第8回 「社会心理学」 内田由紀子 氏
緩やかな関係性のある組織が個を救う
【プロフィール】
内田由紀子(うちだ・ゆきこ)京都大学 こころの未来研究センター教授。専門は社会心理学・文化心理学。特に幸福感や対人理解、対人関係について研究。1998年京都大学教育学部教育心理学科卒業、2003年同大学院人間・環境学研究科博士課程修了。ミシガン大学、スタンフォード大学などの客員研究員を経て、08年こころの未来研究センターへ。19年より現職、スタンフォード大学行動科学先端研究センターフェロー。10〜13年内閣府の「幸福度に関する研究会」委員を務める。
探求領域
日本人が求めるのはバランスのいい幸福感
一口に幸福と言っても、アメリカ人と日本人では違いがあります。以前、「幸せ」について、いろいろな側面、特徴、効果を5つ書いてもらうという調査をしたところ、アメリカ人は「うきうき」「何かを達成した時」「人に優しくなれる」など98%ポジティブな答え。これに対して日本人は、「長くは続かない」「求めればきりがない」「妬まれる」など特にポジティブではないものが3割も出てきたんですね。日本人には、良い部分だけに目を向けるのはアンバランス、あるいは、悪い面を無視したらいつかしっぺ返しが来るような感覚がどこかある。一気に大きな幸せを追求するより、小さい幸せが少しずつ積み上がってできた、安定的で平穏な幸せを求める価値観があるような気がします。
根底には、農耕社会のリスクに備えようとする価値観
底流にあるのは、農耕社会的な協力体制の基盤なのではないかと思います。新しいターゲットを求めどんどん狩猟場を開拓していく暮らし方と違って、農業には大規模な協力関係が必要であり、また将来の収穫リスクに備え、蓄えておくという発想も必要になる。そうしたある種のバランス思考が、その後生活形態が変わっても、文化や宗教、教育……いろいろなところに価値観として埋め込まれて、持続していると思います。
望むのは、周りも合わせた幸せ、人並みの幸せ
周りの人が幸せなことがうれしいとか、それで自分も幸せであるとか、関係思考で幸せを捉えるのも特徴でしょう。アメリカ人の場合は、自分自身にどれぐらい価値があるか、自尊心を持てるかどうかが幸せの原動力です。また日本人は、快楽を追求しすぎることに対してネガティブな感覚がありますよね。「清貧」や「高潔さ」を求めます。例えば、お金持ちの人がそれをアピールすると、バッシングを受けることもある。人並みの幸せで十分だというところも、関係思考の強い日本的幸福感だと思います。
探求領域×「生き生き働く」
「生き生き働く」は本人のコントロールだけで実現できない
「生き生き働く」のは、本来的には本人のコントロールだけでは実現しません。周囲がその環境を整えている部分も大きいのです。しかし「生き生き働く」の意味は「好き勝手に働く」ということに取り違えられることがあります。実際には周囲の状況を正しく評価し、周りの人にとっても「生き生き働ける」環境を提供するように貢献することも大切です。では、どのような環境、空気感が個人の「生き生き働く」幸福を規定しているのでしょうか。
緩やかなつながりが、個人の生きやすさに
ある研究者が行った、日本で一番自殺率が低い町と地理や状況が類似した町を比較した調査(*1)があるのですが、自殺率の低い所では、人々のつながりが緩く存在しており、地域外の人に対しても信頼感が開かれていることがわかりました。逆によそ者を受け入れず、地域内部の管理・規範意識が強い所の状態はあまりよくない。規範化するほどに強い関係になると、どうしても、他者を煩わせてはいけないという心理が働いたり、何かしないとペナルティーが来るのではないかという懸念が生じてしまう。一方でゆるい紐帯の地域では、いざという時には助け合えるし、閉じた関係にならないというメリットがあるのだと思います。
別の研究者の調査(*2)では、互いのつながりがある地域に住んでいると、個人的にはそれほど知り合いが多くない人にとっても、健康上のメリットがあることが指摘されています。もしかすると互いにつながりがある地域では、一人暮らしの高齢者への見回りなどが生まれたり、困っている人の情報が拡散されたりしやすいのかもしれません。
