適応は適応力を阻害する ――江夏幾多郎氏(神戸大学)

2022年10月17日

リクルートワークス研究所は、今年7月に調査レポート「大手企業における若手育成状況調査報告書」を発表した。本研究では、大手企業に勤める就業3年以下の社員にインタビューや定量調査を実施し、現状の仕事の実態や成長環境、職場環境を把握・分析。さらに、若手社員の育成や職場環境の改善に関する提言をまとめている。
「語り合う これからの『若手育成』」第2回は、人的資源管理論・雇用システム論に詳しい神戸大学経済経営研究所の江夏幾多郎准教授と、リクルートワークス研究所・古屋星斗が、若手社員を取り巻く職場環境の展望について語り合った。

江夏幾多郎江夏幾多郎 神戸大学 経済経営研究所 准教授
2008年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得満期退学。2009年に同大学より博士(商学)を授与。名古屋大学大学院経済学研究科准教授を経て、2019年9月より現職。『人事評価の「曖昧」と「納得」』(NHK出版)、『コロナショックと就労』(共著・ミネルヴァ書房)など著書多数。日本労務学会会長。

企業の「環境適応力」が試されている

古屋:労働法の改正やコロナ禍の影響によって、若手社員を取り巻く労働環境は、ここ数年で急激に変化しています。働き方改革・パワーハラスメント対策なども進み、いわゆる「働きやすい」職場が増えました。江夏先生はこうした変化をどう捉えていますか?

江夏:古屋さんがおっしゃる通り、ここ数年で働き方を取り巻く状況は一変しました。なかでも特に影響が大きいのが、「職場コミュニケーションの変化」だと思っています。
労働時間の短縮化やリモートワークの導入などによってオンライン会議や、録画での共有がスタンダードになり、「場所や時間を共有しないコミュニケーション」が普及した。これはかなり大きな変化です。

こうした状況に対し、リアルなコミュニケーションが当たり前だったマネージャー層からは、「コミュニケーションの希薄化だ」と嘆く声も聞こえてきますが、そうとも言い切れません。
テクノロジーによって情報伝達の効率は上がっている部分もあるので、希薄化を嘆くのではなく、それに合わせた新しいコミュニケーションスタイルを確立していく必要があるのでは、と考えています。

江夏幾多郎准教授(江夏幾多郎 /神戸大学 経済経営研究所 准教授)
古屋:多くの企業が、オンライン会議やチャット用のツールを導入するなど、「ハード面」は整えている。ですが、その上にあるコミュニケーション、つまり「ソフト面」にまで対応できている企業は限られている、ということですね。
今のお話に関連して、今回の我々の研究では「働きやすさ」を追求すると同時に、若手社員に対して、どう「働きがい」を提示していくべきかについても考察しています。

働き方の改善は望ましいことですが、労働時間が短くなり、それこそ上司や同僚とのコミュニケーションをきちんと取れていないといった状況だと、「働きがい」を感じにくくなる。
「成長実感や、自分の仕事に意義を感じられない」という若手社員も一定数いるようですが、この点についてはどうお考えですか?

江夏:まさに、「働きがい」の提示は重要なポイントですね。若手社員に限らずですが、「なぜ自分がここで働いているのか」「将来ここでなれそうな姿」に納得感を得られるかどうかは、働く上でのモチベーションに直結します。
ですので、職場としてまずやるべきことは、若手社員が働く意味を自ら見出せるようなコミュニケーションを取れるようにすること。そして、自社の目指す姿や、働き方に関するスタンスをきちんと明示し、やることとやらないことをしっかり決めることではないでしょうか。

働き方に関する制度が多様化しているのはいいことですが、「何でも取り入れます」というスタンスだと、社員は混乱してしまいます。「うちの会社はこういう方針です」と打ち出して制度をちゃんと絞って取り入れ、外へ向けて明確に発信する。その上で、各社のやり方が合うか合わないかを個々人に判断してもらったほうがいいと思うのです。

古屋:SNSの発達も相まって、特に若手は情報収集が得意な方も多いですから、かつてのように自社の方針を「察してもらう」のではなく、「情報開示をしていく」スタンスのほうがフィットしますよね。

「適応」は「適応力」を阻害する

古屋:今回のレポートの主テーマの1つでもありますが、私はこれからの職場は2つの「安全性」を満たす必要がある、と考えています。
1つは「心理的安全性」で、たとえば理不尽に仕事を押し付けられたり、自分の行動に対して否定的なリアクションが来たりしないこと。もう1つは「キャリア安全性」で、他の職場でも通用するスキルが身につく、今後のキャリアの選択肢が増えるといった、将来のキャリアの安定に直結するものです。

今までお話ししてきたように、働き方改革によって「心理的安全性」が高い職場は増えましたが、働きやすさが優先されるあまり、「キャリア安全性」が満たされない職場が多いのでは、と考えています。

