~プロローグ~「#大学生の日常」を再創造するために

2021年03月11日

豊田義博
リクルートワークス研究所 特任研究員
ゼミナール研究会 主宰

コロナが奪った「大学生の日常」

まもなく、激震の2020年度が幕を下ろそうとしている。その終焉を、そして来たるべき2021年度を、290万余の大学生は、どのような想いで迎えようとしているのだろうか。

コロナ禍は、日本の大学生に、とてつもないダメージをもたらした。キャンパスに足を運ぶことができなくなり、「大学生の日常」は失われた。特に今年度の新入生の打撃は大きい。この1年間で、対面授業が一度もなく、まだ一度もキャンパスに足を踏み入れていない、という学生も多数にのぼる。
Twitter 「#大学生の日常も大事だ」には、彼ら彼女らの悲痛な声が今も続々と集まっている。以下の学生の呟きは、その状況を簡潔にかつ的確に表したものだ。

大学は現状でいいと思っているのか?
家の中、たった独りで授業に向かう事がどれだけ苦痛で不安か。
一方的な映像視聴の後に出される沢山の課題。
休学して最初からやり直したいと思わせるほど、学生は疲弊し、追い詰められている。

ここで、改めて考えてみたい。「大学生の日常」とは何だろうか。大学生は、これまでどのような活動をし、どのようなことを学び、何を身に着けてきたのだろうか。
いうまでもないが、大学の講義や演習を受講する、という活動がその中核にはある。大学が提供するカリキュラムに沿って、必修科目、選択科目についての学びを深める活動だ。シラバスに沿って、教科書や配布資料をもとに、新たな知識や技術・技法を学ぶ時間であり、すなわち授業の時間、あるいはそれに関連する自己学習の時間ということになる。2020年度当初はコロナ禍によってこの機会が消失していたが、いずれの大学においてもオンラインによる機会提供をほどなく開始した。大学生の日常の中核は確保されているかに見える。
しかし、現状には大きな欠落がある。だからこそ、これだけの批判的な声が上がったのだ。所轄官庁が対面授業の機会を確保するようにという通達を出したのも、そうした社会からの要請を受けてのことだ。
その欠落は、前出の学生のコメントの中にある「たった独り」という言葉に集約されている。「たった独り」という状況が「苦痛」と「不安」を生み出しているのだ。

「苦痛」と「不安」の正体

学びの基本は観察である。「見よう見まね」で、ひとは何かを学んでいく。スポーツに取り組んだり言語を学ぶ上では、上級者の観察に勝る方法はない。視覚、聴覚など五感をフルに駆使して、ひとはスキルや知識を体得していく。
大学生の学びは、それには当たらない、と思われるかもしれない。形式化された知識をインプットし、何かをアウトプットする、という学習プロセスは観察とは無縁だ、と思われるかもしれない。
しかし、そうした知識のインプット以前に、その授業にどのような期待をし、どのような姿勢で臨むか、という態度形成は、間違いなく観察によって促進される。同級生たちの様子を「感じる」ことによって。それは、授業が始まる前の様子かもしれないし、授業中の態度かもしれない。授業が終わった後に交わされている声などもあるだろう。
その授業に臨む態度のベースには、もちろん学生本人の興味・関心のレベルがある。しかし、そのレベルが同級生の中でいかほどのレベルなのか、自分より強く関心を持っている人が多いのか、それとも、みなあまり興味を持っていないのか、という状況が、観察を通して本人の態度形成に強い影響を及ぼす。だから、観察によって学習態度は前向きにも後ろ向きにもなる。しかし、どちらになったとしても、学生本人の中には「苦痛」や「不安」はなくなる。「こんな感じでやっていけばいいんだな」という心の安定がもたらされるからだ。
今、多くの学生に欠落しているもの。それは、この心の安定なのだと思う。学習態度が定まっていないということなのだと思う。リアルに学生が集まる場であれば、さほど意識もせずに、観察を通して形成されていくものが、宙ぶらりんのままになっている。その姿勢が定まらない中で次々と課題が出されていく。そして、課される課題の多くは、正解のないもの。これは「苦痛」だ。そして「不安」にもなる。

