著者と読み直す
『口の立つやつが勝つってことでいいのか』 頭木弘樹
人間は強いほうに感情移入しやすい。でも、弱い側にこそ、陰影に富んだ物語がある
本日の1冊
『口の立つやつが勝つってことでいいのか』 頭木弘樹
難病を患い、20歳から始まった闘病生活で救いになったカフカの言葉を編訳した『絶望名人カフカの人生論』がヒット。以来、古今東西の古典・名作を紹介してきた著者による、「言葉」とままならない人生をめぐるエッセイ集。「理路整然と話せるほうがいい」「能力のある人がちゃんと評価されるべき」って本当? 言葉にできない思いをそっとすくい上げるエピソードを読み進むうち、世界の見え方が変わってくる。(青土社刊)
『 絶望名人カフカの人生論』『絶望図書館』などの名言集やアンソロジーを数多く発表し、「文学紹介者」として活躍する頭木弘樹さん。20歳のときに突然、下血や下痢が止まらなくなる難病「潰瘍性大腸炎」を発症し、13年にもわたる闘病生活を送った。そのときカフカの言葉に支えられた経験から、絶望や孤独に寄り添ってくれる文学を紹介する活動を続けてきた。
今回、初のエッセイ集を刊行し、喜んだのも束の間、複数の編集者から「今、エッセイは有名人のものでも売れない」と言われ青ざめたのだそう。だが、X(旧ツイッター)を中心に高評価の口コミが広がり、次々と重版がかかった。
表題になっている巻頭エッセイに唸った読者は多いだろう。言葉にできることや伝える力がもてはやされる昨今、口下手な側からの異議申し立てかと思いきや、頭木さん自身は幼い頃から「口の立つやつ」で、勝ってばかりいたのだという。だが、たとえ自分に非があっても、思いを言葉にできない相手を打ち負かすことができる理不尽さに困惑し、「これじゃ腕力勝負と変わらない。言っていることだけで判断すると間違ってしまうと感じていました」。
そして20歳で難病を患い、今度は自分が「うまく言葉にできない側」に回った。「短い診療時間内に、自分の病状を医師に伝えるのが本当に難しくて。骨折などと違い、内臓はブラックボックス。いろんな検査をしても最後は自分で症状を説明するしかない。でも、いまだ経験したことのない、医師だって経験していない痛みをどう説明すればいいのか。よく目にする宇宙人の絵とはまったく違う宇宙人に会って、それを人に説明するのと同じくらい難しいんです」
このとき、日常においても言葉では伝えられないものが、むしろ大半だと気づいた。エッセイでは、「思いをうまく言葉にできないほうが、当然なのだ。本当なのだ。そこにごまかしがないということだ」と綴った。
スープたっぷりの会話 理路整然がいいという思い込み
「言葉にできないこと」をめぐるエッセイでとりわけ印象深いのは、移住した宮古島で知り合ったMさんのエピソード。周りに自然と人が集まる魅力的な人だったが、理路整然と話せない。当初頭木さんは、それをMさんの欠点だと思っていたが、あるとき「理路整然と話せるほうがいいのか?」と疑問を持った。やがて「言語化できるというのは、箸でつまめるものだけをつまんでいるようなもの。スープは箸でつまめない。Mさんはスープたっぷりの会話をしていて、だからこそ豊かだったのだ」と思い至る。「 僕はもともと数学や物理が大好き。数学はバナナもリンゴも1と数え、中学・高校の物理では、摩擦はないものとして扱います。ある種切り捨てることによって成立する、理路整然とした世界。これも魅力的ですが、同じリンゴでも形や色、匂い、まつわる思い出も違うわけで、その切り捨てられたほうを扱うのが文学だと思うんです。ある程度、箸を使いつつ、スープがここにあるぞとなんとか指し示すという、非常に難しいことにチャレンジしている。特につらい経験をしたり、言葉で説明できない思いを抱えたりしている人にとってはこっちも大事なんです」
1つの価値観で判断することに「ためらい」を
本書で頭木さんは、弱き者や光の当たらない存在に目を向け、当たり前とされている物の見方を覆していく。たとえば女性差別を描く映画。「男性以上に能力が高い女性が、差別ゆえに評価されない」という設定で、主人公が正当な評価を勝ち取っていく展開が常道だが、頭木さんは「能力がある人がちゃんと評価されれば、それでいいのか。能力で人を判断することにも『ためらい』が必要ではないか」と問う。
「何をやってもダメなドラえもんののび太が、タイムマシンで行った西部劇の世界で射撃の名手として活躍するように、能力は絶対的ではなく、時代によって一変する。だけど人は今だけを見がちです。これが顔だったらどうですか。多くの人は顔のよしあしで人を評価し序列化することに『ためらい』があるでしょう。同じように能力についても『ためらい』がほしい。『ためらい』のなさって本当に危険だと思うんです」
1つの価値観に基づく物語のなかを生きていると、うまくいかなくなったときにその人自身がとてもつらくなる、と頭木さん。
「その先の人生を生きるには、別の物語を書き直す必要があります。そのためには、できれば元気なうちにいろんな物語、いろんな価値観に触れておいたほうがいい。僕が、中学で読書感想文を書くために文庫本でいちばん薄いからと手にしたカフカの『変身』で、後に救われたように、このエッセイ集も普段本を読まない人にも、『そういえば』といつか思い出してもらえる本になってくれたらいいなと思います」
Text =石臥薫子