江夏:興味深いですね。これまでは「就社型」の社会で、入社したら定年までその会社でキャリアを積み上げるのが一般的だった。つまり「社会=会社」だったわけで、「社外に通用するスキルを得なくては」という意識を持つ人自体が少なかったのでしょう。

ですが、今の若手世代にとっては、転職も独立も当たり前の選択肢になってきていますから、今いる会社よりも、さらに広い範囲で「社会」を意識せざるを得なくなった。だからこそ、「居心地はいいけれど、ずっとここにいたら、外に出られなくなるかも」と、「過剰適応」が不安になるんでしょう。
「適応は適応力を阻害する」とよく言われますが、若手はそのジレンマを上の世代より明確に意識しているのだろうと思います。

古屋:意識せざるを得ない「社会」が広がったというご指摘、非常に興味深いです。

古屋星斗(古屋星斗 /リクルートワークス研究所主任研究員)
江夏:少し抽象的な話にはなりますが、やっぱりこれまでの職場って「場としてのイメージ」がしやすかったと思うんですよね。
それこそ、ビルの何階に職場があって、こういう社員が働いていて、普段はこんなふうに業務時間を過ごしていて、休日はゴルフにみんなでいって・・・・・・と、具体的に「私を取り巻く社会」が把握できた。

日本の場合は小中高をずっと教室のなかで過ごす場合が多いので、物理的に空間を把握する習慣が身についている人も多いでしょう。
ところが、転職や独立といった選択肢もあり、物理的に把握できない「社会」への想像が求められるようになった。リモートワーク化やSNSの発達によって、よりバーチャルな空間を想像する必要も増えてきている。これが、ここ数年で起こった大きな変化だと思います。
古屋:とても示唆に富むお話です。江夏先生のお言葉を借りれば、その「広がった社会」のなかで、どう生きたいか、今後どんなキャリアを積みたいかを、自分自身で考えなくてはいけなくなりました。
もちろん、それを面白いと感じる若手もいるでしょうが、あまりに未知の部分が多いので、不安に感じている人も多いのでしょうね。

「馴染ませる」オンボーディングは時代遅れ?

古屋:今までのお話を踏まえ、今後の人事制度のあり方についても、ぜひお話をお聞きしたいです。まず、新入社員が最初に受ける「オンボーディング」は、どう変わっていくとお考えですか?

江夏:オンボーディングは新入社員にとっても、企業にとっても非常に重要なプロセスですよね。
従来は組織のルーティンやロジックにどう若手を「馴染ませていくか」という観点で組み立てられていましたが、職場環境の変化によって組織のルーティン自体が通用しなくなってきている部分もある。
だからこそ、オンボーディングをしながら、従来の仕事の進め方そのものも見直す必要があるのでは、と思います。

一つ提案したいのは、組織のルーティンやロジックに若手を「馴染ませる」のではなく、「まずはとりあえず仕事を任せてみて、彼らがどう感じるのか・どう反応するのかを見る」という方法です。
その上で、若手から「ここは良かったです」「これは少し使いにくいです」とフィードバックをもらいながら、仕事のやり方の最適解を一緒に探っていく。そのうちに、自然と若手社員が馴染んでいく――というオンボーディングもあり得ると思うんですよね。

古屋:若手社員に、あえて「テストモニター」になってもらい、そこで得られた反応をもとに、仕事の進め方をアップデートしていく、と。
そう考えると、次はどう新入社員から正直なフィードバックを引き出せるか、マネージャーがそれをどう受け止めるかがポイントになりそうです。

江夏:それは、単純に動機づけの問題だと思います。若手が意見を言いやすい環境づくりをまずはマネージャーや人事が率先して行う。たとえば、新入社員のちょっとした一言や行動を見逃さないで、「それ、いいね」とか「なるほどね」と反応する、といった具合です。

新入社員からすると、すでにある組織のシステムやルーティンに対し、何か意見を言うのはかなり緊張するもの。なので、そうしたことを言いやすい雰囲気をつくっていく必要があります。
マネージャーサイドも、仮にもらった意見が批判的なものだったとしても、まずは受け止めて、彼らの意図をきちんと理解する。その上で反応を示すのがよいのではないでしょうか。すぐにイラッときたりしないことが大事です。

「年齢による評価」はもはや意味をなさない

古屋:今のオンボーディングのお話にも通じるかもしれませんが、若手社員にヒアリングをしていくと、「マネージャーからもっとフィードバックをもらいたい」と感じている人が多くいます。

背景にあるのは、働き方改革やパワーハラスメント対策が進んだ影響で、マネジメント側が部下の仕事にフィードバックをしたり、ミスを指摘して直させたりする行為に対して、抵抗を感じていること。
「これはハラスメントと受け取られるのでは」と思うと気が引けて、結果的に若手にきちんとフィードバックはせず「あとはやっておくよ」と、仕事を引き取ってしまうそうなんです。
江夏幾多郎 古屋星斗たしかに、仕事が早い上司が巻き取ったほうが短期的には効率的で、チームとしてはパフォーマンスが上がるかもしれません。それで、短期的に上司は評価されるわけですけれど、組織の中核を担う人材の育成という観点で考えると、あまり望ましくないなと思わざるを得ません。

