(1)ピープル・アナリティクス 0.5:データ分析以前

2016年03月01日

時代背景:バブルによる好景気の享受

国内市場は、バブル景気に沸き、典型的な大量生産、大量消費社会にありました。加えて、先進国を中心とした主要な海外市場においても、高品質で安価な日本製品が市場を席巻しました。その結果、「貿易摩擦」、「Japan As No.1」が流行語になっていました。そのため、商品・サービスの均質性が重視され、高品質と高効率の両立が重要な経営テーマになっていました。 この経営課題に対応すべく、日本企業の多くは、「より良い品をより安く」をキーワードに、海外生産→国内消費という事業モデルを一般化させました。
しかしながら、1991年のバブル崩壊に伴い、多品種少量生産へのシフトが強いられることになり、その対応を迫られつつも、歩みが遅く、「失われた20年」と後に言われる時期に突入したのでした。

労働市場は、圧倒的な売り手市場であったため、終身雇用・年功序列の人事管理がもてはやされました。その結果、会社への高い忠誠心が何より重視される時代でした。長時間労働をいとわず、会社のためにすべてを捧げることが期待されました。また、「商社マン」「銀行マン」という言葉で語られたように、「その会社の色・しきたり」に染まることが求められましたし、個人も、「就社」という言葉に代表されるように、会社主導のキャリア形成に身を委ねることが一般的でした。

パフォーマンス管理:終身雇用を基盤とした全人格的な評価・人材管理

80年代に一気に電算化された人事情報システムにより、評価履歴などはデジタル管理されるようになってきました。しかしながら、実際の査定は、現場から上げられたアナログ情報を中心に行われていました。業績を上げやすかったバブル時代においては、目標達成そのものよりも、「能力・情意」が重要視され、成果に加え、会社への忠誠心や業務の熟達度といった人物面の評価に力点が置かれました。

キャリア管理:人事部による職人芸的キャリアマネジメント

異動履歴や評価履歴はデジタルデータとして管理されていましたが、配置・ローテーションの意思決定は人海戦術で行われていました。人事部主導で素案を策定し、人材開発会議などの会議体を通じて、全社員のキャリア管理が行われていました。
また、育成方針は、特定領域のプロを創るというよりも、企業特殊性の高い能力に長けたゼネラリスト育成に注力していました。終身雇用・年功序列を前提とする中では、会社の内部事情を熟知した人材の育成に注力することが合理的であったためです。そのため、複数の異なる業務領域を経験させながら人材を育成する横断型ジョブローテーションが主流となっていました。