山崎亮氏 コミュニティデザイナー、株式会社studio-L 代表取締役

2015年02月20日

「良質な人のつながり」をつくること、そして、地域の人々が抱える地域の課題を自分たちで解決していくための「仕組み」を設計すること。それが、コミュニティデザインという仕事だ。提唱者であり、本領域の旗手として奔走しているのが山崎亮氏である。起業して約9年。日本各地において、地域ブランディングや中心市街地の活性化、施設・空間活用など、多様なプロジェクトを手がけ、まちの担い手となるコミュニティづくりのサポートをしてきた。よりよい社会の実現のために、"モノをデザインしないデザイナー"としての役割と可能性を追求しながら、日々挑んでいる。

ココミュニティが持つ力に触れて
生まれた意識の変化

子どもの頃から絵を描くことが好きで、広くデザインに興味を持っていた山崎氏は、大学・大学院で建築学を学んだ。修了後は定石どおり設計事務所に入所し、建築やランドスケープのデザイン職に就いていたが、ある時、市民参加型のパークマネジメントの仕事に携わったことで、一つの"気づき"を得る。それが今日の仕事、コミュニティデザインへの扉となった。

勤めていた設計事務所では、公園のような公共空間の仕事が多かったんです。ただ設計してつくるのではなく、マーケティングというか、その空間を使うであろう人々の意見に耳を傾けるワークショップを重んじるのが事務所の方針で、僕も関わることになりました。

その最初の案件が、兵庫県にある「有馬富士公園」のパークマネジメント。物理的なデザインを変えることはもとより、その空間を利用し、自ら運営するコミュニティをマネージする仕事です。元来僕は、カッコいいもの、人から「すげえな」と言われるようなものを建てたいと、ハードの設計ばかりに熱中していたから、ワークショップみたいな仕事は嫌だったのに……「山崎はよくしゃべるから」と(笑)、巻き込まれた格好でした。

ところが、ワークショップで人々と意見を交わしながら建築デザインを決めていく作業が、ことのほか面白く、刺激的だったのです。そして、その場に参加している人たちから、「新しい空間でこんなことがしたい」という主体的な意見が出るようになり、そこで生まれたコミュニティが活動を持続させていく、そんな様を直接見ることができた。人のつながりが希薄になった今日において、コミュニティが持つ力に触れられたことは大きかったですね。仕事に対する意識が、明らかに変わりました。

そしてもう一つ。ワークショップに携わっていると、時に、「山崎さんが動いてくれたおかげで素晴らしいチームができたし、私たちの人生が変わりました」というほどの感謝の言葉を耳にすることもある。「あっ、俺、褒められているかも」――実はこの感覚が、仕事の大きなモチベーションになっていると、山崎氏は少し照れながら本音を語ってくれた。

人から褒められたり感謝されたりするのが大好物なんですよ(笑)。多分、昔からずっと。もっとも"褒められたい症候群"を自覚したのは最近のことで、以前は角度が違って「自分を認めてくれ」という感覚が強かった。

僕は、父親の仕事の関係で、転校を繰り返しているのですが、それが素地になっているのでしょう。転校するたび、新しい環境下で気を張り、仲間外れにならないよう必死でした。子どもですからね、何か人の役に立つことで自分のプレゼンスを発揮するアイデアなど浮かびようもないから、とにかくコミュニティに割り込んでいく。その時、「お前と俺、どっちが強いか」という『ドラゴンボール』的な男子特有の感覚で、相手を負かす、威圧することで存在をアピールしていたわけです。高校生までは、ずっとそんな調子でしたね。

阪神・淡路大震災が起きたのは、僕が大阪府立大学に在学していた時です。空間建築を学ぶさなか、空間が倒れて人を殺してしまったという事態を目の当たりにした時、言いようのない感覚に襲われた。

震災後、混乱が続く地区と、もとよりコミュニティが強くて早く復興活動に入れた地区とが、明確に分かれたのを見ていて、考えさせられたのです。これからは絶対に倒れない空間をつくるべきなのか、あるいは、自分が持つクリエイティビティを人のつながりを構築するのに生かすべきなのか......。僕としては後者かなぁと思いながらも、それがどんな仕事なのかわからず設計事務所に勤めたんですけど、前述のように、そこで経験した仕事のおかげで新たな道筋が見えた。加えて、子どもの頃からあった「認められたい」気持ちを、「これが俺の作品だ」という威圧ではなく、人に役立つかたちで発揮できる。自分のなかのモヤモヤが晴れたような感覚だったのです。

危機をチャンスと捉え、
コミュニティデザインという新領域を確立

山崎氏が現在の仕事に舵を切るにあたっては、外的な要因もあった。減少の一途をたどる日本の人口に伴い、高度経済成長期より積極的に推進されてきた道路やハコモノなどの社会資本整備も、大きく減少傾向にあるという事実。社会資本に対する維持管理・更新投資は増えても、新規投資は厳しい制約を受ける将来に、山崎氏は強い危機感を抱いたという。

