人事は映画が教えてくれる
『アマデウス』に学ぶイノベーターをつぶさない方法
事業創造支援型リーダーの不在が、天才の芽を摘み、才能を枯渇させる
【あらすじ】精神病院で余生を過ごす元宮廷作曲家サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は、訪れた神父に、天才モーツァルト(トム・ハルス)との過去について語り始める─。サリエリとともにオーストリア皇帝に仕えることになったモーツァルトは、当時としては画期的なドイツ語のオペラ『フィガロの結婚』を作曲するなど、その才能を存分に発揮する。サリエリは、神に愛されたかのようなモーツァルトの天才を誰よりも理解すると同時に、自身の凡庸さを痛感し、モーツァルトへの嫉妬、神への憎悪を深めていく。
『アマデウス』は類い希な天才であるがゆえに自ら破滅に至るモーツァルトと、その才能に強烈に嫉妬する同業者サリエリを描いた傑作です。
オープニングを飾る「交響曲第25番ト短調第1楽章」から、モーツァルトの才能にはあらためて圧倒されます。サリエリがモーツァルトの楽譜を見て、修正した跡がないことに驚嘆するシーンも象徴的です。モーツァルトは頭のなかに次から次へと今までにないアイデアが生まれてくるイノベーターでした。
しかし、完璧な人間などいません。モーツァルトは対人関係構築力において著しい欠点がありました。ぎこちないお辞儀、癇に障る笑い方、傍若無人な発言などに象徴されるように、才能に任せて暴走するばかりで周囲とうまくやれない。1つのことに秀でている一方で、苦手なことも多く抱えている─このバランスの悪さは現代のイノベーターにもしばしば見られる傾向です。
このようなイノベーターは、古い伝統や既存の価値観に固執する守旧派によってつぶされるというイメージが一般的には強いと思います。もちろん、そのようなケースも少なくはありませんが、より注意しなくてはいけないのが「使いつぶし」という問題です。モーツァルトはむしろこちらに該当します。
たとえ人間関係がうまくつくれなくても、結果を出していれば周囲はその能力を放ってはおきません。その結果、次から次へと仕事が舞い込む。そして、モーツァルトのような人たちは、来る仕事をすべて受けてしまうんですね。能力が高いからできてしまうというのもありますし、過剰な忙しさはランナーズハイのような一種の陶酔状態を生み出します。本人も気持ちいいのです。
このように大量の仕事をこなし続けることで、さらに能力が高まる面もありますが、当然ながらどこかで限界は来ます。肉体は疲弊し、才能は摩耗する。そのうち自身の仕事の使い回しに走るようになる。
モーツァルトも大衆オペラの作曲まで引き受けます(そこでも傑作を生み出してしまうのがモーツァルトのすごいところですが......)。また、作中には出てきませんが、自らのある作品を別の作品に使い回したという記録が残っています。
晩年のサリエリは「モーツァルトは自分が殺した」と嘆きますが、私は必ずしもそうではないと思います。モーツァルトを死に追いやったのは、彼の才能をさらに伸ばし、組織や社会に適応するようマネジメントする人材の不在でした。子ども時代は父親のレオポルトがその役割を担っていましたが、独り立ちして以降、彼はコントロールを失うのです。
モーツァルトのような天才肌のイノベーターは、ビジネスの世界でいえば、事業創造型リーダー。その才能を成功に結びつけるには、よきマネジャーである事業創造支援型リーダーが不可欠なのです。本田宗一郎に対する藤沢武夫を思い浮かべればわかりやすいでしょう。
事業創造支援型リーダーに求められるのは、才能を目利きする能力、そして、その才能を伸ばすために、仕事の内容、量、質をマネジメントする能力です。しかし、今の日本企業にはこの能力を備えたリーダーが不足しています。イノベーターを守り、その才能を育て、発揮させる組織を作るには、このタイプのリーダー、マネジャーの育成が急務です。
モーツァルトにとっては、嫉妬に苦しむほどモーツァルトの才能を深く理解していたサリエリこそが、恐らく最高のマネジャーになり得た存在でした。史実に従えば、彼は何人もの名作曲家の師としても名を残しており、マネジメントの才能があったようです。モーツァルトがもっと長生きし、サリエリがマネジメントに徹していれば、音楽の歴史は大きく変わっていたかも......と思わずにはいられません。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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