裁量労働制を殺してしまう日本の常識 豊田義博

2018年03月14日

裁量労働制の適応範囲拡大をめぐる国会審議の迷走は、データの不適切な使用に端を発したものだ。しかし、その根底には、裁量労働制で働いている人は、長時間労働になっているのではないか、「働かせ放題」になっているのではないか、という国民の不信感がある。適応除外職種への違法適応をしていた企業から、過労自殺者が発生、労災認定されるといった事件の存在も明るみに出るなど、こうした不信感はさらに強まっているように感じられる。

裁量労働制が「活きない」原因は、「報連相」である

裁量労働制は、どの程度活用されているのだろうか。リクルートワークス研究所が一部上場企業対象に定期的に実施している「人材マネジメント調査」の最新データである2017年版によれば、制度を導入している企業は25.4%。人事制度には様々なものがあるが、そうした中では、導入率はさして高い部類には入らないものだ。一方で、気になるデータもある。「制度を導入していたが、廃止した」「制度を導入しているが見直す予定だ」という企業が10%近く存在する。期待した効果、成果が上がっていない状況も、この数字からは伺うことができる。

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裁量労働制の適応範囲を広げる、という方向性に、私は賛成である。しかし、日本企業において運用されている現状が良好なもの、健全なものだとは思っていない。そして、その状況を改め、裁量労働制を「活きたもの」とするためには、法規制とは全く異なる視点での抜本的な改革が必要だと考えている。それ抜きでは、裁量労働制の適応範囲の拡大は、過剰労働を生み出す温床にすらなってしまうと考えている。それは、日本企業のマネジメントスタイルの根幹にある「報連相」を、リセットすることだ。

報告・連絡・相談。企業で働く基本中の基本。このような常識が日本の企業社会にはある。会社に入って間がない、異動して仕事に慣れていないなど、誰かの手を借りないと仕事ができない社員に対しては、報連相は確かに有効だ。特に、仕事の進捗状態が、傍から見ているだけではわからないホワイトカラー業務は、報連相のプロセスを経て、仕事が見える化されることで、マネジャーが適切な指示やアドバイスを提供することにつながり、仕事の品質・生産性を高めることができる。つまり、「見習い」から「一人前」までのプロセスについては、有効である。

また、「見習い」期間は、学習期間でもある。マネジャーの指示に従って、何かをするというのは、やり方を学んでいることに他ならない。そして、すぐには指示通りにできるようにはならない。様々な試行錯誤を繰り返すことになり、また無駄な作業も発生する。しかし、それは、一人前になるまでに必要な時間だ。そして、その時間を、本人はコントロールできない。必然的に、この期間は、マネジャーが労働時間を含めた実態を子細に掌握し、育成、指導することが求められる。「見習い」の段階にある社員に、裁量労働制の適応は、ふさわしくない。

しかし、一人前となり、誰かの助けを借りなくても、通常業務ができるようになれば、そこからは、本人の裁量で仕事を進めることができる。担当した業務の意図やゴールを認識し、業務量として適正であるかを判断すれば、そこから先は、短時間で仕事を片付けるのも、創意工夫を凝らすために時間をかけるのも、本人の自由。ホワイトカラー業務の多くは、一人前になれば、裁量労働制の適応に支障はないはずだ。

それなのに、労働時間が増えてしまう、過重労働につながる、という指摘が相次ぐ。どうやらそのような実態も少なくないようだ。その最大の要因は、多くの日本企業では、一人前になった人にも、報連相が求められ、マネジャーが指導やアドバイスをするのが常識になっているからだ。

「報連相」は日本の常識、グローバルの非常識

そんなことは当たり前だ、一人前になっても、仕事のレベルを高めたり、いい成果を出そうと思ったら、マネジャーがしっかり関与するのは当然だ、と思われる方がいると思う。そういう方が多数派なのだろうと思う。しかし、海外赴任された方ならば、きっとこう思われるはずだ。「その通りだ。報連相なんて、どこの国でもやっていない」と。

北京大学、復旦大学など中国の有名大学を出たトップ人材の研究をした時のことだ。彼らが、どのような組織、仕事環境で働きたいのか、多くのトップ人材にインタビューを重ねた。彼らがそろって口にするのは「発展空間」という言葉。それは、「自身に責任ある仕事を任せてくれ、その経験を通じて自身の能力が高まる場」ということを指していた。そして、発展空間の最重要ファクターは、自身を信頼し、任せて見守ってくれるマネジャーの存在だった。細かく指示命令したり、手取り足取り指導したり、というマネジャーの下では成長できない、と多くの人が口にした。そして、このように続けるのだ。「日本企業は、細かく管理されると聞いている。そういうところには行かない」と。

この話を、ある上場企業の人事執行役員の方にすると、こうおっしゃった。「中国だけじゃないですよ。アジアでも欧米でも、みんなそうです。グローバルスタンダードです。大卒の社員に、報連相なんて求めていませんよ」。いくつもの国への駐在経験をお持ちの方であり、説得力があった。

裁量労働制とは、そのように「仕事を任せる環境」において適応され、初めて活きるものだ。

報連相を求めないとなると、マネジャーは、メンバーへの仕事の託し方を大きく改めることが必要になる。日本型の現場マネジメントを抜本的に改めることが必要となってくる。裁量労働制の導入は、そのようなマネジメント改革とセットで行わないと、単なる残業時間カット施策となってしまう。働き方改革は実現しない。生産性の向上にも、一人ひとりが生き生きと働くことにもつながらないのだ。

豊田義博