つまり、公民館だの市役所だの、あるいは美術館などといった建築物を新規に建てる仕事が激減することを意味しています。関係白書でそういう将来予測を目にした時、「やばい、仕事がなくなる」と。設計に携わっているそばから「ハコモノはもう必要ない」と言われ、それって、僕らの仕事は人々から求められていないということでしょ。少なくともそこには、「いいものをつくってもらった」と、僕が描いていた感謝される自分像は望めない。

自分自身が身を置く業界だから、敏感にもなります。でも、そこから派生的に考えれば、医療福祉、教育、環境、エネルギー問題......生産年齢人口の減少と超高齢社会がもたらす構造変革は、すべてに及んでいる。もはや行政任せにはできず、自分たちの課題は自分たちで解決しなければ全業界がもたない。危機感は大きかったですね。

しかし一方で、これはチャンスだとも思ったのです。デザインをやる人間の性のようなもので、悲嘆するより、いいネタを見つけたという感じ。元来デザインって、何にも縛られず「自由にやってくれ」という仕事はやりにくくて、むしろ、予算や面積などの制約があるなかでアイデアを捻り出すほうが燃えるものです。出てきた課題を、いかにクリエイティブに解くか。それを習慣にしてきたから、「日本、やばいぞ」と思った時、「これをうまく解いたら、感謝されちゃうかもね」と、少しニヤリとしたわけです。

内なる気づきと、社会ニーズを確信した山崎氏は、コミュニティデザインに専念するべく、2005年に独立、studio-Lを設立する。地域住民自身に問題意識を持たせ、解決のために組織をつくり行動していくことを促す活動は、コミュニティ・オーガニゼーション(住民組織化)と呼ばれ、アメリカでは古く40年代に確立された手法である。ここに、デザインという領域を組み込んだのが山崎氏だ。

マレー・ロスが、その名もずばり『コミュニティ・オーガニゼーション』という著書で、その方法論を体系化しています。アメリカ大統領だったオバマ氏が、大学卒業後にコミュニティ・オーガナイザーとして活動していたのは有名で、次世代リーダーを養成する手法としても注目されています。

領域としては、医療福祉を住民組織で担うコミュニティ・ケアなどが代表的ですが、いろいろと調べてみても、そこにデザイナーが関わっている事例がほとんどなかったんですね。加えて、「健康づくりが大事です」「障がい者をサポートしています」というコミュニティ・ケアは、その道の関係者だけで運営され、外からの見え方として、どこか排他的にも感じられた。

医療福祉に限らず、住民皆が「カッコいいよね、楽しそうだよね」と思って関わらないと、本当の意味で協働にならないじゃないですか。一部の人たちだけの自己満足で終わってはならない。それぞれのコンテンツや活動が多くの人に広がらなければ意味がないと考えた時、コミュニティを組織化する方法は研究されていても、ここにデザインが存在しないのはもったいないと思ったのです。僕的に言えば、それは美しさやカッコよさ。コミュニティ形成も経験してきた僕だったら、何かできるかもしれない――だから、コミュニティデザインなのです。

全人的な技量でもって、
正面からあたらなければ成立しない仕事

まちづくりや課題解決を行うワークショップにおいて、山崎氏が重んじているのは、合意形成と主体形成、この二つを同時進行させること。時には、反対する住民との対話の糸口を探すことから始まる難しいワークショップもある。地縁型コミュニティが強ければ、幾多のしがらみもある。人と人との関係性に着目しながら何かを成し遂げるのは、容易な仕事ではない。

合意形成では、最初のインプットが重要になります。一見、誘導に思われるかもしれませんが、まちのビジョンはどうなっているのか、どんな生活にしたいのか、つまり今回の狙いというものをある程度方向づけしないと、参加者の考えが散り散りになってしまう。その際のインプットをいかに短く、質の高いものにするかが鍵で、論理はもちろん、ビジュアルや熱意、熱量が大切になってきます。

だから、地域を十分にリサーチしたうえで、その場にいる人たちの何割が理論派で、何割が感性派なのか、そんなことも見ながら説得力のあるインプットを目指す。そうしなければ、いいアウトプットは得られませんから。

そして、同時にやっておくべきは主体形成。いわばチームビルディングで、参加者が協働できるプラットフォームや関係性を共につくっていく作業です。キーパーソンは誰で、どのような組織をつくればプロジェクトがうまくいくか。まちづくりをしていくうえでのそれぞれの能力や役割を見いだしていく――ここにはマニュアルなどなく、端的に言えば、人間関係を見る力が求められる。僕自身も学び、最も努力している点です。

困っていること、やってみたいことを地域住民から聞き出し、必要があれば専門家への橋渡しをし、あるいは民間企業とまち、コミュニティを結ぶプロジェクトもデザインする。総じて、日本人は自発的なディベートやディスカッションを得意としないから、コミュニティの立ち上げ期には、やはり山崎氏らのようなファシリテーションの専門能力を有する存在は必要である。

