なぜ管理職の年収は高いのか?~中国古典から学ぶ~──茂木洋之
管理職は生産性が高い
管理職の年収は高い。これは各種統計が示している事実だ。例えば、厚生労働省「賃金構造基本統計調査」で所定内給与額をみると、月当たり、非役職は29.5万円もらっているのに対し、部長級は65.5万円と約2.2倍、課長級は52.8万円と約1.8倍もらっている(下図)。現場の人にはこの事実に納得いかない人もいるかもしれない。管理職の年収が高い理由を考えてみよう。
所定内給与額(2018年)(注)企業全体の常用労働者が100人以上の企業に属する、雇用期間の定めのない労働者を集計対象としている。
(出所)厚生労働省「賃金構造基本統計調査」
まず、筆者の専門である経済学で考えてみる。標準的な経済理論では、実質賃金は限界生産性と等しい。いわゆるジョン=メイナード=ケインズが名付けた「古典派の第一公準」だ。つまり管理職の年収(正確には賃金だが)が高い理由は、彼らの生産性が高いからということになる。しかしこれでは納得のいかない人はいると思う。「管理職よりも現場の自分の方が、生産性が高くしっかりと働いている」という人も少なくないだろう。次に、中国史からこのことを考えてみたい。
劉邦の人事評価
中国史には、日本人が昔から好きな時代が二つある。一つは三国志の時代である。劉備と関羽と張飛が荒廃した後漢を救うために立ち上がり、その後、諸葛亮を有し蜀を建国し、魏の曹操らと戦う場面は人気だ。もう一つは「項羽と劉邦」の時代である。これは司馬遷の史記に収められた内容だ。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は名作だし、横山光輝による漫画もある。両作家の手による「項羽と劉邦」は、垓下の戦いで項羽が自刃して、劉邦が中国を統一する所で物語の幕を降ろす。今回はその直後のエピソードを紹介したい。(※1)
劉邦は項羽を討ち中国統一を果たした後、諸侯を集めて恩賞について会議した。その時に、最も評価されたのが丞相の蕭何であった。蕭何は劉邦の後方支援をし、漢の実務を全て取り仕切った。法整備を整え、人事を掌握し、物資の支援を欠かしたことがなかったという。しかし武将達は納得いかない。蕭何は将兵ではなく、一度も戦場に出て戦ったことがないからだ。武将達は「私たちは甲冑を着け武器を取り、城を攻め落としてきました。一方で蕭何は机の上で文書づくりばかりやっており、一度も戦場に出なかったではないですか。何故彼の方が高い評価なのですか」と言った。
劉邦は狩猟を例えにして話した。「きみたちは狩猟と猟犬というものを知っているだろう。狩猟で、獲物を仕留めて殺すのは猟犬である。その猟犬を綱で束ね、そして綱を放して獣の居所を指し示すのは人間である。いまきみたちは、ただ走り回って獣を得ただけ、その功は犬の功である。蕭何に至っては、綱を放って指し示すもので、その功は人間の功だ。よって蕭何の方が高い功となるのだ。」劉邦の説明に、歴戦の武将達は誰も異論を申し立てられなかったという。
このエピソードでは将兵=現場、蕭何=管理職、ということだ。この比喩に従えば、管理職の年収が高いのはより生産性が高く、裁量が大きいからだけではない。どんなに優れた営業や現場の人がいても、管理職が適材適所の人事をしなかったり、誤った作戦を取れば、組織は全滅しかねない。また部下が能力を発揮し易いような環境を整えることも重要だ。管理職は組織全体のパフォーマンスを決定的にする。紀元前200年頃に、既にこのことを完全に理解していた劉邦は、やはり傑出した人物だったと言えよう。中国統一も納得である。(※2)
この教訓は現代でもそのまま適用できる。優れた人材を管理職に置き、適切に評価することは、古今東西、組織の死活問題だ。(※3)
参考文献
『史記Ⅰ 「蕭相国世家」』〈世界文学大系〉小竹文夫・小竹武夫訳(筑摩書房 1952年)
『史記物語 楚漢編』森野繁夫編(白帝社 1997年)
(※1)史記「蕭相国世家」 より、下記参考文献をもとに筆者が編集した。
(※2) 同じく史記「高祖本記第八」によれば、劉邦は、自分は人事評価が上手く、また有能な家来(張良・蕭何・韓信)を使いこなせたことを自覚していた。一方で項羽はそれらができなかったことも知っていた。両者の人材マネジメントの差が、楚漢の戦いの勝敗を決したわけだ。
(※3)他にも人的資源管理論の分野では、職能資格制度や職務等級制度に基づく考え方がある。筆者は上のエピソードが一番納得できたため、今回紹介した。