リスキリングの迷子を増やさないために必要なこと(下)──大嶋寧子
海外におけるこれまでにないリスキリング支援のかたち
「リスキリングの迷子を増やさないために必要なこと(上)」では、海外でリスキリングが、働く人を新たな仕事に移行させるために、企業や社会の責任として取り組むべきもの、として議論される傾向にあることを指摘した。また、どう学ぶことがより効率的なのか、どのようなスキルを学ぶべきかについての検討や解決に関わるサービス提供が行われていることを指摘した。
こうしたなか、さまざまなステークホルダーが連携し、大規模なリスキリング支援を展開する動きも広がっている。
例えば、米国の大手通信事業者であるVerizon社は2020年10月に非営利法人(Generation USA)と連携し、2030年までに米国の50万人にテック業界へのキャリア支援を無償提供することを発表した。このプログラムでは、居住地の就業機会の調査、オンライン学習、メンターシップ、学習後のサポート(フルタイム就業、インターンシップ、見習い雇用に関わる支援等)など、スキルの習得に留まらない幅広い支援が提供されている。また、カナダではカナダロイヤル銀行とリスキリングのプラットフォーマーであるFutureFit AI社が、リアルタイムの労働市場の情報に基づいて、同国の若者に、推奨されるキャリアパスや個別のロードマップ、就業体験、学習コンテンツ、キャリアサポートなどを提供するプログラムを展開している。
Verizon社とGeneration USAが提供する無料の雇用訓練プログラム
(出所)https://usa.generation.org/
このほか、国や自治体がリスキリングのプラットフォーマーと連携し、デジタルスキルの習得をはじめとする包括的な支援を提供する事例もある。
例えばフランスでは、フランス職業安定所(Pole Emploi)が同国のリスキリングプラットフォーマーであるOpen Classrooms社と連携し、全ての求職者にデジタル専門職に就くためのコースやメンタリング、学習成果の評価と職業資格の認証を提供している。カナダでも同国政府とリスキリングのプラットフォーマーであるSkyHive社が連携し、AIが収集するリアルタイムの労働市場の情報に基づき、求職者に無料の学習・就労支援やメンタリングを提供するプログラムがある。
フランス職業安定所がOpenClassrooms社と連携して提供する無償のプログラム(出所)https://info.openclassrooms.com/fr/lp/pole-emploi
日本の個人は、リスキリングで困難を抱えている
一方で日本のリスキリングに関わる状況を見ると、労働市場で求められるスキルの変化に適応し、新たな仕事に移行するための「リスキリング」と、個人の自発的な意思に基づき何らかの知識やスキルを学ぶことを指す「学び直し」がほぼ同じものとして議論されるケース少なくなく、誰がどのような目的でリスキリングを推進すべきかの位置づけが、不明瞭になっている。
また、リスキリングを個人の責任と位置付ける議論が多い半面、社会が急ぎ取り組むべき課題として取り上げる立場は少なく、リスキリングの責任が個人に寄りすぎているように見える。このほかにも、デジタルスキルを学べるオンライン上の学習コンテンツは急速に増えているものの、手ごろな費用で集団で学びあえるコースはまだ少ないほか、自分の保有スキルや労働市場で競争力のあるスキル、両者のギャップとそれを埋めるための学習コンテンツを負担なく可視化する手段がほとんどない。要するに、個人がリスキリングに取り組もうとしても、それを阻む要因が幾重にも存在しているのである。
日本において個人のリスキリングを阻む要因
長期的には日本でも、労働市場で競争力のあるデジタル関連の仕事に就くために必要なスキルを、個人が調べ、自分のキャリアに責任感を持って習得する姿勢を持てるような環境を作っていくことが必要になるだろう。しかし現在の日本の社会を冷静に見れば、個人はキャリア自律の意識を十分持てておらず、加えて前述のようなリスキリングの阻害要因も存在している。このまま個人にリスキリングの必要性を訴えても、期待するような効果が出るまでには相当の時間を要すると考える。
