先進事例2 伊勢志摩賢島温泉 ばさら邸(代表取締役 三橋弘喜氏)

2017年06月20日

待遇・人事改革で接客の質を高め、客単価向上に成功
~伊勢志摩賢島温泉 汀渚 ばさら邸 経営者インタビュー

「伊勢志摩賢島温泉 汀渚 ばさら邸」(以下「ばさら邸」)は、三重県志摩市にある旅館だ。部屋数は全18室。自社源泉である伊勢志摩賢島温泉を使い、全室に露天風呂を完備している。また、伊勢志摩の旬の食材を厳選した「ばさら創作膳」などの料理も評判が高い。週末はもちろん、平日でもリピーター客を中心に多くの人が訪れ、客室稼働率は9割を超える。
ばさら邸では、二代目社長である三橋弘喜(みつはし・ひろき)氏が代表取締役に就任した1997年以降、さまざまな改革を行ってきた。改革の狙いとその効果について、三橋氏にインタビューを行った。

低賃金の旧弊を打ち破ることで採用力を強化

――代表取締役に就任した頃は、バブル崩壊から数年たった時期ですね?

三橋「はい。景気は冷え込んでおり、国内旅行者数も頭打ちの状況でした。しかし、私自身は『悪いことばかりではない』と感じていたのです。金利が下がって資金調達は楽になりましたし、施設の建設費なども安くなったため、新たな投資を行うには絶好の環境だったと思います」

――では当時は、宿泊業に対してそれほど危機感はなかったのですか?

三橋「いいえ、むしろ強い危機感を持っていました。背景にあったのは、『人材が育たない』と『宿泊・観光業者の間にネットワークがまったくない』の2点でした」

――では、人材についてまずお伺いします。なぜ、宿泊業では人が育ちにくいのでしょう?

三橋「まずは、賃金の低さが問題ですね。私が代表取締役になった当時、当社従業員の給与は、三重県の宿泊業としては平均的な額でした。しかし、宿泊業全般の給与水準が他業界より低いため、良い人材がなかなか集めにくかったのです。さらに、せっかく育ったスタッフも、給与に不満を持って辞めてしまうケースが少なからずありました」

――そうした状況にメスを入れ始めたのはいつ頃ですか?

三橋「たしか、2000年代初めだったと思います。宿泊業にとって最大の付加価値を生むのは、接客や料理といった『お客さまと直接触れ合う部分』。ですから、接客スタッフや調理スタッフの人材の質が、顧客満足度を大きく左右するのです。そこで当社では、地元だけでなく、県外からのIターン希望者にもターゲットを広げ、採用を強化しました。

そのときにライバルとなるのが、東京や大阪の企業です。彼らに打ち勝って人材を獲得するためには、給与額の引き上げが不可欠でした。その結果、現在のばさら邸では周辺の宿泊業の水準より3割程度高い給与額を実現しています」

――給与額を上げた効果は、すぐに出ましたか?

三橋「いいえ。『良い人材が集まるようになったな』と実感できるまで、かなりの年月がかかりました。ひょっとすると、10年くらいのタイムラグがあったかもしれません。ただ、方向性は間違っていないという確信があったため、人件費が拡大して苦しかった時期もありましたが耐えられました。

以前のばさら邸では、平均客単価は3万円程度でした。ところが、接客の質を大幅に高めたこと、10年間に13回の施設リニューアルを行って魅力アップに努めたこと、食事のレベルを大きく引き上げたことなどが効果を発揮し、現在では4万5000円ほどになっています。給与額引き上げなどの投資を行ったことで、客単価アップ、業績向上という成果が得られたわけです」

自由に使える時間の3割を人材育成に割く

――それでは、ほかの旅館でも給与額を引き上げれば、良い人材が育てられますか?

三橋「いや、人はそんなに単純ではありません。それだけでやる気になったりはしないのです。重要なのは、従業員にやりがいや希望を感じさせること。『この仕事は楽しい』『ここで働くと成長できる』と実感することで、人は前に進めるのではないでしょうか。

当社では2016年6月、研修施設『モアレキャンパス』をオープンしました。ここでは外部から講師を招いて講座を展開。例えば、美しい所作、正しい接遇のやり方、英会話などが学べるため、例えば、外国人エグゼクティブのお客さまがいらっしゃっても、十分対応できる力を身につけられます。また、従業員同士で教え、学び合う勉強会や、さまざまなレクリエーションイベントも実施しています」

――研修施設を作り、維持するためには、かなりのコストがかかるはずです。例えば、社外の研修施設を借りるなど、もっと安く済ませる方法もあったと思うのですが、あえて「モアレキャンパス」を設立したのはなぜですか?

三橋「トレーニングをするときに、場所の占める重要性はとても大きいと思ったのです。

ばさら邸も含めた日本旅館では、自然との調和が大切です。例えば露天風呂などは、周囲の自然を満喫しながら楽しめる仕掛けになっています。そうした旅館で働くスタッフを育てるためには、ビルの一角にある研修施設では学習効果が落ちると考えました。そこでモアレキャンパスは、緑豊かな小高い丘の上に建設。小鳥のさえずりや雲の移り変わりなどを感じながら、接客スキルなどを学べるようにしています」

――社内勉強会には、どんな狙いや効果があるのですか?

