スポーツとビジネスを語ろう
スポーツビジネスに必要な能力を見極めそこから逆算してキャリアを形成した
栃木ブレックス 代表取締役社長 藤本光正氏
ビジネス界からスポーツ界に転身し、活躍している人々を取り上げる本連載。今回は、プロバスケットボールクラブ・宇都宮ブレックスの運営会社で代表取締役社長を務める藤本光正氏に話を聞いた。「スポーツビジネス」は特殊な世界ではなく、あくまでビジネスの1 分野であること。そして、キャリア形成や事業遂行に必要な要素を見極め、そこから逆算して行動することが藤本氏の基軸となっている。
聞き手=佐藤邦彦(本誌編集長)
―宇都宮ブレックスが現在のチーム名になったのは最近ですね。
はい。当クラブは2007-08シーズン、「栃木ブレックス」として日本バスケットボールリーグ(JBL)(※1)の下部リーグだったJBL2に参入しました。2008-09シーズンにはJBLに昇格し、チーム名を「リンク栃木ブレックス」に変更。2009-10シーズンにはJBLで優勝しています。そして、2016年開幕のジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)に加わり、リーグ初年度の2016-17シーズンで優勝を果たしました。「宇都宮ブレックス」というチーム名になったのは2019-20シーズンからです。
―藤本さんが代表取締役を務める栃木ブレックスは、その運営会社という位置づけなのですね。
そうです。私は2006年、組織コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションに新卒入社しました。この年の11月、同社がブレックスのメインスポンサーになったことで、このクラブに関わるきっかけが生まれたのです。
―藤本さんは昔からバスケットボール界に興味があったのですか。
私は小学生の頃からバスケットボールが好きで、プロ選手を目指すために米国の高校に進学したほど熱中していました。プロになる夢は諦めて大学進学前に帰国したのですが、当時、日本ではバスケットボールの人気がまだまだ低く、それが悔しかったのです。「こんなに面白くて米国では皆が話題にしているバスケットボールを、なんとか日本でも広めたい」と考えたのが、この道を選んだ原点でした。
バスケ界で必要な力から逆算して就職先を決定
―それで、大学ではスポーツビジネスを学ばれたのですか。
はい。そして大学2年生のとき、発足前の日本プロバスケットボールリーグ(b jリーグ)(※2)にインターンとして関わりました。
私は大学でスポーツビジネス論や海外スポーツの成功事例などを学んでいたため、b jリーグでも役に立てると思っていました。しかし、今振り返ると当時の私はただの頭でっかちで、鼻っ柱は見事にへし折られたのです。私には日本の市場を分析して課題を見極めたり、その解決に向けた具体的な戦略を組み立てたりする力がなく、まったく活躍できませんでした。このままバスケットボール関連の仕事に就いてもダメだと痛感しました。
―当時、藤本さんに不足していた能力とはなんだったのでしょうか。
課題を抽出し解決するための「対課題力」、コミュニケーション能力などの「対人力」、自己抑制力や忍耐力、決断力などの「対自分力」の3つ、すなわち、職種や業界にかかわらずビジネスパーソンが備えるべき「ポータブルスキル」が足りませんでした。それらを短期間で身につけるにはどんな選択が最善かと考えたとき、コンサルティングの世界に進むことが近道だと考えたのです。
―ところが藤本さんは、入社から約9カ月後に栃木ブレックスの立ち上げを担当することになりました。
リンクアンドモチベーションがブレックスのメインスポンサーに決まったとき、将来バスケットボール関連の仕事をしたいと公言していた私に、チーム立ち上げを担当しないかと声がかかりました。3〜5年くらいはコンサルタントとして力をつけるつもりでいましたが、これほどの好機はないと栃木行きを決意。当時の直属の上司と2人で、チームの立ち上げ業務に取り組んだのです。
2016年にブレックスがリンクアンドモチベーションの傘下から離れるまで、私は毎年、リンクアンドモチベーションの経営陣に事業計画を提出し経営報告を行っていました。そのやり取りを通じ、組織の運営方法を学んでいったのです。また、9カ月間とはいえ、リンクアンドモチベーションで先輩のプロジェクトに同行したりいくつかの案件を担当したりして「ポータブルスキル」を磨けたことは、経験の浅かった私にとって大きかったです。
※1 2013年まで開催されていた男子セミプロバスケットボールリーグ。その後はナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)に移行したが、2016年、bjリーグとともにBリーグへと統合された。
※2 2016年まで開催されていたプロバスケットボールリーグ。2016年、Bリーグに統合された。
スポーツ業界は特殊でなくあくまでビジネスの1分野
―これまでのクラブ運営で苦労されたのはどんなことですか。
立ち上げ当初は、前例がないなかでクラブを運営するのが大変でした。プロ野球やJリーグ、NBAなどの事例がまったく参考にならなかったわけではないのですが、市場や競技の特性などがあまりに違い、彼らのやり方をそのまま取り入れてもうまくいかなかったのです。そこで、自力で問題点を見つけ解決策を編みだし、とにかく動いてみるというのが当時のやり方でした。
