人事のジレンマ

人事部長に必要なのは 人事の広く深い知識 × 事業の経験と理解

2019年02月10日

従来、多くの日本企業において、人事部長へのキャリアパスは、人事部門での幅広い経験を積むという形が多かった。一方、事業への深い理解が不可欠だとして、事業部門で活躍していた人材が、人事部門のトップとなるケースもある。どちらの経験も豊富に積めるのが理想だが、現実的には難しい。そこで、人事部門で幅広い経験を積んできたソニーの北島久嗣氏と、事業部門での豊富な経験を持つKDDIの滝山義隆氏の対談から、人事部長への有効なキャリアパスを描くヒントを探る。

幅広い人事の経験と最前線の事業経験

滝山:北島さんは、ソニーで主に人事畑を歩んでこられたんですね。

北島:はい。これまで本社では人事、研修、採用と一通り担当しました。また厚木や仙台などの工場の労務や、タイの現地法人で人事総務全般を担当しました。ソニーでは事業個社ごとに人事部組織が設置されています。人事1〜5部まであり、私は本社組織を担当する人事1部とIT部門の人事を担当しています。

滝山:ほかの人事部長も、人事経験が長い方が多いのでしょうか。

北島:そうですね。もちろん人事以外の部門を経て人事に来る人もいますが、人事のなかで複数の領域の経験を積んできた人が多いですね。
一口に人事といっても、採用、評価や処遇などの制度設計から現場のビジネスパートナーとしての個別人事や制度の具体的な運用まで、幅広い領域があります。現場に寄り添う人事としてさまざまな経験を積んでいく必要があると考えています。

滝山:KDDIの人事では、人事部門だけでキャリアを積んできた人は、むしろ少数派です。現在、メンバーは80名ほどですが、うち3分の2は、営業、技術、カスタマーサポートなど各事業部の経験者です。

北島:滝山さんご自身も事業経験が長いのですか。

滝山:はい。コンシューマ営業に始まり、官庁に出向したり、グローバルビジネスを手掛けるなど、事業側の仕事をしてきました。2005年から5年ほどフランスに出向した際、現地法人の社長に次ぐポジションで、人事、総務、経理と何でもやらなくてはいけなかったので、そこで少し人事を経験したくらいです。ただ、人事には以前から興味があり、帰国した2010年に自ら希望して人事部に異動となりました。本格的に人事の仕事に携わるのはそこからです。

長期的な視点も現場への理解も必要

滝山:人事経験者か事業経験者か、もし後任の人事部長を選べるとしたら、北島さんはどうされますか。

北島:やはり人事経験者でしょうか。私は、人事の仕事、とりわけ制度の導入や運用で重要なのは、的確に"流れ"を読むことだと思います。そのためには、人事の領域に長く携わって"人"を知ることが必要でしょう。
たとえば、こんなことがありました。ソニーでは、2015年に社内FA制度を導入しました。継続的に一定以上の評価を得た社員全員に、FA権が付与されます。主体的にキャリアを考える機会を提供し、他部署への異動も可能にする仕組みです。しかし、導入にあたって懸念もありました。優秀な人材を手放したくない上司が、この制度の対象とならないようあえて低い評価をつけてしまうのではないかというものです。

滝山:確かに、部門最適が優先されてしまう可能性もありますね。

北島:しかし、もともとソニーには、"個"としての社員の意欲や貢献を重んじ適正に評価する組織文化があります。以前から社内公募の仕組みも根付いていたため、現場のマネジャーにも制度の意義を適切に理解してもらえるだろうと判断しました。実際、制度を導入した結果、やはり懸念は杞憂に終わりました。
人事では、それまでの経緯を理解したうえで、長期的な視野で変化をとらえ、施策を展開していくことが重要です。人事部長が、社会の動向や組織の一人ひとりの微妙な変化を見逃さず、しっかりと対応していくことによって、組織の文化を維持・発展できるのではないかと思います。
滝山さんが後任を選ぶとしたら、いかがでしょうか。

滝山:難しいですが、私は事業部経験者だと思います。過去の人事施策のしがらみにとらわれずに人事部の雰囲気を変えることができるからです。オペレーションの忠実な実行に注力していたところから、より部門の話を聞きに行くことを重視するというような変化が期待できます。

