失敗から学び、成功の模倣を超えていく

映画プロデューサー・映画監督・小説家 STORY inc. 代表 川村元気氏

2025年01月21日

映画プロデューサー・映画監督・小説家 STORY inc. 代表 川村元気氏映画プロデューサー・映画監督・小説家
STORY inc. 代表
川村元気氏
1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』『怪物』などの映画を製作。2012年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、世界32カ国で出版される。他著に小説『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』『私の馬』、対話集『仕事。』『理系。』など。22年、自身の小説を原作として脚本・監督を務めた映画『百花』にて、第70回サン・セバスティアン国際映画祭の最優秀監督賞を受賞。映画、ドラマ、アニメーションの企画・制作を手掛けるSTORY inc.の代表を務める。
※STORY inc.は現在、プロデューサーを公募しています。詳細はこちら

映画プロデュース、脚本、監督に小説の執筆、翻訳と、幅広い領域で活躍する川村元気氏。多くの人の共感を呼ぶ作品を、次々と生み出してきた。その発想は、どこから生まれてくるのか。何に関心を持ち、どのような学びを積み重ねてきたのか。自分ならでは創作スタイルを築き、磨いていく過程についてうかがった。

自分の仕事がどういうものかを説明するときに、僕はよくこんな例え話をします。

いつも使っている駅前の郵便ポストの上に、クマのぬいぐるみが置かれている。誰かが忘れていったのだろうか。次の日も、また次の日もクマはまだそこにあり、毎日会社に行く途中に見かけて、気になっている。おそらくこの駅を使う何千人もの人たちも、みんなこのクマが気になっているはずだ。だけど、誰も何も言わない。

僕の仕事は、このクマのぬいぐるみを掲げて「これ、誰のですか」と叫ぶことに似ています。その瞬間、みんなが口々に「ああ、実はそれ、私も気になっていました」「なぜ誰も何も言わないのかと思っていました」などと言い始め、一気に風が起きるのです。

つまり、日常の中の違和感を物語にして届ける。小説だったり、映画だったり、形式は様々ですが、みんなが気になっている違和感を表現するストーリーテリングが僕の仕事です。何か特別なものではなく、言われてみれば誰もが「ああ、そうだよね」と合点がいく、けれどもなぜか今まで表現されてこなかった物語を作りたい、といつも思っています。

「アイデアはどこから降ってくるんですか」とか、「どうやってテーマを見つけるんですか」などと聞かれることは多いのですが、日常の違和感ですから、わざわざ探しているわけではありません。ポストの上に置かれたクマのぬいぐるみのように、もともとそこにあって、みんなに見えているし、みんなが気になっている。違和感は誰にでも平等にあり、ただ、それに気づいて、よく観察して、表現していくかどうかの違いにすぎません。

では、みんなが見ている景色の何に注目するかといえば、これは感覚としか言いようがない。それが言語化できるのであれば、僕ももう少しラクに働けているのかもしれません。

失敗を学んで成功の確率を高める

「こうすればうまくいく」というメソッドがわかっているなら、誰も苦労はしません。以前、『超企画会議』という空想企画本を出しました。スティーヴン・スピルバーグやクリント・イーストウッドなど12人のハリウッドの巨匠たちと、個別に空想企画会議を行うというものです。自分の中では大真面目にふざけた本なのですが、この空想企画を通じて、自分自身の監督やプロデューサーとしての能力が磨かれた気がします。

僕はもともと自分が尊敬しているクリエイターの頭の中に興味があって、だから取材をするのが好きなんです。日頃からチャンスがあれば、すぐ本人に取材に行ってしまう。取材前にはその人の作品から自伝、インタビューなど、世の中に出ている情報はすべて取り込んで、取材の場で既知の話を本人には聞かない。まだ語られていない新しい情報を取りに行くようにしています。

インタビュー中の川村氏

宮崎駿さんや、坂本龍一さんなど、12人の先輩方との対話集『仕事。』を作るときも、巨匠たちのあらゆる資料を読み漁りました。青年時代にこんな経験をして、こんなターニングポイントがあって、こんな壁にぶち当たって、こんなふうに乗り越えたなど、それぞれの生きてきた足跡をたどり、その人の思考法をインストールした状態で、会話を始めるのです。これが、とても面白かった。

