人事のジレンマ
定年延長に取り組む必要がある × 活躍してもらう働き方の設計が難しい
2013年施行の改正高年齢者雇用安定法により、企業は2025年までに希望者全員を65歳まで雇用することが義務づけられた。経験豊富な60代の人材を有効活用できれば、将来予測される人材不足にも対応できるが、意欲を持って活躍してもらえるような処遇を必ずしも保障できないため、定年延長に踏み切れないという企業も多い。2014年に多くの企業に先駆けて定年延長を導入したオリックスの直井厚郎氏と、日本企業の人的資源管理に詳しい慶應義塾大学教授の八代充史氏の議論から、人材の力を引き出す定年延長のあり方を考える。
シニア人材に投資して真の戦力化を図る
八代:65歳までの雇用を義務づけた改正高年齢者雇用安定法には、3年ごとに1歳ずつ定年の年齢を引き上げる経過措置があります。オリックスでは、2014年の時点で一気に65歳定年制を導入されたんですね。
直井:経営の判断です。当初人事としては、もっと準備期間をとって段階的に引き上げていこうと考えていました。ところが、「いずれにせよ65歳まで雇用することになるのであれば、先行して定年延長すべき」というのが経営者の意向でした。ですから、定年延長という方針を先に決めて、そこから具体的な制度設計考え始めたというのが実情です。
八代:日本企業では、定年延長よりも、再雇用制度を選ぶ会社が多いですね。ただし中小企業のように、新卒採用に苦労していたり、離職率が高い企業では、定年延長を導入する割合が高い。若い人が採れない分、高齢者の雇用を延長することによって労働力を確保するというのは極めて合理的な判断といえます。
また、大手企業でも、自動車ならホンダ、食品ならサントリー、流通ならイオンなど、各業界を代表するような企業が定年延長を導入していますが、必ずしも他社が追随しないのは、各社、個別の事情を抱えているからでしょう。
定年延長を導入するにあたっての1つの大きな課題に、報酬の問題があります。日本的な年功序列賃金体系により、シニア世代は貢献度に対して賃金が高くなるため、そのまま定年延長すると、人件費の負担が重くなってしまうのです。
直井:確かに人件費は大きな問題ですから、なかなか人事だけでは判断できない。私たちも経営層と議論を重ねて、「これはコストではなく60代の人材への投資である」という結論に至りました。
実は当時既に再雇用制度を導入していましたが、その効果に疑問の声もあがっていました。一度退職し、退職金を受け取ってから働くとなると、活躍しようという意欲も高めづらく、60歳以降の再雇用期間が「福利厚生」になってしまう。それならば、むしろ定年延長に踏み切り、全員に確かな戦力になってもらおうと考えました。
経営にはそのための原資を確保してもらい、人事は、支払う報酬以上の活躍を促す仕組みを考えました。ここまで経営の理解を得られたのは、本当に恵まれていたと思います。
3つの選択肢から自分で働き方を選ぶ
八代:定年延長を実施しながら、再雇用制度も残したんですね。
直井:正確に言うと、65歳定年制、再雇用制度、早期退職優遇制度という3つの選択肢を用意しています。ほとんどの社員が65歳までの定年延長を選びますが、住宅ローン返済など、60歳時点で退職金を受け取る前提でライフプランを立てている人など、再雇用制度を選択する社員も少数ですが存在します。また、60歳になった時点で他社に移る社員も2割程度いますね。
八代:実際に活躍してもらうために、どのような工夫をされましたか。
直井:60歳以降は役職には就かず、担当者として実務を担います。少し期待役割を下げる形になるので、報酬も59歳時点の6割程度になります。もっとも再雇用制度では3割程度ですので、それよりはずっといい条件なのです。
役職者から担当者への移行は、実は60歳より前に始まります。定年延長と同時に、課長が50歳、部長が55歳という役職定年制を導入したのです。担当者としての実務を担う60歳以降の働き方へのソフトランディングを狙ったものです。
八代:役職定年から65歳定年までのモチベーション管理が重要ですね。
