第13回 「論理療法」 石隈利紀 氏

自分も他者も認めて、柔らかく生きる

2019年11月08日

【プロフィール】
石隈利紀(いしくま・としのり)東京成徳大学教授。米国・アラバマ大学大学院博士課程修了。学校心理学を専門として、スクールカウンセリング、チーム援助、多文化間心理学の研究に取り組む。筑波大学では副学長・理事として附属学校教育局の教育長を務め、2016年より現職。カウンセリングにおいては論理療法に興味を持ち、創始者である故アルバート・エリスに学ぶ。日本スクールカウンセリング推進協議会理事長、学校心理士認定運営機構理事長、日本公認心理師協会副会長。

探求領域

心理に影響を及ぼす思考を重視する論理療法

私の主な研究テーマの一つに「論理療法」があります。アメリカの著名な臨床心理学者、アルバート・エリスが1955年に提唱した心理療法で、いわば自己変容法。メンタルヘルスの向上のために、カウンセリングなどの場で多く取り入れられています。心理的な問題や不適応な生理的反応は、起きたこと、受けた刺激が引き起こしているのではなく、「それをどう捉えたか」という認知によって生じる―つまり、思考が心理に影響を及ぼすことを重視するものです。
この論理療法は、シンプルかつ重要な「ABCDE理論」に集約されます。先にそれぞれを説明すると、Aは出来事(Activating Event)、Bは信念や考え方(Belief)のこと、Cは結果(Consequence)、Dは論駁(ろんばく:Dispute)、そして最後のEは効果(Effect)を指します。例えば「仕事で失敗して落ち込み、うつになった」という文を当てはめてみると、「仕事で失敗した」がA、「うつになった」がC。でも、この間にはBのビリーフがありますよねと。実際には、「自分のキャリアはもう終わりだ」と考えてうつになる人もいれば、「今回は残念だった」で終わってうつにならない人もいるわけで、そこには出来事に対する“捉え方”に違いがあるのです。

“ねばならぬ主義”が負の感情を引き起こす

このビリーフは極めて重要な存在です。そして、外部環境であるAとは違って、個人の中にある考え方だから変えることができる。ビリーフには往々にして、「いつも一番でなきゃいけない」「絶対に失敗してはならない」などといった“ねばならぬ主義”があり、これらをイラショナル・ビリーフ(非論理的な考え方)と呼んでいますが、これが強すぎると、不安や悩み、怒り、あるいは自分をみじめにする感情を引き起こすのです。それをラショナル・ビリーフ(論理的な考え方)に変えていくのが論理療法。自分のイラショナル・ビリーフに対して、「その根拠は?」「誰が決めたの?」という具合に点検を繰り返す、このプロセスが前述のD、論駁です。「一番でなきゃいけない」を「一番になれたらいいな」に変えていく感じですね。
私もカウンセリングでは論理療法を主たるアプローチとして使っていますが、自分のイラショナル・ビリーフに気づき、それを修正して柔軟なものに変えることで、負の感情が軽くなっていく人を多々見てきました。論理療法がメンタルヘルスの向上や維持に役立つのは、「科学的に考える」から。さまざまな困難や不快な出来事の中にあっても、それを受容しつつ、いかにして現実的で筋の通った仮説を立て、希望を持って生きるか―それを教えてくれるのです。

探求領域×「生き生き働く」

心身がSOSを出しているときは、ビリーフを見つけるチャンス

心身が悲鳴を上げているときって、実は、根っこにある自分のビリーフ、こだわりを見つけられるチャンスなんですよ。落ち込んだとき、自分と対話して「なぜか?」を探ってみると、気づくことができます。例えば、100メートル競争で負けた場合を想定すると、アスリートは一般の人よりうんと落ち込むわけで、そこには必ず、個々の理由、こだわりがあるのです。ビリーフ探し・点検は自分との対話だけでなく、家族や友人、カウンセラーなどとの対話も有効な手段です。