三橋「ばさら邸のスタッフには、英語が堪能な人もいれば、接客スキルが高い人もいます。そうした人に講師役を任せることで、自信や自覚を持たせ、成長を促すことができるのです。一方、勉強会で教わる側にも大きな効果を及ぼします。同僚から教わることで、『あの人に負けたくない』というライバル心を刺激することができるのです。互いに競い合う環境を与え、成長するチャンスを従業員に与えることは、経営者の大きな役割でしょう。

現在のところ、勉強会などは社内のメンバーが中心です。しかし、いずれはほかの宿泊業からも参加者を募りたい。モアレキャンパスを、単に接客スキルを磨くだけでなく、宿泊業の未来について議論できるような場に育て上げたいと思っています」

――教育を重視しているのですね。

三橋「そうですね。宿泊業にとって、人材は何より大切なことですから。おそらく、私が自由に使える時間の3割くらいは、教育に費やしていると思います」

地域全体が協力し、観光地の実力を高める必要がある

――さて、先ほど「宿泊・観光業者の間にネットワークがまったくない」ことに、危機感を持っていたと伺いました。こちらはどういう意味でしょうか?

三橋「観光地の実力の物さしになるのは、旅館やホテルの質だけではありません。観光スポットや地方自治体、地域住民といった要素が全て絡み合って、観光地の質を決めていると思うのです。例えば、京都は一流の観光地です。そこに住む人々が『日本の文化は我々が作った』というプライドを持ち、観光客を迎えている。そうした意識が、京都の観光地としての価値を下支えしているのです。その点で伊勢志摩は、まだ一流とは呼べません。地域としての発信力が、まだまだ足りないと思うのです。

ですから、伊勢志摩の宿泊・観光業者は、協力しながら地域をもり立てる必要があります。ところが、そうしたネットワークは、残念ながらまだ弱いのが現状です」

――どうして、宿泊・観光業の企業同士が協力し合えないのでしょうか?

三橋「どうしてでしょうね。原因の1つは、新たな取り組み・発想に対する拒否反応かもしれません。

今、宿泊業を取り巻く環境は大きく変わっています。外国人旅行者が増える一方、廃業する老舗旅館も少なくありません。10年前と同じやり方を続けていてはうまくいかないのは、誰の目にも明らかなはずです。ところが業界には、古いやり方にこだわり、新しい取り組みを始める人を排除しようとする人が多いのです」

――なぜ、新たな取り組みを拒否する人が多いのでしょう?

三橋「理由の1つは、旅館業に二代目、三代目の経営者が多いことでしょうか。そうした人は、従来のやり方を守ることに慣れているのです。

いずれにせよ、観光地としての力を高めるには、各企業が培ってきた情報やノウハウを結集し、地域全体で協力しながら変わる必要があるのです。そのために、私にどんな役割が求められているのか。今、戦略を練っているところです」

外部のプロ・行政などと協力しながら事業を進める

――ところで、ばさら邸では、さまざまなクリエイター・専門家と協業することが多いそうですね。

三橋「はい。建築やデザインの専門家、広告のプロフェッショナル、ワインのインポーターなど、幅広い外部パートナーと協力し、サービスの質を高めようとしています。

直近では、金融の外部チームを結成しましたね。新しいホテルや旅館を建設する際には、数十億円規模の資金が必要です。これまでは銀行調達で補っていたのですが、銀行だけでは金額面で限界がありますし、資金調達までの期間も長くなってしまいがちです。そこで、大きな資金を短期間でまかなうために、REITやファンドを組み合わせた資金調達の枠組みを作ろうとしているのです。そのチームには税理士、弁護士などが参加しており、次の建設プロジェクトに向けて定期的に打ち合わせをしています。

ルクセンブルクにエージェントを作る計画も立てています。ばさら邸ではインバウンド客の比率を3割に高める目標を立てていますが、そのためにはヨーロッパに拠点を作る必要があると考えたからです。それに向け、別の外部スタッフと協力体制を築いています」

――社外のプロと協力することにはどんな長所がありますか?

三橋「専門家の知識・ノウハウが短期間で手に入る点が、最大の長所ですね。また、外部のプロとお付き合いすることで、スタッフの刺激になる点も隠れたメリットです」

――これから、どんな取り組みを考えていますか?

三橋「やはり、伊勢志摩全体を盛り上げていきたいですね。現在、行政と組んで面白い試みを始めようと協議中です。ただ、そのためには、横のつながりがどうしても必要。伊勢、鳥羽、志摩といった地域の枠、あるいは宿泊業や観光業といった業界の枠を超え、幅広い企業・組織がネットワークをつないで動ける仕組みを構築できればと考えています」

(TEXT=白谷輝英 PHOTO=平山論)

ばさら邸の「働き方改革」ストーリー

ばさら邸の「働き方改革」ストーリーを10のキーワードでまとめると次の4つのSTEPで行われている

※「働き方改革」10のキーワードはこちら