どうしたらうまくいくかの答えは、やりながら気づいていくもので、その人の頭の中にしかありません。みんなそうして苦しみながらも、ヒット作を作り出しているから素晴らしいのです。この企画に登場する巨匠たちは、50代、60代になっても現役で楽しく仕事をしていて、自分もそうなりたいと思える人たちばかりでした。その脳内を覗き見ることで、たくさんの気づきがありました。

例えば、うまくいく方法論は言語化できないけれど、過去の失敗は共有しやすいということ。これはどの分野でも通用する話だと思います。『理系。』という『仕事。』の続編にて対話した、ミドリムシ由来の研究・開発を行うユーグレナ社の出雲充さんは、学会では成功例しか聞くことができないので、あえてその裏にある膨大な失敗例を聞いて回ったそうです。失敗に学び、これをやってはうまくいかないという道は避けて、可能性がある方法に絞ってトライを重ねたから開発を早く進めることができたといいます。

企業の中でも、成功例ばかりが大きく喧伝され、失敗例は語られないことが多いのではないでしょうか。失敗談を公表しても、その人の評価が下がるだけだとしたら、誰も語りたがらないのは当然でしょう。でも、失敗が共有されなければ、次の人がまた同じ轍を踏むことになってしまいます。成功の確率を上げたいなら、失敗は共有した方がいい。成長スピードの速いベンチャー企業などは、失敗の共有がうまくできているような気がします。

センスと経験の積み重ねでスタイルを確立する

僕自身、仕事を依頼されるときに、過去の自分の成功例を見て同じようにやってほしいと頼まれることがあります。でも成功した時点で周囲から研究されますし、状況も変わっていくので、同じことをやっても通用しない可能性が高い。だから、イチローさんですら毎年少しずつフォームを変えてきたわけです。

ただし、過去の成功例を模倣することと、自分のスタイルを持つこととは、また別の話です。例えば映画に関していえば、映像と音楽を密接に関係させていくのが、僕のスタイルだと思います。『告白』や『モテキ』などでトライしてきたことを、アニメーションに持ち込んだのが『君の名は。』でした。僕らの世代は音楽は音楽、映像は映像として楽しんでいましたが、今はYouTubeなどの普及で、音楽を聞く体験が映像とセットになっているので、次の世代に向けて映像に音楽的なカタルシスをいかに入れていくかを常に考えています。

こうした独自のスタイルというのは、もともと自分が持っている感覚に経験を積み重ねながら確立していくものだと思います。

スポーツ選手でも、クリエイターでも、たいてい20代のうちは、ほとんど自分のセンスだけで感覚的にうまくいっていたものが、30代には、なぜこれがうまくいくのか、いかないのか因数分解して考え始める。40代に入ると、では過去の先人たちはこの状況のときどうしていたのか、歴史に学ぶようになります。僕の場合は取材癖も相まって、早い段階から歴史の勉強に入っていったのかもしれません。

インタビュー中の川村氏

僕は食べることが趣味なのですが、一流のシェフを見ていても、やはりプロフェッショナルは皆、生来のセンスを磨きながら歴史に学んでいると思います。毎回行くたびに新しいメニューを考案して楽しませてくれるお店があり、なぜ次から次へとこれほどおいしい料理を思い付くのか感心します。多くはシェフのセンスでやっていることなのですが、よくよく聞いてみると、歴史上の料理を現代的に解釈して、食材の組み合わせを考えてみたとか、師匠が昔作っていた料理をふと思い出し、季節にあわせて冷製にアレンジしてみたという話が出てきたりします。

東京・新橋にあった日本料理店「京味」の西健一郎さんは、伝説の料理人であり、多くの弟子を育てたことでも知られています。弟子たちは、「京味」のDNAを継承しながらそれぞれのスタイルを確立し、名料理人として活躍しています。西さんが亡くなられてからも、いまだに師匠を懐かしみ、思い出話を語ってくれます。

方法論は教えられないけれども、一緒に料理を作っていた記憶や経験は継承されていくものなのかもしれません。教育の最も理想的なあり方は、まさにこういうものではないかと思います。

TEXT=瀬戸友子 PHOTO=梅原渉

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