基本、僕はすべての人に役割があると考えていて、それぞれが持つ得意な部分を組み合わせていけばいいと思っています。ただ、合理性を追求するあまり、不得意なことはさておき、得意なこと、面白いと思えることだけをガンガン強化していって、互いを補完するチームをつくればいいという話ではありません。昨今はこの風潮が強いけれど、僕はあまり気に入ってないんですよ。

欲張りな話かもしれませんが、誰にもある不得意で嫌いなことを、まずは平均点まで上げ、そのうえで得意な部分をグッと伸ばしてほしい。スタッフにはそう望んでいます。当然、僕自身にも。僕らの仕事は、最効率を目指しているわけじゃないし、時には一人で100 人を超える人たちのファシリテーションをしなければならない。全人的な技量でもって正面からあたらなければ、成立しないのです。

コミュニティデザインの仕事は、実は女性に向いています。ワークショップでも、漂っている全体の関係性を本能的に見抜き、配慮し、臨機応変にその場で何かを成し遂げていく姿を見ていると、それを痛感させられます。僕も含め、概ね不器用な男性に比べると、あっという間に地域に溶け込んじゃう。現に、一定の経験を積んだうちのスタッフリーダーには女性が多く、本当にかなわないと思いますね。僕が始めた仕事ではあるけれど、より技量ある人材として、これからは若い女性がどんどん出てくるでしょう。

若い人が持つ熱情や無鉄砲さ。
それこそが社会の財産である

山崎氏が率いるstudio-Lの最終的な目標は、「自分たちの仕事が社会的に必要なくなること」。つまり、コミュニティデザイナーがいなくても、人々が自らの力で人生を切り開く社会の実現だ。それが、山崎氏の切なる願いである。

生産年齢人口が減り、税収が減り、もう国や自治体が今までのような至れり尽くせりの公共事業をできなくなるのは自明です。ハード面でもソフト面でも。現況だけを見れば、確かに大変な話です。だからこそ、地域の課題は、できる限り地域で解決していかなければ、もう仕方がないのです。

そもそも、100 年ほど遡れば人口は5000万人弱だったわけで、我々は、急激に人口が増えたある種特異な時代を生きているのです。それが、元の状態に戻ろうとしていると。かつての日本は、集落単位で皆が力を合わせて生活を営んでいたわけですよね。道をつくり、家の修復もし、冠婚葬祭、よろずの事を協力し合ってきたのです。それが人口急増でお金が回るようになると、行政や専門家に頼めば何でも解決できるような時代になり、いつの間にか、道路を清掃するにも役場に電話して「掃除せい」みたいな話になっている。

これは、ごく限られた時代だけのこと。もう一度、人々がコミュニティの力を見直し、自分たちの面倒を自分たちで見ていくマネジメントを実現しなければ、国が破綻してしまいます。「至れり尽くせりを続けて」と陳情し続けても、先はありません。

社会に対する強い思いと使命感を持つ山崎氏だが、彼にも「何をやればいいかわからない」時期はあった。自身の模索時代があるからこそ、今は、若き後輩たちに強いメッセージを送ることができる。「理想は高く語っていいし、生意気なことも言えばいい」と。

阪神・淡路大震災のあと、あまりの無力感からオーストラリアにある大学に留学したのですが、これは一つ、転機になりました。日本の建築はレベルが高いので、正直、学問的には新たな発見があったわけではないけれど、自律的に学び、そこから世の中に貢献しようと考えている多くの学生たちと交流するなか、生きることへの興味、面白さを感じたのです。

それまで、好きなデザイン以外はろくすっぽ勉強せず、実に適当な学生だったのがガラリと変わった。何かに突き進むとか、将来を熱く語ることが、何だかダサいという風潮もあったし、僕はむしろ、冷めた感じを装っていたんですよ。素になれば、これだけ熱くしゃべっちゃう人間なのに(笑)、自分で蓋をしていた。それが、すっかり取り払われたということです。

熱くなるべきだと思いますね。若い人が否応なく持っている熱情だったり、何も顧みず走っちゃう無鉄砲さだったり、それこそが社会の希望であり、財産なのではないでしょうか。ものすごく大事な気がするんです。だから、年配の人に諌められるような生意気なことでも言えばいい。それは、語るに恥ずかしくない人生を送るためのエネルギーになります。だって、「お前、あんな偉そうなことを言ってて、今それなの?」みたいな様にはなりたくないでしょ(笑)。

誰でも、年を取ってくればどこか落ち着くし、冒険心や挑戦する気持ちが丸まってくるものです。きっと、本当に優秀な無鉄砲な人でないかぎり"生意気なおじいちゃん"になれないと思うので、目指すはそこです。僕も高い理想を掲げ、自分を鼓舞しながら人生を送りたいと考えているところです。

TEXT=内田丘子 PHOTO=刑部友康

プロフィール

山崎亮

コミュニティデザイナー 株式会社studio-L 代表取締役

1973年愛知県生まれ。

大阪府立大学農学部卒業。大阪府立大学大学院(地域生態工学専攻)修了後、 SEN環境計画室勤務。2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトを多く手がける。現在、東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)、京都造形芸術大学教授(空間演出デザイン学科長)、慶應義塾大学特別招聘教授も務める。