第14回 「障害と経済」 松井彰彦 氏
多様な依存先を選べる自立環境を作ることが大切
【プロフィール】
松井彰彦(まつい・あきひこ)東京大学大学院経済学研究科教授。米国・ノースウェスタン大学M.E.D.S.にてPh.D.取得。米国・ペンシルベニア大学経済学部助教授、筑波大学社会工学系助教授を経て、2002年より現職。理論経済学、ゲーム理論、障害と経済の理論を主な研究分野とする。『高校生からのゲーム理論』(2010)、『障害を問い直す』(2011)、『市場って何だろう』(2018)など著書多数。「ゲーム理論の観点から社会現象全体を解釈しようとする研究」により、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。
探求領域
経済を「自立」と「依存」という枠組みで捉え直してみる
相互依存的な状況における人間の意思決定の理論(ゲーム理論)を研究してきた中、近年取り組んでいるテーマに「障害と経済」があります。障害関連の問題は、社会に暮らす人々の交流から生まれる社会的な現象であり、ゲーム理論がその問題に有用なアプローチを提供するのではないかと考えています。
取り組みを始めたきっかけは、研究仲間でもある障害者から聞いた興味深い話でした。肢体不自由で車椅子生活をしている彼は、幼い頃から母親の全面的なサポートを受けてきたわけですが、あるとき思ったそうです。「こんな生活を続けていると、母が死んだら僕も死ぬな」と。それで大きな決断をし、大学入学を機に実家を離れて上京、一人暮らしを始めた。彼は、ここから「自立」を感じたというのです。もちろん、生活介助は変わらず必要なんですよ。それを「このことはAさん」「あのことはBさん」というように、支援者の輪を広げていったのです。つまり、母親という太い1本の命綱から、多くの支援者に依存する状態に変化したわけです。支援が“網の目”になれば、仮に1本、2本切れても何とかなる。そして、依存先が増えることによって、一人ひとりに対する依存度は下がる。これらを指して、彼は「自立」だと表現したのです。
多様な依存先を選択できる状態こそが「自立」
これはもう、経済学の考え方と全く同じ、市場の本質だと感じました。彼は「依存先が十分に多い」という言い方をしましたが、換言すれば、相手に独占を許すようなことがない状態です。独占の弊害例として、私はよく宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』を挙げるんですけど、この中には、猟師が熊の毛皮を商店に安く買い叩かれるくだりがあります。取引相手が一人しかいないから足元を見られたという話で、誰か一人、一つのものに依存している状態はやはり弱いのです。依存と自立は対義語などではなく、多様な依存先を選択できる状態こそが自立。わかりやすく言うと、入ったコンビニに欲しい商品がなくても、別のコンビニに行けば手に入る……そういった状態が重要で、経済あるいは市場の本来の姿はそこにあるのです。
経済の本質は「自分で決める」という意思決定にある
加えて、たくさんある依存先(選択肢)の中から「自分で選び取る」ことが重要な点になります。経済の本質は、自分で決めるという意思決定にありますから。ですが、市場を含む社会は健常者に対しては豊富な依存先を提供するものの、障害者などの少数派には限られた依存先しか提供しない傾向にあります。社会は「ふつう」の人々を基準に作られているから、そうでない人々は福祉の対象、客体として見られてきたわけです。それを主体として捉え直そうというのが障害学で、これは、万人が自分で意思決定できる健全な市場形成を理念とする経済学と結び付くんですよ。
探求領域×「生き生き働く」
不確実な世の中になればなるほど、自立はより重要なコンセプトに
障害関連の問題と自立が重要なテーマになる理由は、健常者に比べて、障害者は大きな不確実性に直面することがとても多いからです。自立を目指して経済社会に入ろうとするとき、さまざまな障壁があるように、彼らが直面する社会的障害は、いわば社会の歪みを映し出す拡大鏡のようなもの。私たちにも隣接する問題をより大きく、はっきり見せてくれている。ここから学べることはたくさんあるのです。
一つの命綱につかまって、他に依存先がない状態の最大の問題点は、何かあったときに沈む船と運命を共にしてしまうこと。昨今は企業も先が見通せなくなって、大企業でも倒産するような時代です。不確実な世の中になればなるほど、誰にとっても「何か起きる」可能性は増えますから、やはり自立は大事なコンセプトになってくるということです。
求められるのは、自分が生きやすい環境を作る力
さらに重要なポイントとして、自立生活をきちんとオーガナイズすることが挙げられます。こと障害者にとっては「生きることが仕事」なので、自分の生活を組み立てることが非常に大切になってきます。先に紹介した研究仲間が支援者の輪を自分で作って管理しているように、生きるための緩やかな組織づくりというか……。これは組織マネジメントにも通じるところがあって、自分が生きやすい環境を作る力は、今後ますます必要になってくるように思います。自分のやりたいことをする、「生き生き働く」という観点と照らし合わせても、結構シンクロしている気がしますね。
「生き生き働く」ヒント
働き方は、外部から押し付けるものではない
経済学の祖と言われるアダム・スミスは、主著の一つ『道徳感情論』の中で、人間社会を巨大なチェス盤に例えています。ただし、プレイヤーが思い思いに駒を動かすゲームのチェスとは違っていて、実際の社会では為政者が意のままに駒を動かすことはできないと。なぜなら、すべての駒には意思があるからだとしています。自立した個々の行動原理と為政者の意図は違うもの。この両者がうまくマッチすれば、世の中は非常に調和的になっていいのだけれど、ミスマッチを起こすと耐えがたい社会になってしまう。個々の駒、つまり社会の構成員の行動原理をちゃんと見ないといけない、為政者の目線で何かをやろうとしても失敗するよ、という話です。実際、昨今の働き方改革や法律の調整にしても、何か上から温度調節をするみたいに一様にやるから、現場でうまく機能していないのだと思います。
本来、生き生き働くというのは個人個人違うべきなのです。やはり、キーワードになるのは多様性。語弊を恐れず言えば、がんがん働きたい人にはがんがん働かせてあげればいいんですよ。それが“生き生き”になる人もいるわけで、いずれにしても規制するものではないし、働き方というのは、決して外から押し付けるものではありません。
可能な限り、個々の人間に自由度を持たせる環境を
経済学の原点に立ち返ると、重要なのは「個人がどう感じるか」なんです。意外に思われるかもしれませんが、物質ではなく人間の感情、主観を大切にして、そこから論を積み重ねていくのが経済学なので、そういう意味では生き生き働くというのも立派な経済学ですし、組織においても、個人の考え方や感情をもっと重要視すべきだと言っていいと思います。企業は、ある程度の強制力を持たせるために人を集めているので、完全に自由というわけにはいかないでしょうが、生き生きと働ける環境を作るには、個々の人間に可能な限りの自由度を持たせることが礎になると、私は考えています。
アダム・スミスはこうも説いています。
人は他人の幸・不幸に対する共感感情や、
物事の是非を判断する公平な観察者を
ベースとして内に秘めていると。
この能力を持ち合わせているからこそ、
人々には「自由」が許されているのです。
――松井彰彦
執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。