直井:おっしゃる通り、役職定年後はポストも処遇も約束できないのですから、会社へのロイヤリティを高めることは難しい。そうであれば、仕事へのロイヤリティを高めてもらうことが大切だと考え、グループのなかで、本人にとって最もフィットする仕事に就けるようにしています。というのも、本人がやりたい仕事、あるいはやりたいという自覚がたとえなくても、本人が最も経験を蓄積している職種では、高い価値を出してもらえると考えたからです。ですので、本人に丁寧にヒアリングをして、実務担当者としての職務を決めています。
それでもマネジメント志向が強い場合、55歳や60歳の時点で自ら社外にチャンスを求める人もいます。
八代:その場合は、早期退職優遇制度を利用されるわけですね。
直井:はい、外に活躍の場を求めるという選択も応援すべきだろうと考えています。
ほとんどの人は定年延長になりますが、多様な働き方の選択肢のなかから自分で選ぶということは非常に重要です。自ら選択したからこそ、目の前の仕事を頑張ることができるのだと思います。
一律の仕組みのなかでも個の違いを見極める
八代:オリックスのように役職定年制を導入する企業がある一方で、役職定年制の運用に悩んでいる企業は少なくありません。「役職定年がうまくいかないのに、定年延長などできるわけがない」という声を聞いたこともあります。
たとえば早くから定年延長を導入しているある企業は、役職定年を設けていません。能力がある人は、60歳以降も役職に就いたまま、同じ処遇で高齢になるまで働くことができます。もともと年次管理が厳しくなく、同期のあいだでも早くから職務や役割に応じて処遇の差がついていました。全員が「自分はこのポジションでやっていく」ということを理解しているので、誰がどのポストに就き、誰がポストから降りるのかも明快で、問題は生じないのです。
直井:確かに当社でも、定年延長よりも役職定年を定めたことのほうが社員にとってインパクトが大きかったようです。以前からポストから降りる年齢には暗黙の了解があったのですが、下の世代のモチベーションを下げないため、また60歳以降は担当者として活躍してもらいたいというメッセージを発するため、あえて役職定年を明示した経緯があります。
八代:もちろん一概に、定年延長をするなら役職定年をなくすべきと言うつもりではありません。銀行のように年次管理が厳しい業界では、一律に出口を決めなければ役職者が増え、組織の体をなしません。あくまでも、その会社の人事管理との整合性のなかで決まってくるものでしょう。
ただし、高齢者活用における人事の要諦は、「一律対応」による公平役職定年を設けなくても
性の担保と「個別対応」による適材適所のバランスをいかにとるかです。役職定年制が卓抜した能力ある人材の活躍の場を奪うのでは、本末転倒です。年次管理や役職定年制について再度考えることが必要だと思います。
直井:実際、当社も65歳定年制の導入から3年が経過し、個人の意欲や能力の差も見えてきました。一部には、この人の期待役割を下げるのはもったいないと思えるケースも出てきました。将来的には、貢献している人の処遇を高くするよう、制度を見直すことも必要かもしれません。
自ら選び取ったキャリアで意欲的に働く60代
直井:ただし、現状の制度でも60代の社員には一定の満足感を得てもらっています。従業員サーベイの結果を見ると、収入は6割ほどに減るにもかかわらず、満足度は非常に高いのが特徴です。この手の調査では、20代をピークとして年齢を重ねるほどに満足度が下がっていく傾向にあるのですが、60代は「今の仕事を今後も続けたい」「今の仕事に経験・能力を活かすことができる」「今の賃金・労働条件に満足」などの項目で全世代平均よりも高くなっています。「職場には相談したり協力し合う雰囲気がある」に関しては全世代平均を下回り、少し周囲に遠慮している様子がうかがえますが、おおむね満足度は高いといえます。
その理由は、他社の同世代と比較して処遇がいいこと、また、期待役割が下がっているので、59歳までと比べると負担が軽いこともあるでしょう。何より、本人のやりたい仕事をアサインすることで、自分の価値を発揮できていると感じられる点が大きいのではないかと思います。
八代:これからの社会において、高齢者活用は欠かせない施策です。高齢者活用とは、本質的には、高齢者と後に続く世代が仕事と報酬をシェアする、ということです。
高齢者活用が「居座り」「既得権化」と思われないような手を打てば、後に続く世代も自分の未来をイメージできるようになる。そうすることが、若手世代のモチベーションダウンの防止につながるはずです。
Text=瀬戸友子Photo=刑部友康