2009-10シーズンにJBLで初優勝した後、東日本大震災が起きたときは、大赤字を出してつらかったですね。当時は優勝して周囲からの期待が高まるなか、なかなか勝てず、クラブ全体に停滞感がありました。そこに震災が追い打ちをかけたのです。シーズンが途中で打ち切られ、入場料収入やスポンサー収入などが激減。大幅なコスト削減を余儀なくされた結果、選手とフロントの関係がぎくしゃくするなど、クラブにはとても重苦しい雰囲気が漂っていました。
―震災後の危機をどうやって乗り越えたのでしょうか。
組織運営をトップダウン式からボトムアップ式に変えました。各部署に大きな裁量を持たせる一方、おのおのが売り上げと原価を管理する仕組みにしたのです。これがうまくいき、売り上げは急回復しました。
また、ここ数年のブレックスはマーケティングや他業界とのコラボレーションなどで新たな取り組みを積極的に進めています。こうした動きが生まれたのも、ボトムアップ式への切り替えで自由な発想が生まれやすくなったからではないでしょうか。現場に権限を委譲し、メンバーの主体性や仕事へのコミットメントを高めたりする手法は、リンクアンドモチベーションで学んだものです。
世間にはスポーツビジネスを特別視する人もいますが、私はあくまで「ビジネスの1分野」だと考えています。ですから、クラブの経営をよくしたいなら、業界に関係なく通用する汎用的な経営スキルを学んでスポーツビジネスの現場で実践することが大切です。
―藤本さんは2018年にグロービス経営大学院を修了しましたが、これも、ビジネスに必要な能力を身につけるためだったのですか。
その通りです。取締役副社長に就任して経営に深く携わるようになった私には、新たな手法でクラブの経営規模を拡大する役割が求められていました。そこで、自社の価値の源泉とはなにか、経営資源をどう配分するかといった経営の知識を身につける必要があると考え、経営大学院に進んだのです。
―ここでも藤本さんは、目標から逆算して行動されたのですね。
スポーツビジネス界はブルーオーシャン
―藤本さんは現在の日本のスポーツビジネス界をどう見ていますか。
この業界は、いわばブルーオーシャンです。米国のスポーツビジネス界は歴史があり、かなり洗練されたものになっていますが、日本のスポーツ界はまだまだ発展途上。私のようにビジネスから入る人が活躍する余地も十分あると思いますし、変革が求められ、またビジネスとしての拡大も期待が持てる分野です。
―現在の目標はなんですか。
1つ目は、ブレックスを「この地域に必要不可欠なもの」にすることです。私が米国にいた頃は、毎朝同級生たちと「昨夜のマイケル・ジョーダンのプレー見た?」などと大騒ぎしたものでした。それだけ、バスケットボールがお茶の間に浸透していたのです。この宇都宮でも、来場いただくファンの方だけでなく一般の方にもバスケットボールを届けることが、私たちの役割だと思っています。
2つ目の目標は、2026年から新たに形を変えてスタートする「新B1」にしっかり参加できる体制を整えることです。そのために、ホスピタリティ性やエンターテインメント性の高い、自由に使えるアリーナを整備するプロジェクトを水面下で推進中です。
そして3つ目の目標は、バスケットボールを、野球やサッカーを超えるような存在にすることです。
―越えるようとしているハードルは高いと思いますが、目的から逆算して課題に取り組むことで、藤本さんは高校時代からの夢に近づけている気がしますね。
はい。「日本のバスケットボール界を盛り上げたい」という軸は、昔からぶれていません。
八村塁選手がNBAで活躍し、女子代表チームがオリンピックで銀メダルを獲得するなど、バスケットボールへの注目度は高まっています。コロナ禍前までは、Bリーグ全体の動員数も右肩上がりでした。今はクラブの経営者というポジションですが、今後、仮に私の立場が変わることがあっても、普及のために力を尽くしたいです。
Text=白谷輝英 Photo=平山 諭
After Interview
「スポーツビジネス」は特殊な世界ではない。これは私が本連載を立ち上げた思いだ。プレーヤーであれ指導者であれ、スポーツに深く関わった経験がなければ務まらない、そんな暗黙の常識を感じる場面を多くみてきた。ビジネスの世界でも「この業界は特殊性が高いため他業界からの転職は厳しい」という声が聞こえた時代はあったが、近年の人材の不足と流動化に伴いそれは変わりつつある。異業界、異職種に転身し、領域を超えて活躍する人が増えており、その多くはポータブルスキルを持っている。スキルには、あらゆるビジネスで通用するポータブルスキルと、業界や職種ごとに求められる専門性であるテクニカルスキルがあり、ビジネスの推進に欠かせない対課題力や対人力といったポータブルスキルが、先行き不透明な環境で業界を超えて求められている。藤本氏のようにスポーツの世界でもポータブルスキルを軸に活躍する人が増え、スポーツビジネスがさらに発展していくことに期待したい。
藤本光正氏
栃木ブレックス 代表取締役社長
Fujimoto Mitsumasa 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業後、2006年、リンクアンドモチベーションに入社して営業職やコンサルタント職を担当。2007年1月からプロバスケットボールクラブ・栃木 ブレックス(現・宇都宮ブレックス)の設立に携わり、経営企画、選手獲得交渉、試合運営・演出、スポンサー営業、プロモーションなど幅広い業務を手がける。2012年に取締役、2016年に取締役副社長、2020年には代表取締役社長に就任。業務のかたわら、2018年にはグロービス経営大学院を修了(MBA)。