第9回 「認知神経科学」 松元健二 氏
評価は内発的動機づけを喪失させる方向に働く
【プロフィール】
松元健二(まつもと・けんじ)玉川大学脳科学研究所・教授。1991年帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業、96年京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。同大学博士(理学)。同年理化学研究所基礎科学特別研究員、99年同研究所脳科学総合研究センター・研究員、2007年カリフォルニア工科大学神経科学訪問研究員、08年玉川大学脳科学研究所・准教授を経て11年より現職。
探求領域
心理学などで提起された問題を、脳からアプローチする
私が研究しているのは認知神経科学と言われる領域。社会のいろいろなしがらみがある中、人が主体的に意思決定し行動を起こすとき、脳の中でどのように価値判断や選択が行われているのかということにもともと興味がありました。こうした分野は心理学の領域と近いため、心理学で扱われた問題を、脳の機能の側面からアプローチすることが多いです。現在、主に行っているのがMRI装置(磁気共鳴画像法)を使った実験です。MRI装置の中で人に課題をやってもらい、脳の各部位から得られる信号値に統計解析をかけ、どの部分が活性化したかを見ます。人による差異があるので、基本的に20〜30人から得られる統計値によって反応を見ていきます。
内発的動機づけでも外発的動機づけでも、脳の線条体は活性化
私がやってきた研究の中に、内発的動機づけの実験があります。28人の大学生に、MRI装置内で、ストップウォッチを5秒±50ミリ秒の範囲で止められたら1ポイント獲得できるという内発的動機づけが期待できるゲーム(ストップウォッチゲーム)とストップウォッチが止まったらボタンを押すだけのゲーム(ウォッチストップゲーム)を、ランダムな順序で混ぜてそれぞれ30回ずつやってもらって、脳の反応を見ました。半数の被験者には、ストップウォッチゲームでの1ポイントにつき200円の成功報酬があることを予め教示しておき(報酬群)、その影響が脳活動にどのように現れるかを、そのような教示をしなかった残りの被験者(統制群)と比較して調べることが、この実験の目的です。
報酬群、統制群とも、失敗したときと較べて成功して嬉しい時に、線条体前部が有意に高い活動を示しました。報酬群の被験者では成功が外的報酬である金銭に直結しているので当然ですが、成功が金銭と関係しない統制群の被験者でも、ストップウォッチゲームの成功が内的な報酬として価値づけられていたことを示しています。
外的報酬の約束は、内発的動機づけを低下させる方向に作用
次はゲーム終了後の観察です。報酬群の被験者には約束通り成功数によって決まる金銭報酬を、統制群の被験者にも、約束はしていなかったけれども金銭報酬(本人の成功数とは関係なく、報酬群の誰か一人と同額)を現金で渡し、どの被験者も個室で次の実験までの自由時間(3分間)を与えました。その間、部屋にあるストップウォッチゲームで何回遊ぶかを観察したところ、統制群の被験者は平均8回だったのに対し、お金のためにおこなった被験者は平均4回でした。つまり、約束された外的報酬を獲得するためにストップウォッチゲームをおこなうと、このゲームに対する内発的動機づけが落ちてしまったのです。このように、もともと内発的に動機づけられていた課題を、外的報酬のためにやってしまうと、その課題を楽しんでうまくやろうとする内発的動機づけが下がってしまうことを「アンダーマイニング効果」と呼んでいます。
今度は両群ともに、もう金銭報酬の追加はないことを説明して、同じゲームをMRI内でやってもらったところ、統制群では相変わらず、ストップウォッチゲームで成功した時に失敗した時よりも線条体の活動が有意に高かったのに対し、報酬群では成功しても失敗しても線条体の活動レベルには違いがなくなってしまいました。
つまり、アンダーマイニング効果が起きた報酬群の人たちの線条体では、成功に金銭報酬がリンクしていない限り、ストップウォッチゲームの成功と失敗とを区別しなくなっていたのです。
探求領域×「生き生き働く」
評価は内発的動機づけを喪失させ、生き生き働けなくする
