スポーツとビジネスを語ろう
強い選手を集めるだけでは勝てない。クラブ理念の浸透こそが最重要なのだ
琉球アスティーダスポーツクラブ 代表取締役 早川周作氏
ビジネス界からスポーツ界に転身し、活躍している人々を取り上げる本連載。今回話を聞いたのは、プロ卓球リーグの「Tリーグ」に所属する琉球アスティーダで代表を務める早川周作氏だ。リーグ初年度に「どん底の最下位」だった琉球アスティーダが、2年後の優勝を実現できたのはなぜか。琉球アスティーダを、日本のプロスポーツクラブで初めて上場させた目的は何か。そして、クラブや卓球界を成長させるため、どんな仕組みを作りたいと考えているのだろうか。
聞き手=佐藤邦彦(本誌編集長)
―早川さんは学生時代から事業を手がけていたそうですね。
大学受験直前に父が事業に失敗して失踪したため、私はいろいろなアルバイトをしながら大学の夜間部に通っていました。3年生のとき、勤務先の法律事務所で無料電話サービスを立ち上げて成功を収めたことなどでオーナーから認められ、資金の出資を受けて不動産会社を起こしたのが経営者としてのスタートです。
―その後、28歳で衆議院議員選挙に出馬されました。なぜですか。
父の失踪時に、金融機関や行政から散々な扱いを受けました。誰も助けてくれないし、誰にも頼れない。社会の仕組みは弱者に冷たいのだと痛感し、弱い人を救いたいと考えるようになったのです。社会を変えるには政治家を目指すべきだと考え、企業経営で生活に余裕ができた時期に政治家への転身を決めました。
―次点で落選して経営者に戻ったのと同時に、ベンチャー支援を手がけるようになったのですね。
私は飲食店などを経営する一方、弱い人に光を当てたいという思いから、ベンチャー経営者の相談に乗って悩みを解決したり複数のベンチャーをマッチングさせたりする仕事を始めました。そうした経験を通じ、お金を循環させる大切さや、人を動かす力を学んだ気がします。
―そこからなぜ、琉球アスティーダの経営を引き受けたのでしょう。
沖縄に移住していた私は、2018年1月に知人から、後にTリーグ初代チェアマンとなる松下浩二さんを紹介されました。そこで、その秋に開幕予定だったTリーグに、プロ卓球クラブの代表として参加しないかと誘われたのです。
―Tリーグは、2018年に始まった卓球の新リーグですね。
はい。現在のTリーグは男子4チーム、女子6チームが参加。男子が1チームあたり21試合、女子が20試合のレギュラーシーズンと、プレーオフを戦って優勝を決めます。
私には卓球経験がなく、当時は興味もさほどありませんでした。しかし、松下さんから「卓球は15歳で五輪メダリストになれるかもしれない、夢のある競技。貧富の差が勝敗と直結せず、多くの人に可能性がある」と聞かされ、心を大きく動かされたのです。経済格差の拡大という社会問題を抱える沖縄を支援することは、弱い者に光を当て地域を盛り上げたいと願っていた私の昔からの志とぴったりマッチしていると直感し、私は誘いにすぐ応じました。
最下位の初年度を終え「パーパス経営」に転換
―早川さんは運営会社の琉球アスティーダスポーツクラブを設立し、既に活動していたアマチュアクラブの琉球アスティーダ卓球クラブを引き継ぐ形でTリーグに参戦しました。でも、初年度は最下位でしたね。
最初のシーズンは散々でした。
クラブを立ち上げる前、スポンサー契約の内諾を数社から得ていると関係者から聞かされていました。しかし各企業を訪問してみると、どこからも断られたのです。ゼロからスポンサー探しをしなければならないとわかり、私は真っ青になりました。また、強い選手を集めたとも聞いていたのですが、開幕後は連戦連敗。最初のシーズンは結局、6勝15敗で最下位でした。
―なぜ、初年度は成績が振るわなかったのでしょう。
企業理念がクラブに浸透していなかったことが、最下位に沈んだ最大の理由だったと私は考えました。
琉球アスティーダの経営を引き受けたのは、弱い人に光を当てられると思ったからです。また、沖縄が秘める可能性を引き出し、地域活性化に貢献したい気持ちもありました。そこでクラブ立ち上げ時には、「夢への道を拓き、明日を照らす光となる。」というミッションと、「だれもが夢をあきらめない社会をつくる。」というビジョンを掲げたのです。ところが、これが選手たちにはきちんと伝わっていませんでした。ですから、2シーズン目からはこの理念に共感してくれる選手を集め、ことあるごとにクラブの目指すべき道を伝えました。いわば、琉球アスティーダに「パーパス経営」を導入したわけです。
―スポーツの世界は勝利がすべてという印象も強いですが、理念と勝利は連動するのでしょうか?
