著者と読み直す

『観光消滅』 佐滝剛弘

『観光立国』という耳当たりのよい言葉には、不穏な気配が漂っている

2025年04月15日

本日の1冊

『観光消滅』 佐滝剛弘

観光消滅の表紙コロナ禍を経て外国人観光客は過去最多となり、政府もメディアもインバウンド礼賛ムードを盛り上げている。しかしその陰で、オーバーツーリズムが市民生活を脅かし、人口減少による人手不足や自然災害が観光に依存する地域を直撃。観光自体が消滅しかねない事態が進んでいる。無類の旅好き、かつメディア出身の研究者が独自の視点から今の「観光立国」のあり方に警鐘を鳴らす。(中央公論新社刊)

日本各地に外国人観光客があふれている。楽しげな彼らとは対照的に、円安で海外旅行は日本人にとって高嶺の花に。そんな良くも悪くも観光に関心が高まるタイミングで出たのが、『観光消滅 観光立国の実像と虚像』だ。

著者の佐滝剛弘さんは、NHKで番組制作に関わったのち、大学で観光学の教鞭をとる研究者になった。だがそれ以前に「筋金入りの旅好き」として知られる。これまでに訪ねた世界遺産は500件以上、郵便局は1万5000局、国登録有形文化財は11000件、食した駅弁は4000食。その体験に根ざす著書も数多く出してきた。

本書で、殺到する外国人によって変容する観光地の描写がリアルなのも、自ら足を運んでいるためだ。外国人観光客向けの高価な海鮮丼として有名になった東京・豊洲の「インバウン丼」も、「家族に呆れられながらも食べに行った」と笑う。
「批判するのは簡単ですが、自分で味わい、周りでどんな人が食べてるのかを見ることが大事。評論家にならない。他人が言うことを鵜呑みにしない。これはジャーナリストの基本スキルであり、私の原点です」

そしてこの観光を誰より愛する心と、ジャーナリスト精神が本書の筆を執らせた。
「観光とは歴史や地理、環境、経済などさまざまな分野にまたがるものなのに、訪日外国人の目標が何千万人で経済効果がいくらだとか、ビジネスの側面ばかり語られている。観光する側の視点から、それでいいのかという疑問がありました。『観光立国』という言葉が、先進国という呼称に疑問符がつき始めた日本の姿を覆い隠すヴェールとして使われているのではないかということも、確かめたかった」

インバウンド礼賛報道が量産される理由

佐滝さんは本書で「観光立国」をめぐる今の状況が、メディアが大いに加担する形で作られていると指摘する。特に顕著なのがテレビで、「外国人観光客のなかには日本食が美味しくなかった人や、貧乏学生もいるはずなのに、そういう人は撮らない。撮っても編集段階で落とされる。結果として、お金持ちの外国人がこんなに来ていて、彼らは日本に大満足しており、各地は活気づいているというインバウンド礼賛のストーリーが量産されている」と苦言を呈す。

メディアが検証機能を失っていることにも鋭い視線を向ける。たとえばニューヨーク・タイムズが選ぶ「今年行くべき52の場所」の上位にランクされた盛岡市や山口市。日本のメディアは大きく取り上げたが、ランキングのベースとなっているのが、日本在住の1人の外国人作家・写真家の主観による推薦にすぎないことは、ほとんど報じられない。

人口減少で、観光どころではなくなる危機

「OECD(経済協力開発機構)のさまざまな指標で日本が最低レベルに落ち込むなか、かろうじて観光については外国人が絶賛してくれる。それがプライドを失いかけている日本人にとって心地いい。だから私たちも礼賛報道を潜在的に求めてしまう。メディアと国民に一種の共犯関係ができてしまっていることに、危うさを感じます」

さらに本書が詳述するのは、礼賛報道の陰で進行する深刻な危機だ。人口減少や自然災害が、観光に依存する自治体を「観光どころではない」状況に追い込んでいることを、豊富な事例とデータから示す。観光客をもてなす人材や交通インフラが維持できなければ、「観光立国」は絵に描いた餅だ。

佐滝さんは本書で、外国人向けに日本人より高い値段を設定する「二重価格」についても言及している。その話題では声に一層力がこもった。
「二重価格は世界の常識という言説を検証せずに流すメディアが目立ちますが、二重価格を認めているのは外貨稼ぎを狙う一部の途上国や新興国だけ。それを導入することは、日本は先進国ではない、観光にしか頼れない国だと宣言するようなものです。外国人をおもてなしすると言いつつ、高い金を払わせるのは『観光立国』と矛盾しないのか。国の責任で保全が義務付けられている世界遺産や国宝にまで二重価格を適用するのか。きちんと議論すべきです」

伝わってくるのは、現状に対する深い憂慮だ。とりわけ日本から海外に向かう人の数がインバウンドの3分の1にまで落ち込んでいることを気にかける。
「自分たちは海外に行かず、海外からの観光客のお金を当てにする国に日本がなり始めている。でも、自分がほかの国に興味を持たず行ったこともなくて、海外からのお客と深い交流をしたり、おもてなしをしたりすることができるでしょうか。お互いに行き来して相互理解が深まるというのが観光の大切な意義のはず。人生で観光をしたことがない人はほとんどいませんが、ちゃんと考える機会はあまりない。この本がそのきっかけになってくれれば嬉しいです」

佐滝剛弘氏の写真Sataki Yoshihiro
城西国際大学観光学部教授。東京大学教養学部卒業後、NHKに入局。ディレクターとして「クローズアップ現代」などの番組制作に携わったのち、高崎経済大学、京都光華女子大学を経て現職。著書に『観光公害 インバウンド4000万人時代の副作用』『「世界遺産」の真実 過剰な期待、大いなる誤解』『郵便局を訪ねて1万局 東へ西へ「郵ちゃん」が行く』など。

Text=石臥薫子 Photo=今村拓馬