コロナ下でも生まれている「つながり」

だが、こうした「苦痛」や「不安」は、少人数でのゼミや演習科目ではあまり生じていないようだ。グループで課題に取り組んだり、授業中にもZoomのブレイクアウトルームなどの機能を活用して学生同志が対話する中で、学習態度が形成されていく様子がうかがえる。
昨秋、ある都内の大学の一年生にアンケートをとらせてもらった。全面オンライン授業を継続している大学なので、多くの学生が閉塞感に苛まれている中でのアンケートのご依頼には躊躇いもあった。だが、結果は当方の想定をいい意味で裏切るものだった。
同じ大学の同級生の友達はできましたか?という問いにイエスと答えた学生は78%。フリーコメントには「オンライン授業であるにもかかわらず、話の合う友達が何人かできた」「Zoomのみの授業ですが、夏休み終了後の授業で会話が弾んだので、打ち解けてきてるなと感じた」「●●と●●のクラスではブレイクアウトセッションが多く、つながりを深めることができた」という意見が散見された。オンライン環境でも、つながりは生まれているのだ。対面で実施していた時と比べれば、その広がりや深みには大きな差があるのかもしれないが、共に学んでいるコミュニティは形成されているし、またそのつながりがもたらす力は大きいと言えそうだ。
つながりは、学生同志に限ったことではない。先のアンケート結果では、教員とのつながりができたと回答する学生は32%。コメントを見ると、つながりは初年次ゼミの担当教員に限らない。教員に関するコメントも思いのほか多かった。以下はその一例だ。

『大学の先生は基本放任主義』といったイメージがあったのですが、先生に質問したり、課題を提出した際にも、こまめにチェックして連絡をして下さって、それがとても驚きましたし、嬉しかったです。

そのつながりは、授業の場に限らない。先のアンケートでクラブやサークルに入っていると回答した学生は38%。学外の趣味・スポーツ系のコミュニティに入った人は19%。アルバイトを始めた人は62%。ある学生団体に加入した学生は、こんなコメントを記してくれた。

コロナでできることががらりと変わって色々と組織内で混乱はあった。しかし、そこではすべての先輩方が熱心に私たち新入生のために時間と労力を使ってくれ、私を成長させる場にしてくれた。ぜひ私も、来年後輩を迎えたら、彼らのように温かくサポートしたいと思った。大学には通えていないが、こうして人とつながりを持てる場に入れてよかったと思っている。

一大学のデータをすべての状況にあてはめることはもちろんできないが、コロナ下においても、様々なつながりが生まれていることは間違いないだろう。

「マルチリレーション社会」の到来

「大学生の日常」とは、つまりは、このような様々なつながりそのもの、なのではないだろうか。その中核は、大学から提供される様々な学習機会を通した経験・学習を指すのだろうが、その経験・学習には、学生同志のつながりや教員とのインタラクションが欠かせない。そして、経験・学習の機会は授業の場に限らない。サークルもバイトも、友だちづきあいも。大学生という4年間の期間に、様々なコミュニティに参加し、様々なつながりを通して何かを獲得していく。それが「大学生の日常」なのだ。
高校生までにも、いくつかのコミュニティには所属していた。クラスメイトはいたし、部活もやっていた。しかし、大学生になると、授業ごとにその顔触れは異なるし、コミュニティの選択の幅も劇的に広がる。主体的にコミュニティを選択し、つながりをつくっていくことが求められる。そして、選択したコミュニティ、得られたつながりを通して、自分というものを創り上げていく。つながりなしには、自己を創り上げていくことはできない、と言い換えてもいい。そして、つながりの重要性は大きく増している。
リクルートワークス研究所は、つながりの価値がこれまで以上に高まり、 その多様性や関係性の質が重視される時代の到来を予見し、 来るべき社会を 「マルチリレーション社会」と名付けている。その提言書には、幸福感と人とのつながりは密接な関係があること、つながりの質と多様性が重要なことが謳われ、日本社会は他国に比べてつながりが職場と家族に集中し、かつそのつながりが希薄化していることが指摘されている。

人とのつながりが持つふたつの性質

また、人とのつながりには、安全基地としてのベース性、目的共有 の仲間としてのクエスト性というふたつの性質があり、ベース・リレーション、クエスト・リレーション双方を持つことで、キャリアの見通しが高まるという構図を大規模調査の結果を踏まえて提示している。そして、その背景には、つながりを通じて、人生やキャリアを豊かにす る「安心」「喜び」「成長」「展望」というギフトを受け取っていること、対話を通じた新たな 気づきや価値観の創造が生まれていることが指摘されている。

図表1:人のつながりが持つふたつの性質図表1-1.jpg図表1-2.jpg

図表2:つながりから得られるギフト
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社会へと飛び立つスタート地点とも呼べる大学生活において、様々なコミュニティに参加し、ベース・リレーション、クエスト・リレーションを獲得すること。そして「安心」「喜び」「成長」「展望」というギフトを受け取ること。これが「大学生の日常」だ。そして、その日常が、大学生一人ひとりの未来に大きく影響を与える。大学生活を通して得られたつながりが人生の資産となることはもちろんこと、そこから得られる新たな気づきや価値観の創造とは、つまりは自己を創り上げることそのものだからだ。
大学を卒業し、働いている20代へのインタビューを行う中で、「現在の自分(ものの考え方、能力などトータルに)を100とした時に、大学時代に得たものは、どの程度のものだと思うか」を問うと、ほとんどの人が50以上の数字を掲げる。高校まで、社会人になってからのほうが時間的にはるかに長く、経験の数も多いであろうにもかかわらず(詳しい結果は、このウェブ連載の中でご紹介していく)。この事実を、重く受け止めたい。大学生の日常は、その人自身を創り上げる極めて重要な基盤なのだ。

