著者と読み直す
『独学の地図』 荒木 博行(あらき ひろゆき)
地図は後から生み出せばいい
本日の1冊
『独学の地図』 荒木 博行
「何かを学ばねば」。目まぐるしい変化のなかで多くの人は焦燥感に駆られている。だが、人材育成の現場で学びを追究してきた著者は「何を」「どこで」学ぶかよりも、はるかに重要な問いがあるという。それは「どう」学ぶか、だ。本書が提示するのは巷に溢れる「目標から逆算する効率的学び」とは対極的な学び方。それを知れば、オリジナルな知の体系=「独学の地図」を描くことができ、人生を豊かにできると説く。(東洋経済新報社刊)
大手商社の人事部出身でビジネススクールの教壇にも立ち、ビジネス書に関する著書もある荒木博行さん。経歴と『独学の地図』というタイトルから、お薦めの本や学ぶルートが書かれたガイドブック的なものかと思いきや、予想は完全に裏切られた。
荒木さんは「学ぶとはどういうことか」という問いに正面から向き合い、既存知識の効率的な習得とは対極にある「独学」に学びの本質を見出す。
荒木さん流の「独学」は、「面白そう」という純粋な好奇心が出発点。最初に地図ありきではなく、脇道に分け入って散策し、ある時、ふと振り返るとオリジナルの学びの地図ができている── そんなイメージだ。
執筆のきっかけは、世の中で語られる「学び」への違和感だったという。
これは僕自身がビジネススクール時代にやっていたことであり、営業的には致し方ないのですが、『時代はこんなに変化している。将来のキャリアを考えると、あなたはここが足りない』という論法で学びの必然性が語られます。人々も不安を抑える手段として学ぶ。でも、必然を出発点とする学びは『苦行』になりがちです。そういう現状をなんとかしたいと思っていました」
学び=科目名がつくもの、という限定的な捉え方も気になっていた。たとえば、大学で荒木さんが教えるテクノロジーの授業で、グループワークの最中に学生同士が衝突したとする。その瞬間、シラバス上にはなくとも実は「共同作業をする際の人間関係のあり方」のような貴重な学びが立ち上がっているのではないか── 。
「問いが見つからない」 忙し過ぎるのが原因
「日常のなかには意図せずとも『学んでしまう』ような、科目名がつかない些細な学びがたくさんあるのに、僕たちは疎かにしてしまっている。それも強く訴えたかったことです」
『独学の地図』の第1章は「問い」の立て方から始まる。子どもの頃の「自由研究」と同じく「自由に問え」と言われた途端、多くの人は固まってしまう。実は荒木さん自身は問いがあり過ぎて、「一生のうちにごく一部にしか取り組めないことに毎日絶望している」そうで、この章を書くのはかなり苦労したらしい。「知っている知識からちょっとずらす」など自身のテクニックも紹介しているが、究極的には「その問いの答えを本気で知りたいと思えれば十分」と言い切る。
「『問いが見つからない』と悩むいちばんの理由は、忙し過ぎるから。毎日、他者から解くべき問題を次々に与えられ、自分で問いを立てる気力・体力が残っていないんです」
その構造のなかで荒木さんが提案するのは、与えられた問いのなかに「あれ?」と思うポイントを見出し、自分の問いを立てる最初の一歩としてみることだ。やらされ仕事のなかで不意に感じる怒りや驚き、悲しみの裏側に、実は問いが落ちているかもしれない。荒木さんはそうした小さな問いを「か弱き疑問」と呼ぶ。
すぐに忘れてしまいそうな「か弱き疑問」を大切にとどめておくために、荒木さんが実践しているのは「積読」だ。
「僕は買った本の9割は読んでいません。本棚に挿しておいて背表紙を眺めることに意味がある。いわば問いのブックマークです。そして時々、『あ、これとこれは実はつながってるかも』とか思いながら並べ替える。そのプロセスが自分の頭で考えること、自分の答えを見つけることにつながるんです」
荒木さんは、読書以外に「経験」も重視する。ChatGPTのように何でも即答するテクノロジーが溢れる時代には「わざわざ経験することから得られる知見の価値が上がっていく」と見る。
独学筋を鍛えて2ミリの学びを削り出す
「大事なのは経験する前と後の『差分』を見出し言語化すること。『2ミリの学びを削り出せ』と表現していますが、講演を聞いて『勉強になりました』というのは感想でしかない。聞いた後の自分は聞く前の自分に何を伝えるのか。ここで物をいうのが内省力です。それっぽい一般論しか言えない自分に、もう1人の自分が『そんなの知ってるよ』とツッコミを入れられるかどうか」
荒木さんは、独学にフィットした体を作るために、内省のための「自己批判筋」や意味不明に向き合うための「保留筋」など、5つの「独学筋」を鍛えるよう勧める。
読み進めるなかで特に引き込まれるのは、荒木さんの個人的なエピソードだ。ラグビーに熱中していた学生時代に恩師から言われた一言。人事部時代の挫折経験── 。この本は丸ごと、長い時間をかけて経験を見つめ直し、2ミリの学びを削り出してきた荒木さん自身の独学の地図でもある。荒木さんは多忙なビジネスパーソンにこう呼びかける。
「独学に必要なのは自分に向き合う時間。カレンダー上でその時間をブロックする。ぜひやってみてください」
Text =石臥薫子 Photo=今村拓馬