著者と読み直す
『冒険の書』 孫 泰蔵(そん たいぞう)
学校をつまらなくした犯人は誰だ?
本日の1冊
『冒険の書』 孫 泰蔵(そん たいぞう)
学びとは本来楽しいものであるはずなのに、なぜ学校の勉強はつまらないのか? 人生はワクワクするもののはずなのに、なぜいつも不安なのか? 好きなことだけしてちゃダメなのか?最先端のAIスタートアップの支援に携わりながら、今の社会や教育のありように疑問を抱いた孫泰蔵氏が、壮大な知の探究の旅に出た。時空を超えて古今東西の哲学者、思想家と出会い、対話するなかから構想したAI時代の新しい学び方、生き方とは。(日経BP刊)
2023年2月の刊行後たちまちベストセラーになり、著者の孫泰蔵さんのもとには続々と反響が届いた。「読むのが苦しい。『冒険の書』じゃなくて『禁断の書』だ」「私が古代中国の皇帝だったら、著者ごと焚書にしているだろう」
読者にこれほどまでのショックを与えたのは、「勉強しなければ後々苦労する」「能力を身につけなければ生き残れない」といった「常識」がいつ生まれ、どう浸透していったのかを、膨大な文献に当たって調べ尽くしたうえで、それらの常識がAIの時代にはまったく無意味であると看破しているからだ。
「実は書きながら私もすごく苦しかった。過去50年、『人間の地位は、生まれなどではなく、その人の持つ能力によって決まるべきである』というメリトクラシーの考え方のなかで、私自身『一番』を目指して戦い抜いてきた。その自分がたどってきた道を全否定することになったのですから」
孫さんは、兄である孫正義氏やビル・ゲイツ氏などビジネス界のメリトクラシーのトップに君臨する人たちに憧れ、東京大学在学中に起業。設立したオンラインゲームの会社が急成長した頃は、1日15時間会議を詰め込み、社員には「結論から言え!」と怒鳴っていたという。
「がむしゃらに頑張って、自分としてはかなりイケてるつもりでした。それなのに、40歳になったとき、自分が次に何をしたいのか全然わからなくなっていたのです」
息子から「なぜ学校に行かなきゃいけないの?」
以来、ネット関連企業の経営から徐々に身を引き、起業家育成のエコシステムづくりに力を入れるようになった。2017年、シンガポールに移住。3年後、コロナ禍が世界を襲った。このときの厳しい外出制限が孫さんを知の探究へと向かわせた。午前中と午後4時以降を探究の時間と決め、「なぜ学校に行かなきゃいけないのか?」という問いに向き合った。
「小学生の息子が登校時間になってもゲームをやめないので、コラーッと怒ったときに、涙目で『なぜ学校に〜?』と聞かれたんです。でも『俺がめんどくさいからじゃー。行かなかったらママに2人とも怒られるでしょ』としか言えなかった。それがずっと引っかかっていたんです」
その頃、仕事で今話題のChatGPTのようなAIの最新技術を目の当たりにしたことで、問いはさらに深くなった。
「こりゃ大変だと。人間よりはるかに高性能で24時間働けるAIが出てきたら、経営者は従業員を全員クビにしますよ。でも、それ以上に深刻なのが教育です。みすみすAIに取って代わられるスキルを無理やり身につけさせられて、社会に出た途端『もう要らん』なんて言われたらこんな不幸はないでしょう。勉強については私自身、大学に受かる以上の目的を見出せず、あの苦しみは何だったんだという恨みもある(笑)。そこから『学校をつまらなくしたのは誰だ?』と犯人探しをする気持ちで、片っ端から論文や本を読み込んでいきました」
ルソー、フーコー、ホッブズ、壮子……。同書の魅力は、タイムスリップした孫さんが偉人たちと語り合い、思索を深めていくプロセスだ。実はルソーは孤児で盗みを繰り返していたが、男爵夫人の愛人となり、そこから偉大な思想家になった……など、教科書には載っていない偉人たちの意外な横顔も紹介している。そんな自由な探究をしながら孫さんがたどり着いたのは、「AIはメリトクラシーの最終兵器であり、人間はひれ伏すしかない」という結論だった。
「絶望して数カ月、筆が止まりました。でも、落ち込んで(宮崎駿の漫画)『風の谷のナウシカ』を読み直しているときに、ふと閃いたんです。AIが社会の隅々に入り込めば、むしろ人間はつまらない勉強や労働から解放される。AIはメリトクラシーからの解放者じゃないのかと」
答えようとするな むしろ問え
ただ、社会は急には切り替わらない。大抵の親は子どもに「もう、つまらない勉強なんかしなくていい」とは言い切れないし、何を学ばせるべきか悩む。そんな親たちに孫さんならどんな言葉をかけるのか。
「本では書けませんでしたが、もっと不真面目でいい。だいたいでいいよと。世の中全体、遊びが足りないんです。将来何が本当に役に立つかなんて、誰にもわからない。だったら、大人も子どもも好きなことをすればいい」
AIが衣食住の大半をタダで提供し、資本主義の圧力から人々が解放され、子どもも大人も好きなことに熱中できる社会── 。本当にそんな社会になるのだろうか?
「なるか、ならないかじゃなくて、なすんだと皆が望むことが大事です。この本でも子どもたちに向けて『世界は自ら変えられる』と書きました。君が気づけば世界は変わる。気づくためには、答えようとするのではなく、むしろ問え。それが私のメッセージです」
Text =石臥薫子 Photo=伊藤圭