「キャリアが不安」は悪いことではない ――下村英雄氏(労働政策研究・研修機構)
リクルートワークス研究所は、今年7月に調査レポート「大手企業における若手育成状況調査報告書」を発表した。本研究では、大手企業に勤める就業3年以下の社員にインタビューや定量調査を実施し、現状の仕事の実態や成長環境、職場環境を把握・分析。さらに、若手社員の育成や職場環境の改善に関する提言をまとめている。
「語り合う これからの『若手育成』」第1回は、レポートで得た視点をもとに、キャリア開発やキャリア支援に詳しい労働政策研究・研修機構 下村英雄 副統括研究員と、リクルートワークス研究所 古屋星斗が、若手社員の「キャリアづくり」について意見を交わした。
下村英雄 労働政策研究・研修機構 副統括研究員
日本キャリア教育学会会長。前日本キャリア・カウンセリング学会監事。キャリア開発、キャリア支援、キャリア教育及び関連政策に関する研究を専門とし、議論を牽引する。『社会正義のキャリア支援 個人の支援から個を取り巻く社会に広がる支援へ」(図書文化社、2020年)など著書多数。博士(心理学・筑波大学)。
「キャリアが不安」は悪いことではない
古屋:2015年施行の若者雇用促進法を皮切りに、ここ数年で労働環境に関する法律が急激に改正されています。キャリア開発やキャリア支援に詳しい下村先生は、こうした法改正にともなう若手社員の職場環境の変化をどう捉えていますか?
下村:古屋さんのおっしゃる通り、2015年は職場環境に関して「大転換」とも言えるような、エポックメイキングな年でした。それ以来、残業時間や早期離職率といった職場の情報開示や、働き方改革の推進、パワーハラスメント対策などが一気に進み、若手社員にとっても「働きやすい」職場が増えています。
特に、私が注目しているのは、2015年以降に女性の正社員がどんどん増えていることです。育休や産休といった制度が整い、女性を含めたすべての人にとって「働きやすい職場」が増えている表れであり、非常に意義深いと感じています。
古屋:私も「働きやすい職場」が増えていることは、とても望ましい傾向だと捉えています。
一方で、私たちが大手企業の1~3年目の新卒社員にインタビュー調査を行ったところ、「働きやすい」がゆえに、仕事で十分な成長実感が得られず、キャリアに不安を感じている人も、少なくないことがわかりました。いわく、「思ったよりも仕事が少なくて、肩透かしである」「この会社にいてもスキルが身につかず、将来転職できなくなるかもと不安だ」と。
こうした若手が直面する新たな職場環境を、私は「ゆるい職場」と名付けているのですが、この点はどう思われますか?
下村:たしかに、職場環境を改善しようとして、若手の成長機会を奪ってしまうのは本意ではありませんね。ただ、今ご指摘があった「若い人たちがキャリアを不安に感じている」という部分に関しては、実は健全なことではないかと感じます。
年長者と比べてキャリアの先行きが長い分、若年者が不安を感じるのは当然なことで、むしろそれが自分のキャリアを考えるきっかけにもなると思います。「将来の不安など何もない」と言っている人のほうが心配なくらいです。
古屋:「キャリアが不安なのは悪いことではない」というご指摘は、多くの若手を勇気づけますね。
少し話が逸れますが、今回の調査で実は学生時代に社会人とプロジェクトを行ったり、企業等へ提案をしたりと、社会経験が豊富な人ほど「キャリアが不安だ」と回答する割合が高いことがわかりました。
図表1 「不安だ」という項目にあてはまると回答した割合(%)(2019-2021年卒)(入社前の社会的活動経験別)
おそらく、学生時代から社会人と接する機会が多く、自ずと早い段階からキャリアについて考える習慣がついた。ゆえに、自分の現状と思い描く将来とのギャップを感じる瞬間が、同世代に比べて多いのでしょう。
その意味では、キャリアが不安なのは、それだけ真剣に自らの将来に向き合っている証拠だと言えるかもしれません。
「若手育成にとまどう管理職」問題
古屋:職場環境の変化にともない、若手社員の育成はどう変わったと感じられますか?
下村:基本的には良い方向に向かっていると思います。従来のような、長時間労働は当たり前で、先輩から厳しく叱責・指導される「きつい職場」で人材が育つとはゆめゆめ思いませんし、仮に育ったとしても、失われるものが大きすぎます。
そもそも、戦後さまざまな規制が自由化・民主化されていくなかで、職場だけが最後まで「戦前」を引きずっていました。軍隊で上等兵が下級の兵士を鍛え上げるように、長時間労働・パワハラの横行する、厳しすぎるOJTが続けられていたわけです。それが、数十年の時を経て、ようやく改善されたのだと感じています。
古屋:なるほど。もう少し踏み込んでお聞きしたいのですが、「きつい職場」ではなくなった結果、以前の環境下で育てられた管理職には、今の若手の育成にとまどっている人も少なくないようです。この点についてはどうでしょうか?