生き生き働くとは、内発的動機づけ、あるいは何かに熱中して時間を忘れてしまうようなフロー体験と関係が深いのではないかと思います。社員が内発的動機づけに基づいて仕事そのものを楽しんでいて、会社も出来高払い制のような成果報酬を導入していないなら、「生き生き働く」ことができると思います。ストップウォッチ実験の「統制群」と同様の状態です。不況等によって会社の業績と給与がダウンしても、社員は自分たちで対応策までも考えるかもしれません。しかし、成果と給与を明示的に連動させると、もともとあった社員の内発的動機づけは、アンダーマイニング効果によって大きく失われてしまうでしょう。給与のために働きはするでしょうが、「生き生き」できなくなるでしょうし、外発的動機づけに依存した労働意欲は、会社の業績と給与がダウンするとそれとともに落ちてしまうと予想されます。
自己決定感があれば、失敗してもネガティブになりきらない
報酬をくれる人がいることはすなわち、その人にやらされているのと同じとも考えられます。そう感じて自己決定感が失われることが、アンダーマイニング効果の最大の原因と言われています。そこで、自己決定感が動機づけに与える効果について、先ほどの5秒±50ミリ秒の範囲でストップウォッチを止めるゲームで実験しました。9種類のデザインのストップウォッチから2種類を見せ、使いたい方を自分で選ぶ自己選択条件と、コンピュータに強制的に指定される強制選択条件を、ランダムな順序で混ぜて繰り返し行ってもらうというもの。実験が終わった後の感想は、自己選択の方が前向きになったと答えた人が9割以上。ゲーム成績は自己選択の方が有意に高い結果に。失敗と較べて成功して嬉しい時に活動が高まる線条体は意外なことに、自己選択と強制選択で差がありませんでした。ところが前頭前野腹内側部という、ここも嬉しいことがあると活動が上がり、嫌なことがあると下がるという部位に、違いが現れました。自己選択条件のときだけ、失敗しても活動が下がらないのです。実際の職場でも、自分でこうしようと決めたことは、失敗してもどうしたら修正できるか、自分の責任でなんとかしようという考えに結び付きやすいのではないかと思います。そうした考え方は、前頭前野腹内側部の働きに支えられているのではないかと考えられます。
「生き生き働く」ヒント
内発的動機づけを活かすなら、十分な生活の保障と自己選択が有効
ですから、本当は好きなことは仕事にしないほうがいいことが多いと思います。仕事にして、その成果が自分の給料に直接反映することになってしまったら、楽しむ気持ちは多分失われます。と言っても好きでもないことを仕事にするのもつらいですよね。内発的動機づけの観点からは、好きなことを仕事にするけれども、成果とは関係なく十分な生活の保障があって、取り組む仕事を自分で選べるという条件が望ましいと思います。でもそれはなかなか叶わない条件かもしれません。社員が自分で決めて仕事をできることの重要性をよく理解したマネジメントを、部下を動かす任にある上司や職場体制を決める経営者たちが、もっと考える必要があるのではないかと思います。もちろん働き過ぎによる社員の健康被害を避けることにも十分に気を付けて。
やる気そのものを評価に使ってはいけない
それから、やる気が大事だからと、「この人はやる気が高い」「どれだけやる気を出してやっているか」などの観点を評価に導入することがありますが、これはやめた方がいいと私は考えています。本来、内発的動機づけは評価にそぐわないのです。評価されるために内発的動機づけを上げることになれば、それはもう内発的動機づけではなくなってしまいます。人事評価の設計をおこなう経営コンサルティングに携わる人たちには、特に気を付けてもらいたい部分です。
評価というのは、結構リスキーなこと。動機づけには、成功にアプローチしていく動機づけと失敗を回避する動機づけとがありますが、評価は失敗を回避する方向に導きやすく、内発的動機づけにも悪影響を及ぼします。それぞれのコミュニティの中で特に能力が高く、高い評価を得やすいことによって動機づけも上がるというごく一部の人だけではなく、評価によって動機づけが下がりやすい多くの人たちにも配慮の行き届いたマネジメントが、社員が生き生きと働ける職場環境を整えるためには大切だと思います。
MRI装置の中でできて、それ自体楽しい課題じゃないと、
内発的動機づけに関わる脳の働きは調べられません。この実験は、
「そういえば子どもの頃に、ストップウォッチを正確なタイムで止めて遊ばなかった?」、
という共同研究者との話から思いついたものです。
認知神経科学は、実験デザインが肝なんです。
――松元健二
執筆/荻原美佳(ウィズ・インク)
※所属・肩書きは取材当時のものです。