地域の緩やかな関係性がソーシャル・キャピタルとなって個人の生きやすさに機能する。この構図は企業の状況にも通じるのではないかと思います。
外から来た人が、価値の再構築を促す
かつては閉じたイメージだった日本の地域社会も、最近では開放的になりつつあります。人口減少や高齢化により、このままでは町が消滅するという危機感も手伝って、外部から人を受け入れることに積極的になりつつあり、地域外から来た人とも信頼関係を作るようにシフトしていると思います。移住者は外の風を運んできます。「このお地蔵さんはすごいな」「こんなに美味しい野菜は食べたことがないです」というように、それまで当たり前と思われ、特に意識されていなかった価値に光を当ててくれ、町の価値を再構築する役を担ったり、新たな外の世界の人とのつなぎ役として機能してくれることも多いのです。
「生き生き働く」ヒント
企業同士が緩やかな紐帯で結ばれる社会
人が会社を辞めたくなったり、メンタルの問題を抱えるようになるのは、そもそもその企業が持っている風土や価値観と、個人の価値観がマッチしていないということにも要因があります。そんな時、大企業ならセクションの異動などで解決できることもできますが、中小企業だとそれが難しく、行き詰まり感が出やすいこともあるかと思います。難しいかもしれませんが、うまく人材交流ができる仕組みがあればいいなと思います。「辞めるならあとは一人で転職活動をしなさい」と個人の問題にするのではなく、企業同士が緩やかな紐帯で結ばれて、「よそで違う価値観を身に付けて、また戻ってきてもらおう」というような仕組みを作ることができれば、「辞めるか続けるか」という限定的な選択肢を突き付けられずに済むように思います。現在私たちの研究チームでは、個人の価値観と組織の風土とのマッチングを測定した上で、働く上での幸福感が何に支えられているのかを検討する調査スキームを構築しており、企業からの依頼を受けて調査を実施、フィードバックを行っています。こうしたことが組織内部の状況を見直す一助となればと考えています。
固定観念を捨て、自分の中の多様性を活かす
多様な価値を認めるというのは、自分の中にも多様な側面や可能性があることを認識・発見することでもあります。世の中が個人主義化する中で、「あなたの個性や特性を見つけて仕事をしなさい」と言われるようになったものの、それが日本的な「一生懸命」「唯一のものにしがみつくこと」という努力思考の価値とドッキングしたことにより、自分の中の多様な価値や可能性が見えなくなってしまうことがあります。生き生き働くためには、いろいろな意味で固定観念を捨てる必要もあります。自分に与えられた役割は絶対にこれしかないと思い込んで、自分の生きる世界を限定してしまわないことです。今の仕事が納得できないなら別の方策を考えてもよい。これまで得たスキルは、必ず何か別の形で使える。個人がそのように考えることを、社会としても許容するように変わっていく必要があるのではないかと思います。
長時間労働の何が問題かというと、健康の問題だけでなく、自分が行っている仕事以外の価値を見つける時間を持てないことが大きいのではないでしょうか。別の時間が持てれば、会社以外の人との縁ができて、いろんな価値に気づけることがあります。緩やかなつながりというのは、まさにそれを持ち込んでくれるルートなのだと思います。
*1岡檀『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』
*2イチロー・カワチ 「近隣の社会環境が住民の健康へ及ぼす影響―ソーシャル・キャピタル研究を探る」公衆衛生.72(7),2008
子どもの時から、個性を大事にしろと言われ、
でも学校では、苦手な科目も努力させられる。
仕事で求められるものもやっぱりゼネラリスト。
そんな社会で、「自己実現して生き生き働かなくちゃ!」
と思わされるのは、何か窮屈な気がするんですよね。
――内田由紀子
執筆/荻原美佳(ウィズ・インク)
※所属・肩書きは取材当時のものです。