第15回 「ウェルネス経営」 小島玲子 氏

健康観を広く捉え、自分の人生をより良く生きる

2019年12月06日

【プロフィール】
小島玲子(こじま・れいこ)産業医、医学博士。丸井グループ執行役員、健康推進部部長、専属産業医。産業医科大学医学部卒業。大手メーカーの専属産業医を10年間務める傍ら、総合病院の心療内科にて定期外来診療を担当する。2006年より北里大学大学院の産業精神保健学教室に在籍し、2010年、医学博士号を取得。翌年に丸井グループ専属産業医となり、2014年、健康推進部の新設に伴って部長に就任。執行役員就任は2019年。著書は『産業保健活動事典』(2011)、『改訂 職場面接ストラテジー』(2018)など。日本産業衛生学会指導医。

探求領域

健康を通じた「人と組織の活性化としあわせ」

産業医学をバックボーンに、人と組織の幸せを追究する。それが、私の中核テーマです。今でこそ「健康経営」に注目する企業は増えていますが、大企業などが昔からやってきたいわゆる「健康づくり教室」のような活動は、社員の福利厚生的な位置付けで、企業活動としては捉えられていないことが多かったように思います。健康は個人の問題として扱われ、誰もが「健康が一番大事」と言うわりには、躍起になっているのは産業医や保健師ばかりという状況もたくさん見聞きしてきました。でも、私は産業医を続ける中、心身が充実している人は仕事で高いパフォーマンスを発揮することを実感していたので、そういう状況に疑問があったのです。健康という切り口を通じた「人と組織の活性化としあわせ」をもっと追究したい。そう考えていたときに、縁を得たのが丸井グループで、現在は同じ思いのもとで実践と研究に取り組んでいます。

「健康経営」の先をいく「ウェルネス経営」

健康状態はパフォーマンスに必ず影響します。例えば、アスリートが日々の食事や睡眠に配慮するのは、健康そのもののためではなく、より高いパフォーマンスを発揮するため。それは私たちも同じで、ちゃんと食べたり、寝たりしなければ、パフォーマンスは下がるんですよ。目指しているのは、疾病予防だけでなく、すべての人が今より活力を高め、幸せになれるような健康経営。ただ、健康というとメタボ対策や禁煙といったイメージが強く、本旨が伝わりづらいので、2019年からは「ウェルネス経営」と言葉を変えています。

横断型、自律型のプロジェクトで活動を浸透させる

具体的な活動の柱は2つ。一つは公募制の「ウェルネス経営推進プロジェクト」で、2016年に立ち上げた丸井グループ全社横断の公認プロジェクトです。50名の枠で“手挙げ式”で参画者を募ったら、倍率5倍以上の人気となりました。そもそも自分たちが目指す健康経営とは何なのか、徹底的に議論するところから始め、以降は、社員たちが自ら描き出したビジョンを基にさまざまなウェルネス活動が生まれています。上からの「やらされ感」がないから、ゲーム感覚を取り入れたものとか、“ベタ”じゃない自由で面白い企画がけっこう出るんですよ(笑)。
もう一つの柱は、1年間かけて行うトップ層向けの「レジリエンスプログラム」。いわゆるメタボ云々といった話は一切なく、トップ層自身が4つの活力(身体・情動・精神性・頭脳)の状態を高める習慣を身につけ、組織へ波及させることを目指すものです。開始前と終了時に本人、部下、家族の活力360 度評価を行っているのですが、プログラム受講後には明らかな活力向上が見て取れます。
ウェルネス活動は徐々に浸透し、今では従業員の7割近くが参加しています(2019年6月調査)。また、プロジェクトメンバーに定期的に行うアンケートやストレスチェックを分析すると、「自己効力感が高い」「職務遂行能力に自信がある」などの指数が大きく向上しています。「自ら考え、自ら行動する」という社風の力も大きいですが、こういう活動に巻き込むことで、人の意識や行動は確実に変わるという手応えはありますね