ビリーフが硬くて苦戦しているのなら「柔らかくする」

そもそもビリーフがない人はいませんし、エネルギーを生むこだわりは“宝物”だとも言えます。決して否定するものではありません。ただ、硬すぎるとしんどいので、どう向き合って柔らかくするか―。一番を目指して頑張れるのならそれでOKですが、「一番でなきゃ自分の人生は終わり」となると、「ちょっと待って。次のチャンスがあるから」みたいな、そういう話です。「1か0」という考え方に象徴される極端なビリーフを柔らかくすることに焦点を当てると、論理療法でいうイラショナルな部分がラショナルになる。「ちょっとこだわりすぎ」に気づけばラクになって、「生き生き」にもリンクしてくると思います。

別の考え方や多様性を認めないビリーフはNG

一方、イラショナル・ビリーフの特徴には社会的な決めつけもあります。「男性はこうあるべき」「赤い服は女性が着るもの」「学生なんだから」などという俗習は、ラショナル性が低いビリーフなんです。別の考え方や多様性を認めないこういった排他的なビリーフは、当然、お勧めできません。価値観の多様性を認めようと謳いつつも、日本の社会はなかなか馴染めていないというか、未だイラショナル・ビリーフを促進させている側面があるような気がしています。個々の中にある価値観やこだわりを、もっと互いに面白がって大事にする社会になれば、本当の意味での多様化は進むのでしょうが……。

「生き生き働く」ヒント

自分のこだわりを貫きつつ、「人と一緒に」を意識する

まずは自分のビリーフ、こだわりに気づくことです。働く中で何を大事にしているのか。高い給料をもらいたい、周囲に認められたい、お客さんに喜んでもらいたい……こうしたこだわりに優劣などないのだから、何でもいいんです。こだわりを見つけ、自覚することができれば働きやすくなるのは確かです。そして前述のように、ビリーフが硬すぎて苦戦するようだったら点検もできますから。
ただ、働くというのは相手や場所があってのことなので、「人と一緒に」は意識した方がいいと思います。自分のこだわりは貫くけれど、「みんなわかってね」は都合のよすぎる話。「みんなが理解してくれない」と被害者意識を強くするのではなく、人にわかってもらうためには多少の時間がかかることを認識するのが大切です。そうすれば、自分のこだわりを貫きつつ、生き生きと働ける“材料”として育てていくこともできます。

他者のこだわりも認める姿勢と時間を持つ

これは、他者に対しても同様です。自分らしく、その人らしく、働いたり、生きたりするためには、お互いのチューンナップに一定の時間や努力が必要なのです。例えば、職場で怒っている人がいたときに、「そんなに怒ってダメじゃない」と諫めるのではなく、「あなたが怒るのには理由があると思う。考えていることを教えて」という具合に、相手のこだわりを知る姿勢と時間を持つ。そして、こだわりが硬すぎれば、いい・悪いではなく、相手のこだわりを認めながら少しだけ柔らかくする工夫ができればいい。「あなたはまじめすぎ。頑張りすぎ。私も人のことは言えないけど」などのフォローやユーモアが効果的です。本来、価値観というものは非常に多様ですから、互いに認め合わなければ、職場でもいい環境は生まれません。
昨今は、どこかの窓口に高齢者が立っていると、後ろで待つ人がイライラしている様子をよく見かけますが、それは自分のこだわり(「早くものごとを進めるべき」など)が強すぎるのかもしれません。個々に事情やこだわりがあることをリアリティとして認めないと、人も組織も……結局は社会全体がしんどくなる。多様性を認めること、つまり「お互いを大事にしようね」が、生き生き感や幸福感の獲得につながるのではないでしょうか。

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基本的に、私はビリーフ大歓迎。
硬すぎれば柔らかくすればいいという話で、
打ち消すものではありません。
ですから私は、自分のビリーフを愛おしみつつ、
柔らかくするという意味で
「ソフトな論理療法」を実践しているんですよ。

――石隈利紀

執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。