江夏:非常に悩ましい問題ですね。人事評価をレーティング、つまり「点をつける」という観点だけで考えてしまうと、今おっしゃったような状況に陥る可能性は高いと思います。
個人の売り上げや部門のKPIなどわかりやすい指標で評価されるとすれば、短期的にでもパフォーマンスが上がる方法で頑張ろうとするのは、ある意味自然なことです。

ですが、人事評価で大事なのはそのレーティングの前段階と後段階。つまり、被評価者である若手が置かれている現在の状況と、将来どうありたいかといった未来のビジョンを若手と上司が共同で描くこと。その上で、短期の業績指標を一人歩きさせず、長期は難しいにせよ中期の成長計画の進捗の振り返りに用いることが肝要です。
問題は、今のマネジメント層が忙しすぎてこうした目標設定やフィードバックまでカバーしきれていないことでしょうね。部下の仕事を巻き取っているのであれば、なおさら十分な時間が取れないんだろうな、と思います。

古屋:仕事を巻き取ることで若手の成長機会を奪っているとすれば、育たないから忙しい、忙しいから育たない、この悪循環がはじまっているようにも感じます。ちなみに、人事評価制度についてもう一点お伺いしたいのですが、人事管理における客観的な指標の開示についての議論が進んでいます。従来とは違う、新たな指標が必要となるのか、などをお聞きしたいです。

江夏:「こんな尺度が必要だ」とはっきりお答えできないのですけれど、数字というのは、話半分くらいで捉えたほうがいいと思います。もちろん、数値化によって意思決定や対話が進みやすくはなるのですが、数字はあくまで現実の一部を切り取ったものにすぎない。場合によっては、現実を歪めている可能性もあります。
なので、開示指標の妥当性を常に検討して、適宜修正していくしかないのかなと。

売り上げや特許数などのわかりやすい数字で評価するのはシンプルですが、実はそういった数字には表れない部分で貢献している人もいるかもしれませんよね。そう考えると、パフォーマンスの軸って、実はもっと多元化させなきゃいけないと思うんです。
たとえば「縁の下の力持ち指標」みたいなものをつくって、さまざまな活躍への歓迎の姿勢を会社が見せる、とか。

古屋:人材の価値はもっと多元的に見られるんじゃないか、と。
たしかに、それがわかればより良い配属やマッチングにつなげていけるはずです。逆に言えば、従来のように年齢で人事評価を下す、といったシステムは淘汰されていく可能性が高いですね。

江夏:能力や業績を評価する難しさを年齢という代理指標で行い、本質的な部分を上司に補わせるような運用のあり方は、もう十分に歴史的使命を果たした、お疲れさん、と言ってあげたい。
もちろんなんでも評価できるわけではないし、すべきでもないし、総合的評価で有形無形に報いる、という余裕が組織には必要ではあるものの、今後どんな指標が必要かについてはきちんと議論していく必要があると思います。

若手が企業を活かして育つ時代へ

江夏:お話ししてきて改めて感じましたが、今後は若手側にも、より積極的にスキルや経験を得ようとする姿勢が求められるようになるでしょうね。
従来は「企業側が仕事を通じて能力をインプットしていく」のが当たり前でしたが、もう「付与」という考え方が合わなくなってきている、といいますか。
むしろ、企業は「機会は用意するから、あとは自由に活かしてくれ」と提示するくらいのスタンスでいいのかもしれません。

江夏幾多郎 古屋星斗 古屋:まさに、私も「主語」が変わってきていると感じていまして。「企業が若手を育てる」時代から、「若手が企業を使って育つ」時代に、180度主語が転換している。これはかなりのパラダイムシフトです。

江夏:そうですよね。そして企業も、従来以上にもっと若手を起用していくべきだと思います。
「この人は面白いな」と思ったら、どんどん抜擢していく。お互いを利用する、というとドライな感じがしますが、企業と若手の双方が相手に関心を持ち続け、適切な関わり方を模索することはそれなりにウエットでもあります。

それで、もしお互いのメリットが一致しなくなって、雇用関係が解消されることになっても、それまで利用し合ったのだから、それはそれでいい。最近は、アルムナイ組織なども増えていますし、お互いが自身の理想を求めながら、ゆるやかな連帯を築いていることが重要になる気がします。

古屋:忖度なしに相互のメリットが一致しているかどうか確認し合えるドライさを持ちつつ、間口はとても広いという関係性が求められているのかもしれませんね。企業と社員がどうすればより良い関係を築いていけるのか、ぜひまたお話しさせていただけると嬉しいです。

執筆/高橋智香
撮影/平山 諭

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