負わされてしまいがちな仕事の「当たり前」や「常識」にも原因があるように感じる。

背景にはディスカッションにおける「建設的な議論」が「個人攻撃」と受け取られてしまうこともある、日本的なコミュニケーションの根底にある風潮もあるのではないだろうか。

ほとんどの場合、仕事はあくまでも仕事であり、個人の人格やパーソナルな側面とは離して批評的・無機質的にその良し悪しを考えなければならない。しかし、仕事やプロジェクトなど、「成果物」へのフィードバックが個人の感情と結びついてしまうと、衝突を避けるためにもできるだけ「ネガティブ」に捉えられかねない要素を排除しよう、という発想に至ってしまう。

さらに問題を指摘しなければ、つまり「大人しくしていれば」自分の仕事が増えない、という会社や組織の働き方の前提にも疑問を抱く。何かしらのプロジェクトを成功させるというゴールをチーム全体が共有しているはずだ。そしてそのプロジェクトを進める過程において「問題」が発覚すれば、何かを修正したり、ストッしたりする必要性が出てくる。にもかかわらず、問題を提起した人が「問題を起こす悪者」のような扱いを受けてしまうような理不尽な経験は自分も何度もあるし、その経験を重ねるほど、問題を指摘することは厄介な人がやることだ、という印象も刷り込まれてしまうだろう。

欠陥や不足に気がつくことは、どんな仕事の現場においても大切なスキルであり能力だ。問題を改善することがゴールなのであって、問題を覆い隠して「何事もないかのように見せること」が本来の「良い仕事」の姿ではないはずだ。感情や個人的な思い入れなどを一度捨てることで、リスクマネジメントやハプニングの対応はやりやすくなるだろう。

Text=竹田ダニエル

プロフィール

竹田ダニエル氏

Takeda Daniel
カリフォルニア大学バークレー校在学中。AI倫理教育研究員。1997年生まれ。カリフォルニア州出身、在住。著書に『世界と私のA to Z』『# Z世代的価値観』。

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