自分自身も自然の一部 その実感を写真で伝えたい
経営コンサルタントから動物写真家へ、異色の転身を遂げた篠田岬輝氏。もともとは「動物好きの普通の子ども」で、専門的な写真の勉強も特にしたことがなかったという。どのような関心や経験が繋がって今に至ったのか。世界を飛び回り、野生動物に向き合う中で何を考えるのか。その足跡と、動物写真に込める思い、今後の展望についてうかがった。
もともと動物は好きでしたが、いわゆる「動物博士」ではなく、動物園に行ったり、動物のテレビ番組を見たりするのが好きな子どもでした。岩合光昭さんの動物写真集などもよく見ていましたね。ずっと都会育ちでしたから、逆に自然に惹きつけられたのかもしれません。
テレビも大好きでした。自分が知らないものを見たり、知っているものでも見え方がガラリと変わってしまったりすることが面白くて、大学時代にはメディアの仕事に興味を持って、放送作家養成セミナーに通ったこともあります。結果的に、インターンシップでメディアに関わる案件に触れて、外からメディアに関係を持つ道もあると気づいて、経営コンサルティングファームに就職しました。
会社員時代にまとまった休暇で行ったアフリカ旅行が動物写真家を目指すきっかけになりました。子どものころからテレビや本で親しんでいたアフリカに行ってみようと思い立ち、そこですっかり魅せられてしまったんです。
アフリカは、普段の自分の生活とはまったく違う世界でした。自分の想像を超えて、コントロールできないことがたくさん起こります。
中には心が痛むような出来事も少なくありません。生まれたばかりのインパラの子どもが、足が弱くてまだ立てないうちに、ハイエナに襲われて食べられてしまう光景を目の当たりにしたときはショックでした。でも同時に、インパラの死は終わりではなく、ハイエナの命につながっているのだということを強く実感しました。
それは人間も同じだと思います。現地の人たちが歓迎のしるしにと、ヤギをふるまってくれたことがありました。目の前で、生きているヤギがさばかれて、丸焼きにされて、それを自分が口にする。システム化された日常の中では見えなくなっているけれども、自分自身も生き物の命をいただいて生きているのだと改めて気づかされた。むしろ普段の自分の生活の方が不自然なのではないかと感じるようになりました。
こうした野生動物の世界にもっと触れていたい。最初は南アフリカ、次はケニアと、何度かアフリカに足を運ぶうち、ますますその思いが強くなり、動物写真家になることを考えるようになりました。
コンサルタントとしての経験は今も活きている
実は最初のアフリカ旅行まではコンパクトなカメラしか持っておらず、写真を撮ることが特別好きだったわけではありません。なぜ写真家かといえば、写真は、動物と一緒にいるときの匂いとか空気、その瞬間の自分の思いなどを、呼び起こしてくれるからです。ファインダーをのぞいていると、動物と心が通じたのではないかと思える瞬間があって、地球のエコシステムというか、大きな自然の流れの中に自分自身も交ぜてもらえたような気がしてくるのです。
思い切って会社を辞めたのは、4年目のことでした。もちろん不安もありましたが、コンサルティング業界は、比較的人の出入りが多く、出戻りも少なくありません。他の業界からやってきた上司と話をしたときに、「外の世界に出た経験はきっと価値になる」と言われて気が楽になり、「戻ろうと思えば戻れるのだから、好きなことをやってみたら」という言葉に背中を押されました。
それでも、独立してすぐプロ用の機材一式を買い揃えて、渡航取材を入れたら貯金が底をついてしまい、最初のうちはすごく不安になりました。依頼を受けて撮影することもありますが、今も基本的には仕事につながるかわからない状態で、時間とお金をかけて渡航するので、それ以上の価値を出すことを常に意識しています。
やはりコンサルタントの経験があるので、僕の場合は頭で考えて動くことが多いですね。たとえば写真を勉強するにも、世界最大といわれるロンドン自然史博物館主催の野生生物写真コンテストの受賞作品を60年分振り返って、写真の歴史をひもといたり、撮影技術や撮影テーマを分析したりしていました。
昔は写真家はアーティストのイメージがありましたが、実際に活動を始めてみると、自分自身の感覚としては、むしろエディターに近いと感じています。今や世界中のどこにでも渡航できるようになり、カメラもこれだけ普及して誰もが簡単に撮影できる時代ですから、プロとして求められるのは、他の人とは違う自分なりのメッセージをいかに届けていくか。そのために、どういう切り口であれば世の中に受け入れてもらえるのか、どんな見せ方をすれば伝わるのかを考えながらシャッターを押しています。アプローチこそ違いますが、目の前の現状を自分の中に落とし込んで、誰かに何かのメッセージとして伝えるという点では、コンサルタント時代にやっていたことと共通するところがあるように思います。
時間をかけて動物と1対1の関係を築く
野生動物の写真を撮っていて面白いのは、だんだん個体が見えてくることです。
最初はひとくくりに「ライオン」としか思えないものが、時間をかけて観察していると、見た目も動き方も性格も個体によって全然違うことがわかってきます。人間でいうパーソナルスペースのように、動物にも他者に立ち入ってほしくない距離がある。その中で、たとえば1頭の雌の子どもが僕に興味を持って、少しずつカメラのレンズに近づいてくるようになります。そうなると、自分とその個体という1対1の関係が生まれてきます。
ライオンでもジャッカルでもキツネでも、そんなふうに関係を築けた個体を追っていくと、お父さんとお母さんのどちらが強いかなど、だんだん家族間のつながりや関係性も見えてくる。だから「動物」を撮影しているのではなく、知り合いを撮っているような感じです。
また、現地に通って動物が個体として見えるようになってくると、世の中で「環境問題」として取り上げられているようなことが、身近な問題として差し迫ってきて、自分ごととして考えるようになりました。
たとえば野生動物を守るために、国立公園を指定して生息地の自然を保護するという方法が採られます。ところが、それによって数が増えてしまい、縄張りがかぶって同じ種同士の戦いが起きてしまうケースもある。一方では、できるだけ人の手を加えない方が自然保護につながると主張する人もいます。おそらくどちらも正しいし、どうすれば自然に悪影響を与えず、人間と動物たちとが良い関係を築けるかは、個々に考えていくべきことなのだろうと思います。
最前線で活動していると、自分自身も矛盾をはらんだ存在であることを感じます。人間が活動をするということは、直接的にも間接的にも必ず何かしらの影響を、自然に対して与えてしまっているということ。自分も含めて人間がサバンナや南極に足を踏み入れなければ、その環境は保たれていたかもしれない。それでも、自分はそこに分け入って写真を撮っている。矛盾を抱えながらも、責任を持って自分のやるべきことを全うしていきたいと思っています。
歴史の中でも写真1枚で世界が変わったことがあり、僕は写真家として、写真の力を信じています。「サステナブル」とか「生物多様性」とかいった流行りの言葉ではなく、現実の課題をもっと身近に感じてもらえるように、これからも写真を通じて社会にメッセージを伝えていけたらと思っています。
TEXT=瀬戸友子 PHOTO=平山諭