人事は映画が教えてくれる
『わたしは、ダニエル・ブレイク』に見る官僚制の逆機能が生み出す不幸
ルール遵守が目的化したとき
組織は機能不全に陥り、生産性は低下していく
【あらすじ】英国ニューカッスルに暮らす59歳の大工、ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は、心臓の病気で医師に仕事を止められる。そこで、国の支援を受けるために役所を訪れたが、後日、点数不足で支援対象外という通知が届く。ダニエルは不服申し立てをすると同時に求職者手当の申請をするが、いずれも役人の官僚主義的対応で事が前に進まない。そんななか、役所で同じような理不尽に苦しめられていたシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)と出会い、交流を深めていく。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』は英国のニューカッスルを舞台に、役人の官僚主義が市井の人々を苦しめる様子を描いた映画です。
心臓の病気で医師から仕事を止められている年配の大工のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は、当然の権利としての援助を受けるため役所と交渉します。
病気で就労できないことに対する支援手当は審査の結果、点数が足りずに受けられない。ならば、求職者手当を申請しろと言われ、申請に行くと求職活動の実績が必要だと言われる。医師に仕事を止められているのにです。あげくに履歴書の書き方講座を受講しろ、拒めば処罰の対象になる……、すべてがこの調子です。
ダニエルが何に困って何を求めているかは少し話を聞けば誰にでもわかります。しかし、役人のほとんどは規則に則って自分の仕事をするだけ。生活の術を失おうとしているダニエルに寄り添おうとはしません。
問題なのは、役人たちに決して悪意があるわけではないというところです。彼らは彼らなりに正しいと信じて行動している。その結果、困っている人が目の前にいて、助ける制度もあるのに助けることができないという理不尽が起こる。典型的な官僚主義の弊害といえるでしょう。
官僚制組織を最初に明確に提示したのはマックス・ウェーバーでした。
その特徴は、要約すれば、組織、個人が守るべき公式的な規則があり、一人ひとりの命令と責任の範囲が明確に限定された組織で、そのなかでは職務遂行において情緒的判断は排除されるというものです。
ウェーバーは当時の教会組織の属人的施策による不公平を改善しようという目的をもって、これを提唱しました。組織を論理的・理性的にとらえ、組織というものの理想形を構築しようとしたのです。
しかし、一見完璧に思えた官僚制組織は構造的な問題を抱えていました。米国の社会学者ロバート・キング・マートンは官僚制には逆機能があることを指摘しています。
規則を遵守するために他のことができなくなる、決められた以上のことをやろうとしない、規則の遵守が目的化し、顧客の不満足には頓着せず、革新は阻害されるといった問題が必然的に起こり、組織の生産性を低下させてしまうというのです。
この映画の役人たちもまさにこれらの“逆機能”を体現しています。なかでも痛烈に感じるのは、マートンの指摘する「目的置換」です。困っている人を救うという本来の目的が忘れ去られ、ルールを守ることが目的化してしまっている。これはルールが存在する組織すべてに起こり得ることです。
私はルールそのものを否定しているわけではありません。しかし、少し融通をきかせることができれば解決できる問題はいくらでもあります。この映画でも、1人だけ決められた仕事の範疇を超えてダニエルの力になろうとした役人が登場します。私たちは「それでいいんだよ。ちょっと助けてあげればダニエルはこれ以上無駄骨を折らずに済むのだから」と感じますが、彼女は上司にルール違反を厳しく叱責されてしまいます。
一方で、この映画には救いも描かれています。それは「共助」です。ダニエルは、同じく役所に苦しめられていたシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)やその子どもたちと交流し、温かく助け合います。「公序」が機能不全を起こし、「自助」だけでは立ち行かなくなったとき、このような「共助」こそが大切な支えになるのです。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、私たち組織人に2つのことを示唆してくれます。1つは、自らの組織がルールを守ることに汲々とし、そのために機能不全を起こしていないかを振り返ること。もう1つは、人の感情から生まれる共助の重要性を認識し、組織内に共助が生まれる人間関係をいかにして育てていくかということです。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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