探求領域×「生き生き働く」

成果を可視化し、社内外に発信する

ウェルネス経営を広く理解してもらうためには、蓄積された従業員の健康データを分析し、可視化することが重要だと考えています。面白い調査結果が出ていて、「食事・睡眠と生産性」もその一つ。日頃から食事や睡眠に配慮している人は、仕事への取り組み姿勢が前向きで、職場でのコミュニケーションが良好だという結果が5年連続で出ています。さらに、年齢や職務グレードなどの偏りを補正したうえで、生活習慣のデータと業績データを掛け合わせると、ウェルネスに意識を向ける群の方が業績が有意に高い。相関分析ではありますが、「実際に関係がある」ことは示せたのです。
もう一つ、別の角度での分析結果もあります。今年(2019年)、幸せを可視化するためのアプリ「ハピネスプラネット」をチームで活用する実証実験を行ったのですが、フレッド・ルーサンズ氏(元アメリカ経営学会会長)が提唱した概念、「心の資本」を基にした業績換算式を用いると、この実証実験における心の資本の向上は21億円の営業利益向上に相当すると。こういう分析結果は、投資家も含めて社内外に広く発信していきたいと考えています。

健康がゴールではなく、目指すのは社会全体の幸せ

従業員の健康がゴールではなく、目指しているのは、社員個々の豊かな人生、ひいては社会の人々の幸せの実現に貢献すること。もっとも、その前に「何が達成されれば幸せなのか」という話があるわけで、それを見いだすのが今後の重要課題です。そのために、先述したアプリを活用して、“幸せの見える化”実証実験を進めているんです。身体の動きを測定することで、人の状態の良し悪しを指標化できるアプリで、他社と連携しながら取り組んでいます。試行錯誤しながらも、どんな可能性が見えてくるのか、楽しみにしているところです。

「生き生き働く」ヒント

働く“意味感”を得られれば、活力はアップする

戦略的職種変更といって、丸井グループではグループ会社間や部門間の人事異動が積極的に行われています。いろいろな経験をすることで、個人の中の多様性を高めるのが主たる目的です。もちろん、環境の変化が苦手な人もいるけれど、多くは、最初戸惑うことはあっても新しい環境で能力を発揮して、より活力を高め、成長曲線を描いていくケースが多いのです。例えるなら、筋トレで負荷をかけると身体の能力が伸びるようなもの。ストレスが全くない状態は、メンタル不調にはならないかもしれないけれど、能力の成長も望めません。職種変更は一つの例ですが、今の自分の能力にちょっと負荷をかける感覚で仕事をするとか、新しいことにチャレンジするのは大事なことです。
そうして動く中で、働く“意味感”を得られたら、生き生きにリンクしてきます。自分がやっていることにどんな意味があるのか、何の役に立っているのか。それを考えるときに弊害になるのが「やらされ感」なので、この問いかけには自律的に考えた方がいいと思います。一人ひとりがそういった意味感をちゃんと感じられて、個々の持つ能力が最大限に発揮できるような環境なら、誰もが活力アップ、生き生きと働けるはずです。

固定観念を払って、一人ひとりが「働く」を見つめ直す

60歳、65歳までとしても、人は40年間くらい1日8時間働くわけでしょう。この膨大な「働く」時間を生き生き、幸せに過ごせなかったら、人生のかなりの部分を捨てることになってしまう。ないがしろにしているというか……。「働く」は人生の質を左右するもの。だから、昨今のワーク・ライフ・バランスという言葉が持つニュアンス、ワークとライフは二項対立するものじゃないと思うんですよ。むしろシナジーの関係。働く人が生き生きするためには、「仕事はつらいこと」という一般的な固定観念を見直すことが必要ではないかと思います。大事なのは、一度立ち返って、「仕事」や「働くこと」についてのマインドセットを変えることではないでしょうか。「働くって何だっけ?」-働く人がそれぞれ考えて、多様な価値観が形成されれば、もっといい社会になると信じています。

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仕事を始めた頃から、
「企業組織に産業医がいる意味って何だろう?」と
ずっと考えてきました。
産業医学をバックボーンにして、働く人たち全員が
今よりもワンアップ、ツーアップ生き生きできるよう
支援し、社会の幸せに貢献すること。
これが、学び、動いてきた中で私が得た“意味感”です。

――小島玲子

執筆/内田丘子(TANK)
※所属・肩書きは取材当時のものです。