人事は映画が教えてくれる
『13デイズ』に学ぶ巨大組織における意思決定のリアル
キューバ危機において核戦争を回避した米国の意思決定は偶然の産物にすぎなかった
【あらすじ】
1962年10月14日に離陸した米軍の偵察機が、キューバ国内に建設中の核ミサイル基地を発見し、16日にその内容がホワイトハウスに報告された。米国政府は緊急に国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)を招集。この日から人類が核戦争に最も近付いた13日間のキューバ危機が始まった。大統領のジョン・F・ケネディ(ブルース・グリーンウッド)、司法長官ロバート・ケネディ(スティーヴン・カルプ)らは、緊迫した状況のなか、究極の意思決定を迫られる。
『13デイズ』は、1962年のキューバ危機における、米国政府の混乱と薄氷を踏むような意思決定のプロセスを描いた映画です。私の最初の単著である『企業危機の法則 リスク・ナレッジマネジメントのすすめ』は、この映画を素材としており、個人的にも思い入れのある作品です。
まさにこの記事の制作時、現実の世界では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まりました。この戦争の裏側で何が起きているかを考察するうえでも、今、『13デイズ』および歴史的事実としてのキューバ危機を通して、巨大組織における意思決定のメカニズムについて学ぶことの意義は小さくありません。
米国の政治学者グレアム・アリソンの『決定の本質』は、キューバ危機における米国政府の意思決定を分析した名著です。この本のなかで、アリソンは以下の3つのフレームワークを用いています。
1つ目が合理的アクターモデル。簡単に言えば、優秀な人たちが合理的な判断をした結果、危機を回避することができたという理論です。
2つ目が組織行動モデル。政府のような巨大組織は、ことによっては相矛盾する規則や手続きが複雑に絡み合って成り立っており、時にはリーダーも関与できないところで、規則・手続きに従ってことが進んでしまうという理論です。
映画でも、緊張の最中、米国がソ連を挑発しかねない核実験を実行し、ジョン・F・ケネディ(ブルース・グリーンウッド)らが激怒するシーンがありますが、あれはまさに組織行動モデルで説明できる事態です。
3つ目が政府内政治モデル。これは、政治家同士の駆け引きや足の引っ張り合い、権力を失う恐怖などのバランスによって政府としての意思決定が行われるという理論です。
当時のケネディは、前年のピッグス湾事件での失敗で「軍事作戦に関しては指導力がない」と評されており、ここで弱腰なところを見せれば権力を失いかねない立場にありました。一方、軍部は、自らの存在意義を示すために空爆による先制攻撃を主張します。また、ケネディは、この後に控える中間選挙も意識する必要がありました。米国政府の当時の意思決定は、これらの要素が複雑に絡み合った結果だったということです。
私は、この政府内政治モデルが米国政府の実態を最も的確に説明するものだと考えます。これに組織行動モデルを加えることで、米国の意思決定の全体像をとらえることができるでしょう。逆に言えば、合理的アクターモデルでは一連の政府の動きを説明できません。つまり、このとき人類が核戦争の危機を回避できたのは、決して合理的な判断の結果ではなく、いくつもの偶然が重なった結果にすぎないということです。
ただ、ケネディは、最悪の事態をイメージできていました。そこが軍部との違いです。軍部は米国が先制攻撃した場合のソ連の反応について、「核戦争の恐怖から何もできない」と主張します。ところが、米国が攻撃を受けた場合には「報復する」と断言するのです。イマジネーション不足が、この明らかな矛盾をもたらしています。イメージできないものはマネージできない。私は常々そう言っています。ケネディ、そして恐らくフルシチョフにも、最悪の事態に対するイマジネーションがあったからこそ、核戦争の危機が回避できたということはできます。しかし、この合理的結論に至るまでに、事態は二転三転し、核戦争一歩手前まで行ってしまったことも事実です。
恐怖、不安、疑心暗鬼といった負の感情は意思決定を大きく歪めます。キューバ危機もウクライナ侵攻も、共にロシア(ソ連)側の恐怖と疑心暗鬼が発端です。軍事侵攻は決して正当化できませんが、同時に、ロシアをそこまで追い詰めたものは何かを認識する必要もあります。相手の心の内に対してもイマジネーションを働かせる必要があるのです。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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