第3回 「社会心理学研究」の観点から 宮本百合 氏

人生の目的や健康との関係についても着目する

2020年07月07日

【プロフィール】

宮本先生.jpg宮本百合(みやもと・ゆり) ウィスコンシン大学マディソン校心理学部教授。京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程を修了した後に渡米し、2006年、ミシガン大学心理学部でPh.D.取得。同年より14年間、ウィスコンシン大学マディソン校にて文化・社会心理学の研究と教育に従事。認知、感情、健康の文化的基盤に関する数多くの論文を発表している。

「働く×生き生き」これまでの研究結果を読み解く

人が持つ“資源”と心理傾向との関係

社会心理学では、人は所有する資源が増えるほど「個人志向的」な心理傾向が増し、逆に、他者や社会との関係性を重視する「関係志向的」な心理傾向は減少するとされています。ここでいう資源には、経済的なものだけでなく、教育や職位などによって得られる社会的・文化的な資源も含みます。一般的に、こうした資源は所得や教育水準などが高い人ほど持っています。アメリカの研究では、そのような人ほど自尊心が高く、自分の個性の発揮や目標追求に重きを置く傾向にあり、周囲に合わせる同調行動や利他的な行動は取らないと指摘されています。また、資源というのは社会や国全体の経済状況によって影響を受け、時代によっても変化するので、例えば、社会の経済的豊かさが増せば、それに伴って人々の個人志向的な心理傾向は増し、関係志向的な心理傾向は減るということも示唆されています。

資源が増えるというのは自由度が高くなる、つまり、自分がしたいことをするための制約が少なくなることなので、資源が増すにつれて個人志向的、目標志向的な心理傾向が増すのは、ある意味普遍的なことだと考えられます。今回皆さんが行った調査で、「生き生き働く」要因として「自由にできる」という表現に象徴されるような個人志向的な記述が多く見られたのも、社会の豊かさの変化と関係しているのでしょう。

これらの知見からすると、企業の中での地位や立ち位置によって、その個人の「生き生き働く」要因はどう変わるのか、そして社会の豊かさの変遷とともに、社会全体として「生き生き働く」要因はどう変わるのか-それらを通時的にも見ていけたら面白そうです。

個人志向と関係志向、2つの価値観が両存する日本

一方、日本などの儒教文化圏に目を向けると、個人志向と関係志向は、必ずしも相反するものではないんですよ。近年の私たちの研究では、日本では、社会階層が高くて資源を持っている人ほど個人志向的な心理傾向を持つとともに、関係志向的な心理傾向も持っていることがわかってきました。アメリカとは違って、高い自尊心を持ちつつも、社会的義務の重要性も感じている。他者との関係性や社会に対する責任などを重んじていて、社会階層が高い人ほど非社会的になるというわけではないのです。加えて、過去60年間の価値観の変化を日米で比較したメタ分析によると、GDPの伸びに従って個人志向的な価値観が増えてきた点は同じですが、明らかに違うのは関係志向的な価値観。日本では減っていないか、むしろ増えていることがわかっています。

「生き生き働く」を実感するためには、この両方の価値観が満たされないと難しいのかもしれませんね。日本で長らく「仕事のやりがい」が低下しているのは、個人の価値観や生活様式が変化しているのに対して、職場環境がそれと対応するほどには変化できていないことを反映していると捉えることもできます。個人志向的な心理傾向と関係志向的な心理傾向が両存している日本の状況を考えると、企業としても、関係性の維持や社会的責任感の充足に配慮しつつ、一人ひとりの個性や目標追求を支えることができる環境をつくっていくことが重要だと思います。

「働く×生き生き」これからの研究課題を紐解く

多面的な指標から仕事のやりがいを上げるヒントを

仕事のやりがいに加えて、人生の目的、生きがい(Purpose in Life)や、さらには健康との関係についても調査できたらいいのではないでしょうか。人生の目的や生きがいを持つことが健康に良い影響を及ぼすことは、多くの研究が示しています。私たちが日本で行った研究でも、人生の方向性や目的について考えを持っている人ほど、糖尿病の指標の一つであるヘモグロビンA1cの値が低いことがわかっています。ちなみに、これらの結果は、学歴や年齢、健康行動による影響を取り除いたうえでも同様でした。そして興味深いのは、生きる目的を持っている程度と、「楽しい」「満足」などのポジティブな感情を日常生活で感じている程度の両者を比べると、ポジティブな感情はヘモグロビンA1cと全く関係していなかったこと。つまり、「生きる目的を持っているかどうか」のほうが「楽しいと感じているかどうか」よりも、糖尿病の指標と関係が深いというわけです。

当然のことながら、人によって人生の目的はさまざまです。仕事と人生の目的が重なる人もいるでしょうし、仕事とは異なるところに人生の目的を見出している人もいるでしょう。仕事のやりがいと人生の目的の両方を調べることで、一人ひとりにどのようなプロフィールがあるかを同定し、さらに、健康などへの示唆を調べることには意味があると考えます。そして、そこから仕事のやりがいを上げるヒントも得られるのではないでしょうか。人生の大きな部分を占める職場が、個々人の人生の目的をサポートしていく環境として整えば、仕事のやりがいに大きくつながると思いますね。


執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。

関連する記事