日本では、まずリスキリングとキャリア自律の問題を切り離すべき
今必要なのは、リスキリングと個人のキャリア自律の問題を切り離し、まずは前者が進むような支援を大幅に増やしていくことだろう。
第1に、企業の大多数を占め、就業者の約7割が働く中小企業において、リスキリングを円滑に進めるための支援の量と質を高めていくことである。リクルートワークス研究所では、中小企業には大企業と異なるリスキリングの特性や強みがあり、それらを踏まえたリスキリングの事例や情報収集、支援を充実する必要を訴えてきた(※1) 。近年は、国が中小企業の在職者向けに提供する講座においてデジタル系のコースを拡充したり、中小企業向けにDX人材の育成を支援するコーナー(中小企業等DX人材育成支援コーナー)を設置したりしているほか、地元企業や中小企業のリスキリング支援を充実する自治体も増えている。
しかし、中小企業では大企業以上に本格的なリスキリングに取り組むところがある一方で、リスキリング以前に経営者・経営層がDXについて理解していなかったり、自社に必要と認識していないケースはまだまだ多い。国の窓口や先駆的な取り組みを行ってきた自治体に蓄積されている「中小企業のリスキリング支援」の知見を共有し、全国的に支援の質を底上げできるような仕組みを急ぐべきだ。
個人が脱落せず学びあえる機会を増やす
第2に、国や自治体が企業やNPOなどと連携し、個人が脱落せずに学びあえるリスキリングの機会を大幅に拡大することが必要である。
そのような支援の例は、日本にも存在する。佐賀県が行うSAGA Smart Samuraiは4か月かけて県内の在職者と求職者にプログラミング言語のPythonのほか、開発手法、AI、、IoTなどの基礎を学ぶ機会を提供する取り組みであるが、24時間質問できる掲示板の整備やオンライン勉強会の開催など、あの手この手で学習を促すほか、ハッカソンなどの実践の場や求職活動中の受講者と県内企業との交流の場を設け、学習やそのためのコミュニティ形成を促す。その結果、2021年度の講座には定員200名に862名の応募が殺到し、最終的な受講者に対し、修了率は79%(158名)に上ったほか、IT企業を始めとした地元企業への転職、就職事例も出ているという。
佐賀県の事例をはじめ、効果の高いリスキリング支援の在り方について情報を収集し、そのノウハウを共有していくことも重要だろう。
ハッカソン成果発表会(SAGA Smart Samurai)
何を学ぶべきか、個人が把握できるようにするための環境整備
第3に、個人が何を学ぶべきかを判断できる情報の提供を急ぐことである。日本でもスキル可視化への取り組みやそうした技術を持つ企業の日本進出が始まっているが、一般的な利用が広がるまでにはまだ少し時間がかかりそうだ。国や自治体は、労働市場で競争力のあるスキルやそのスキルを習得したときのキャリアパスに関わる情報収集と提供を急ぐとともに、個々人の保有スキルや獲得すべきスキルの把握を難なく行えるようになる今後に備え、それらの情報に基づき今後どのようにリスキリング支援を行うべきかの検討を始めるべきだ。
個人がリスキリングで道迷いしない環境整備を急げ
日本ではリスキリングをめぐって、誰の責任で何のために学ぶのかが不明瞭であったり、新たなスキルを迅速に学ぶための環境や情報が不足しているという問題がある。そのような状況のまま、リスキリングの必要性だけを叫べば、個人がリスキリングを必要以上に難しいものと感じ、挫折感を覚えたり、二の足を踏むケースが増えかねない。国や自治体を中心に、これからの時代に必要なスキルを、誰もができるだけハードル低く学べる環境づくりが急がれる。
(※1)リクルートワークス研究所「中小企業のリスキリング DXを人材面で支える政策」、
同「中小企業のリスキリング入門 全員でDXを進める会社になる」