このウェブ連載では、こうした視界と問題意識のもとに、「#大学生の日常」には、どのような学習が埋め込まれていたのかを明らかにしていく。大学において人文・社会科学を専攻した20代社会人への定量調査、インタビュー調査を通して、アフターコロナのキャンパスライフを浮き彫りにしていく。
調査においては、大学生活を「いくつものコミュニティに属し、コミュニティでの活動、人とのつながりを通してさまざまな経験・学習を獲得する期間」と定義した。そして、その第一の成果を、それぞれのコミュニティからどの程度のベース・リレーション、クエスト・リレーションを得たのか、ギフト(安心、喜び、成長、展望)をいかほどに獲得できたか、と定義した。また、ベース・リレーションからは主に「安心」「喜び」を、クエスト・リレーションからは主に「成長」「展望」を受け取ると置き、「安心」「喜び」をベースギフト、「成長」「展望」をクエストギフトと呼ぶこととした(※1)。

図表3:ベースギフト/クエストギフトcampuslife03.jpg

「大学生の日常」は、卒業後にどうつながるか

調査分析では、第二の成果についても検証する。「大学生の日常」は、そしてそこから獲得されたベースギフト、クエストギフトは、卒業後にどのようにつながるのか、という視点だ。社会に旅立ち、職業に就き、成果を上げていく上で必要な能力を身に着けているのか、という視点だ。
図表4は、リクルートワークス研究所が体系化している職業能力の構造だ。

図表4:職業能力の構造campuslife04.jpg

大学教育をめぐる従来の議論では、基礎力(ジェネリックスキル)への着目が主眼なっている。どのような仕事に就くにおいても必要な能力であり、各大学が掲げるディプロマポリシーや一部の大学が構築しているディプロマサプリメントにおいても、コンピテンシー、リテラシーをその項目の一部に組み込むケースがみられる。その必要性は言を俟たないだろう。それを踏まえたうえで、今回の調査では、職業的態度=Attitude (表層的な態度を示すBehaverではなく、姿勢や価値観を包含するAttitude)の中核要素である環境適応性に着眼した。
基礎力、専門力を支えるものとして、職業的態度の存在は大きい。倫理観やプロ意識などによって構成される職業的信念は、仕事経験を重ねる中で時間をかけて醸成されていくものだが、「自己信頼」「変化志向・好奇心」「当事者意識」「達成欲求」から構成される環境適応性は、基礎力、専門力の形成、発揮の土台となるものであり、キャリア初期から必要なものだ。
自己信頼とは、現在の自己、将来の自己に対して信頼を持っている態度を指す。キャリア展望が見えない状況においても、何とかなるだろう、と自身を信頼して前に進めるかどうかは、自己信頼の有無に大きくかかわってくる。
変化志向・好奇心とは、変化や刺激を前向きに受け止め、新たな環境や課題に積極的に向き合っていく態度を指す。未知なる状況に遭遇した時に、その状況に前向きにコミットできるかどうかは、生き方、あり方に大きく影響を及ぼす。
当事者意識とは、目の前にある課題を「わがごと」としてとらえ、主体的に解決しようとする態度だ。望まぬ環境に身を置くことになったとしても、他責的になることなく、オーナーシップを持って対峙していくことが求められる。
達成欲求とは、自ら定めた目標を達成し、成功しようと努力する態度であり意欲だ。難しいチャレンジングな状況においても、それを何としても成し遂げたいという強い想いが大きな支えになる。
「大学生の日常」、特には今回調査対象とした人文・社会学系の大学生のそれからは、職業に直結する専門力の獲得はあまり期待できないが、基礎力の獲得は期待できるだろう。しかし、より大きいのは、ものを考えたり、ことに対峙したりする態度(姿勢・価値観)の形成なのだ。インタビューに協力してくれた20代のインベストメントバンカーは、今の自分への大学生活の寄与について、能力に限定すれば20%、しかし、ものの考え方やことへの接し方、つまりは態度まで含めると、その寄与は50%になるとコメントしてくれた。ベースギフト、クエストギフトから育まれるのは、そのような態度なのであり、それこそが自己の中核だ。