下村:管理職の皆さんが悩む気持ちは理解できます。子育てなどもそうですが、自分が育てられた方法で、相手を育てようとするのは、ある意味自然なことです。
ただ、若者というのは決して「常に年長者のやり方に沿う存在」ではありません。これは、いつの時代でも同じだと思います。ですので、基本的には若手に委ねるかたちで、上の世代が「育てよう、育てよう」と、あまり躍起にならなくていいのではないでしょうか。
古屋:興味深いご指摘です。私がインタビューをしていて、特に衝撃的だったのは、「まるで親戚の子どものように扱われています」と答える若手社員がいたこと。
「優しいマネジメント」が行きすぎた結果、「もう後はやっておくからいいよ」と、仕事を引き取ってしまう管理職もいるそうです。しかも、仕事を引き取られた側の若手社員も、それがある意味での“気遣い”だと気づいているものの、「もっと自分でやれます」と言い出せないらしく……。なんというか、お互いの「物わかり」が良くなりすぎていることのもったいなさを感じました。
下村:管理職との気の使い合いによって、若手社員の成長機会が奪われてしまっていると。その意味では、管理職は「育てよう」と思いすぎなくていいと申し上げましたが、逆もまた然り、若手社員も「育てられよう」という意識を持ちすぎないほうが良いかもしれませんね。
いい意味で、互いの意図を「汲みすぎない」ほうが、マネジメントがきちんとワークする気がします。
「自立自走型キャリア」時代の到来
下村:それにしても、ゆるい職場への変化もあって、「自分でキャリアを考える時代」が、本格的に到来していますね。我々研究者の世界では、1980年ごろから「自分でキャリアを考える」必要性が説かれてきましたが、ついに現実味を帯びはじめています。
会社や上司が個人のキャリアを決めるのではなく、自分でキャリアを考える。「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」への移行なども後押しして、いわば「自立自走型」のキャリアが、今後のスタンダードになるでしょう。
古屋:同感です。そして、自分でキャリアを考えなくてはならないからこそ、具体的にどう行動すればいいのか、と悩んでいる若手社員も増えていると感じます。
先日、ある大手企業のいわゆる花形部署にいる20代後半の社員が、「今いる会社で一定程度評価されているけれど、キャリアに漠然とした不安を感じている」と話していました。さらに「会社の同期がYouTuberとして副業を始めたり、資産形成のために投資を勉強したりしていて焦る。自分も始めてみようか迷っている」とも。
下村先生の言葉を借りれば、「ごく自然な若手の不安」ですが、とはいえ、キャリアの幅を広げる選択肢が、YouTubeや投資とごく一部に限られて考えられていることには、少しもどかしさを感じました。若手が自分でキャリアをつくるために取れる選択肢が、少なく見えているのかもしれないな、と。
下村:YouTubeも投資も、本当にやりたいことならトライしたらいいと思いますが、他に選択肢がないから、と消極的に選んでいるならば、少しもったいないですね。もっと自分の本業と近いところで何か考えるほうが良いと思います。本業のスキルが生かせる副業があるかもしれませんし、実は社内の仕事を極めてみたほうが、結果的にキャリアにとってプラスになる可能性もありますから。
古屋:おっしゃる通り、「副業、副業」と、至るところで耳にするようになりましたが、「本業を全力で頑張ってみる」のも、キャリアを築く有効な選択肢ですよね。ちなみに、勤め先が仕事を十分に任されない「ゆるい職場」だとしたら、どう社内で機会を得るべきだと思われますか?
