人事は映画が教えてくれる
『フォード vs フェラーリ』に学ぶ衰退する組織に共通の法則
それぞれが保身に走り、 忖度の連鎖が起きている組織に未来はない
【あらすじ】実話に基づく作品。フォード・モーターはル・マン24時間レースに進出すべく、フェラーリの買収を画策するが失敗。会長のヘンリー・フォード2世(トレイシー・レッツ)は激怒し、打倒フェラーリを目標に掲げる。フォードは、かつての名レーサーのキャロル・シェルビー(マット・デイモン)にマシン開発を依頼。シェルビーは偏屈な性格だが凄腕のケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)をドライバーに選び、プロジェクトは動き始めるが……。
『フォードvsフェラーリ』は、1960年代、ル・マン24時間レースにおいてフェラーリと苛烈な競争を繰り広げたフォード・モーターの内部事情を描いた映画です。
結果としてフォードは勝つわけですが、決して勝利のために組織が一丸になっていたわけではありません。
フェラーリを上回る速さをもつマシン「フォードGT40」を開発し、レーシングチームの中核を担ったのは、かつての名ドライバーであるカーデザイナーのキャロル・シェルビー(マット・デイモン)と、40代半ばの腕利きドライバー、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)。彼らはフェラーリに勝つためにフォードに雇われたわけですが、身内であるフォードからこれでもかというくらい邪魔をされます。
彼らを迫害するのは副社長のレオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)。彼は、勝利という目的のために忖度なしで自己主張をする異分子のシェルビーとマイルズを嫌います。一度は理不尽な理由でマイルズをドライバーの座から引きずり下ろし、挙げ句の果てには、レース中、フォードの横並び1・2・3フィニッシュを演出するため、ぶっちぎりで先頭を走っていたマイルズにスピードを落とすよう命じます。「それがミスターフォードのご希望だ」と。結果としてマイルズは優勝すら奪われます。
権力志向の人間は徹底して権力におもねります。そして、上に忖度し、下された命令を5倍ほどにも膨らませて下に伝える。それが出世につながると信じているからです。現場は戸惑いながらわけのわからない命令に従う。ビーブのような腰巾着に囲まれているトップは裸の王様になってしまいます。このような組織は、上意下達が徹底され、統率されているように見えますが、イノベーションが起こらず、確実に衰退します。
マイルズはシェルビーに向かってフォードの体質をこう喝破します。
「おまえと肩を組んで写真を撮っていた奴らが、オフィスに戻るとおまえのあら探しをして上司に報告だ。ごますりが奴らの習性だからだ。ヒラは課長に、課長は部長に、部長は役員に。そんな自分に内心うんざりしているが、それよりももっと憎い相手がいる。おまえのような人間だ」
このような組織の腐敗を描いた日本映画に『日本のいちばん長い日』(原田眞人監督)があります。第二次世界大戦の終戦を決断するまでの日本の中枢を題材にしたこの作品では、陸軍参謀本部の幹部たちの醜悪な姿が描写されます。「勝つ」以外の選択肢が許されない彼らは、ひたすら空しい図上演習を繰り返し、「2000万人が玉砕すれば日本は勝てる」と戦場の兵士や国民のことなど考えもしないで勝手なことを口走ります。彼らを動かしているのは自分の小さなプライドです。フォードと同じことが起きていたのです。
一人ひとりが自らの保身ばかりを考える組織は、フォードや日本陸軍と同様の事態に陥ります。解決策としてはダイバーシティを推し進めて異質な人材を包摂する、あるいは組織の外に本体とはまったく違うルールで動く出島を作るといった方法を挙げることはできるでしょう。しかし、このような組織の腐敗を根本から変えることは、私は不可能だと考えます。解決策がわかっていて、解決のための制度を作っても本質は頑として変わらない。だからこそこの問題は深刻なのです。
組織全体が変わらないのであれば、一人ひとりがこの負の構造に自覚的になり、できるだけ過ちを犯さないように自分を律するしかありません。
最後にみなさんに1つ質問をしましょう。「愛、自由、お金、真実、正義、秩序、変化、挑戦、成長、安全」、これらの言葉を自分が大切だと考えている順に並べてみてください。私はビーブなら、正義や秩序を重んじる気がします。では、シェルビーやマイルズならどう答えるでしょうか。そして、あなたは──。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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