図表5:ギフトと職業能力の関係campuslife05.jpg

20代を取り巻くふたつの社会変化

環境適応性に着眼した社会的背景もある。ひとつは、環境変化が常態化しているという現代社会の特性に起因するものだ。21世紀は、これまでの常識が覆るような環境変化が絶え間なく続く、先が見えない時代なのだ。コロナ禍はその典型といっていいだろう。このような状況の中で、変化を前向きに受け止め、自己を信頼し、オーナーシップをもって何かを成し遂げようとするのか、呆然と立ち尽くし、変化を嘆き、元に戻ることばかりを希求してしまうのか。その差は実に大きい。
もうひとつは、企業の人材育成力の劣化だ。日本企業の現場の強さを支えていたOJTの力がずいぶん前から衰えている。前述の通り、職場のつながりが希薄なっていることがそのひとつの要因だが、もっと大きな要因は、ジョブデザインの変化にある。かつては、大きな仕事をみなでやる、やり方は、見よう見まねで学ぶ、というスタイルだった。ウェンガー&レイヴが提唱した正統的周辺参加という学習モデル(※2)は、往時の日本企業に実によく当てはまる。しかし、技術やサービスの高度化、複雑化伴い、業務は細分化。マニュアル化された。それに対応し、マネジャーもプレイヤー化し、若手との対話は大きく減少した。さらに、仕事環境の変化による仕事のブラックボックス化が輪をかける。かつては職場にいるだけで目や耳に入ってきていた文字情報、音声情報が、PCやスマホの中に取り込まれ、少し前であればフリーアドレス、今はリモートワークの進展などによって、リアルな職場は消失した。かつては職場にいる(正統的周辺参加)だけで観察し、試し、熟達することができたが、今はできなくなった。この状況に対峙するには、それなりのレベルの環境適応性が必要だ。与えられた状況に自らをアジャストさせていくだけではなく、その状況を自らにとって望ましい方向に変えていくような姿勢も、そこにはもちろん含まれる。

「#大学生の日常」を再創造するために

この連載の今後の展開について、簡単に触れておこう。
次回からは、4回程度にわたって定量調査の分析結果をお届けする予定だ。働く20代=ビフォーコロナの大学生は、どのような日常を送っていたか。どのようなコミュニティに参加し、どのような活動をし、そこからベースギフト、クエストギフトをどれぐらい得ていたのか。そして、そのギフトは、環境適応性を育むことにつながっているのか。結果を少しだけ先取りすると、クラブ・サークルのインパクトはやはり大きいが、専門ゼミをはじめとする学びコミュニティの存在も十分に大きいものであった。そして、ギフトを得ている(元)学生はたくさんいるが、卒業後につながるギフト、つながらないギフトがある。
その後には、インタビュー調査の分析結果をお届けしたい。彼ら彼女らが深くかかわっていたコミュニティでの活動は、大学生活の中でいかほどの比重(マインドシェア)を占めていたのか。そこで受け取っていたベースギフト、クエストギフトとはいかなるものなのか。何名かの事例紹介、コミュニティの特性分類などをお届けしたいと考えている。
連載のしめくくりには、得られた知見を踏まえての提言を試みたい。ウィズコロナ、アフターコロナにおいて、自己形成に、そして卒業後につながる「#大学生の日常」をどのように再創造していくか、構想を提示してみたい。オンライン、ハイブリッド授業のあり方へも必然的に言及することになるだろう。

最後になるが、この連載の発信主体は「ゼミナール研究会」という実践コミュニティである。専門ゼミおよびそれに代表される少人数教育の場に深い意義を抱き、そのあり方を問い、大学生の学びの質をいかに高めていくかを探索し、実装していくコミュニティである。ゆえに、提言の中心は、専門ゼミナールをいかなる場へとしていくか、ということになるだろう。しかし、そのビジョンは、それ以外のコミュニティ、学びの場のリデザインにもつながるものになるはずだ。
なお、この文章を書いている現時点で、まだ定量分析は終了していないし、インタビュー調査は実施中である。だから、読者の皆さまからもしご意見やご要望を頂けたとしたら、分析の視点などに反映していきたいと思う。また、「ゼミナール研究会」は、大学教員を中心とした10名の小規模なコミュニティだが、共に活動してくださる方を希求している。
筆者のメールアドレスを以下に提示する。ご意見やご要望、活動にコミットしてくださる方からのアクセスを心待ちにしている。
toyo@r.recruit.co.jp

 

(※1)提言書「マルチリレーション社会への誘い」では、ベース・リレーションからは「成長」「展望」も得られることが指摘させている。
(※2)レイヴ&ウェンガーが著した書籍「状況に埋め込まれた学習」を参照されたい。このウェブ連載のタイトルは、同書籍へのオマージュである。

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