下村:そこは、あえて「ゆるさ」を活用するのが得策でしょうね。任された仕事が少ないと焦るのではなく、たとえばその仕事を2倍、3倍のスピードで仕上げたり、その仕事を深く掘り下げてみてアウトプットの質をとことん上げられないか?と考える、とか。あとは、自分がやってみたい仕事をしている先輩に話しかけて仕事を手伝わせてもらうのでも良いわけです。早く自分の仕事を終えていろんな勉強をしたり、学校に通ったり、資格をとったり、家庭を持っているならば家事や育児もありますよね。いくらでもやれること、やるべきことはあると思います。
とはいえ、本来であれば会社がそういった挑戦の場を用意すべきだと思います。大きなチャレンジにつながる仕事をもらえないというのは、サッカーでたとえるなら、「筋トレやジョギングばかりで、一切試合に出してもらえない」みたいなものです。
古屋:自分の積み重ねてきた努力を、何らかのかたちでアウトプットして、それが誰かの役に立った時にはじめて、仕事の醍醐味ややりがいが感じられるものですからね。そういう機会なくして、いきなりキャリアは自分で考えてください、と言われても若手社員にとっては酷だろうなと思います。
「傾聴」を超えたキャリアコンサルティングが必要
古屋:今までの話を踏まえて、今後はキャリアづくりをサポートする存在、たとえばキャリアコンサルタントの役割も、ますます重要になってきますよね。私もSNSで、誰かがキャリアについて相談したとか、逆に相談を受けたという投稿を見る機会が格段に増えました。
下村:重要な流れですよね。私が長らく言っていることですが、いくら自分で考える「自立自走型」のキャリアとはいえ、何のケアもなく放り投げてもいいわけではない。むしろ、キャリアを自分で考えるようになればなるほど、これまで以上に手厚いキャリア支援が必要になると思います。
古屋:キャリア支援やキャリア開発がご専門の下村先生にぜひお聞きしたいのですが、現状のキャリアコンサルティングは「傾聴」に偏っているのではないかと感じる時があります。もちろん、傾聴自体は大事なのですが、折角ならばもう一歩踏み込んで、次のアクションまで提案する機能があるとなお良い。
それこそ、ファイナンシャルプランナーが生活費の見直しにまで並走してくれるように、「こんな転職の選択肢もあるよ」とか「スキルを身につけるために専門学校に行くのもいいかもしれませんね」といったサジェストがあってもいいのではないか、と。
下村:まったくその通りで、キャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーの本来の職分に立ち返ると、傾聴した上でのクリティカルな提案や助言はあって然るべきだと思います。
伝統的なカウンセラーは、相手に何かを指示することを避ける傾向にあります。しかし、今の時代、情報収集の手段も増えていますし、アドバイスに従うかどうかもクライアント自身が決めます。だから、そこまでクライアントに与える影響を深刻に考える必要はないように思います。
(下村英雄 /労働政策研究・研修機構副統括研究員)
ただ、もちろん、ここは丁寧に議論する必要があります。どれくらい踏み込んでアドバイスすべきかという問題がありますし、傾聴だけで良いキャリア支援になっているというパターンも多くあります。一概に「これがベストな提案だ」と言いにくいのが実情です。
なので、少し荒っぽい表現にはなりますが、まずはいろんなキャリアコンサルティングやカウンセリングのかたちがあっていいのだと思います。いろいろなキャリア支援から、クライアントが自分で選んでいくというイメージを持つのがいいんじゃないかな、と思います。
「企業と学校の接続」が肝になる
古屋:若手社会人を取り巻く労働環境やキャリア構築をテーマにお話ししてきましたが、最後にこれから社会に出ていく世代へのキャリア教育やキャリア支援についても、ぜひお話をお聞きしたいです。
下村:強調したいのは、まずは学校の役割です。「キャリア開発は、学校が重要です」と言うと、まるで冗談に聞こえてしまうのが日本のキャリアづくりのそもそもの問題点だと思っています。
今までのメンバーシップ型雇用では、学校で習うことはあくまで学校でしか使えないもの、大事なのは会社に入ってからOJTで身につける実務スキルだ、とされてきました。ただ、社会全体で学校にそれなりのコストをかけて投資をしているのに、仕事に生かされていないというのは、シンプルに非効率ですし、もったいないですよね。
もちろん、学校で習う内容をすべて仕事に直結させればいい、という話ではないですが、学校教育とキャリアづくりの接続はもっと真剣に議論されるべきだと感じます。
古屋:学校と社会の接続があまりにも唐突だという問題はありますよね。情報系学生など、自分の専門分野を生かして就職する人も中にはいますが、全体を見回せば、学生時代の学びを生かしてキャリアを考える人はまだまだ稀です。
ただ、一方で良い潮流だなと感じるのは、冒頭でも少し紹介しましたが、学生時代に社会人とプロジェクトをするなど、なんらかの社会経験をしている学生自体は増えていること。
キャリアにも直結するような、応用的・実践的な学びを得られていると考えると、これはこれで意義深いなと思います。
図表2 入社前の社会的活動経験(年代別)(%)
下村:そうですね。私は2000年代の前半にスタンフォード大学やUCバークレーといった、アメリカの有名大学でヒアリング調査をしたことがあるのですが、その時に「就職活動とは、つまり良いインターンシップに行くことだ」という声が圧倒的に多かったんですよ。良いインターンシップに行くと、それだけで就職に有利。そして、入社後に転職する際にも、インターンシップの経験が買われることがあって、長く使える自分の実績になるんだ、と。
もう20年も前の話ですが、日本でもインターンなどの社会経験を積む学生が増えていると聞いて、いよいよそんな時代がこちらにも来たんだな、と感じました。
古屋:興味深いエピソードです。やはり、今後はインターンシップのような学外の経験と、学内での学び。両者を学生一人ひとりが自身のキャリア形成に生かせるよう、さらに仕組みを整えていかなくてはいけませんね。
加えて、昨今はリカレント教育のような社会人向けのプログラムも増えていますから、こうした学びをどうキャリアに紐づけていくのかも、あわせて考慮していく必要があると思います。またの機会に、さらに下村先生と議論できますと嬉しいです。
執筆/高橋智香