北島:人事が現場にいる一人ひとりの声に耳を傾けるということですね。それも大切なことです。

滝山:私自身が人事に配属になって最初に手掛けたのが、グローバル人材交流プログラムの導入でした。当時、海外の社員から非常に大きな要望があり、それを反映して企画したのです。こうした企画は、人事と現場の対話があったから生まれたものでしょう。現場のニーズを知っているメリットは大きいので、今後も現場とのコミュニケーションは密にとっていきたいですね。

常に現場に足を運び生の会話を重ねていく

北島:人事の経験も、事業の経験もどちらも重要ですが、同時に2つの経験は積めませんから、どうキャリアを設計していくかがまさにジレンマですよね。重要なのは、どのようなキャリアかにかかわらず、人事部長に、求められる能力とは何かをあきらかにしておくことでしょうか。人事部長に必要な能力にはどのようなものがあるとお考えですか。

滝山:やはり現場と同じ目線を持つことは必須でしょう。事業部経験があっても、「人事は現場のことをわかっていない」と言われることが少なくありません。人事畑の経験のみの方も多いソニーでは、どのような形で現場理解を深めているのでしょうか。

北島:とにかく現場に出ていって話を聞くことですね。人材のローテーションをどうするか、後任をどう考えているか、潜在的な問題を抱えた社員はいないかなど、直接会話することで現場の生の情報を集め、実態を理解するように心掛けています。
部門のビジネスパートナーとして、現場に入り込み現場の人々と協働する経験が欠かせないと考えています。

滝山:1つ気になることがあります。人事部として新しい施策を打つにしても、人事プロパーばかりの集まりでは、発想が偏ってしまうのではないかということです。
しかし、先ほどFA制度の話もありましたが、ソニーでは人事プロパーが多くても、新しい施策をどんどん打ち出しています。なぜこうしたチャレンジができるのでしょうか。

北島:まだ十分とは言えませんが、常に経営から変化を見据えて機敏に動くことを求められていると自覚しています。
それと、これは先ほどの"流れを読む"ことと関連するのですが、たとえば新しい制度を入れたとしても、社会の状況や職場の状況は刻々と変わっていくので、いつかはその制度も改定しなければなりません。
ではどのタイミングから見直しを検討し始めるのかというと、極論すれば、導入直後から次の改定を考えるべきです。現場の変化は激しいので、常に変化を追いかけていくことが、現場に合致した運用につながると考えます。

マネジメント経験が人事のキャリアとしても有効

北島:滝山さんにも伺いたいです。人事部長には人事の知識も求められますが、滝山さんは、ほぼ未経験で人事部に来られて、どのように人事の知識を身につけられたのですか。

滝山:最初は相当苦労しました。グローバル人材交流プログラムを立ち上げたときも、給与をどうするか、社会保険がどうか、まったく知識がなくて1人ではとても作れない。人事経験の長いメンバーに助けてもらって、何とか作り上げました。もちろん自分でも勉強しましたが、やはり何かを作るには人事の経験や深い知識は必要で、そこは周囲のメンバーの協力を得ながら進めることが重要だと思います。上下関係を超えて、わからないことを率直に聞けるような職場風土が必須だと思います。

北島:人事部長へのキャリアを考えるとき、苦労しながらマネジメント経験を重ねることも有効ですね。部下を評価したり、個別のキャリアを考えたりするなどの人材マネジメントの経験や、本社と現場の間に立って物事を進める経験など、現場でのリアルな感覚は人事部長の仕事に活かせると思います。滝山さんはまさにそういう経験をされていますよね。

滝山:はい。私自身も、海外駐在時のマネジメント経験が人事の仕事をするうえで非常に役立っています。たとえ小さな組織でも、お金の流れや人の動きなど、会社全体を見る経験は貴重です。というのも、現場経験はもちろん大切ですが、事業部の目線が強すぎると、部分最適に陥りがちなのも事実。マネジメントを経験することによって、全体最適の視点を得ることができます。

北島:ご自身の経験も踏まえて、事業部を経て人事部長になる人には何が必要だと思われますか。

滝山:ローテーションだから人事部長になりました、という腰掛け気分の人では困ります。何よりも重要なのは、人事に対して思いを持っているかどうか。経験の有無の前に、まずは自分なりの強い思いを持って人事の仕事に取り組めることが大前提だと思いますね。

Text=瀬戸友子Photo=刑部友康