十分に連動すると思います。
著書『スラムダンク勝利学』で知られるスポーツ心理ドクターの辻秀一さんは、人間には何をすべきかを考える「認知脳」と、心情や感情を司る「非認知脳」があるとおっしゃっています。そして、「絶対に勝ちたい」と願う認知脳と「このクラブでプレーするのが楽しい」と感じる非認知脳の両方が最高の状態になれば、高いパフォーマンスを発揮できると説いているのです。
琉球アスティーダは2年目以降勝ち星を増やし、3年目には優勝を果たしました。その原動力となったのは、クラブのために役立ちたいと思える選手を集め、彼らに「私たちが勝てばファンに夢を与えられる」と感じてもらって非認知脳の状態を改善したことではないかと、個人的には考えています。
一般企業での経験を生かし若手選手を育てる
―理念を浸透させるために早川さんはどんな工夫をしていますか。
選手と頻繁にコミュニケーションを取っています。理念を伝えるだけでなく、選手の考えや目標、現在の状況などを把握してチーム運営に役立てていますね。そのなかで、「選手やクラブがなぜ収入を得られるか」という話題もよく出しますよ。
―それはなぜでしょうか。
特に若いトップ選手は一般的に、ジュニアの頃からちやほやされてきましたし、勝ちさえすれば礼儀について厳しく注意される経験も多くはありません。なかには、スポンサー企業の経営者からあいさつされても、椅子にどっかと座ったまま「ちーっす」と返事をする若い選手もいます(笑)。
クラブやリーグが成長するには、お金を循環させる仕組みを作ることが大切です。そのためには、ファンとスポンサーを大切にすることが基本中の基本。選手には、普段からそのように厳しく指導しています。選手を特別扱いしてはいけません。私たちには、一般社会の常識をスポーツ界に持ち込み、若い選手を人間的な面でも育てる役割も求められているのです。
卓球を軸に地域を盛り上げお金が循環する仕組みを作る
―琉球アスティーダは2021年、日本のプロスポーツクラブでは初めて上場を果たしました。これにはどのような理由があったのでしょうか。
日本企業は、スポーツにお金を出したがりません。気持ちはわかります。多くの国内クラブはガバナンスが利いているとはいえない状況ですし、情報公開も不十分です。また、私たちが上場するまで、日本にはプロスポーツクラブの上場企業はありませんでした。市場から公正な評価を受けていないクラブにお金を出すのは、企業にとって難しいでしょう。
そこで私たちは、クラブ創設直後から上場を目指しました。将来存分に投資できるよう、資金調達しやすい環境を作りたかったのです。
――かなり険しい道のりだったと思いますが、実際はどうでしたか?
確かに苦労は多かったですね。当時のTリーグには、株主が変わる場合は理事会の事前許可が必要だという規約がありました。上場すれば誰もが株式を買える状況になって規約に抵触しますから、理事会の許可がなくても株主の移動ができるように、規約を変える必要があったのです。私は理事会に何度も掛け合い、やっと修正がかないました。
プロスポーツクラブとしては初の上場ということもあり、証券取引所の審査は普通より厳しかったです。そこで、各企業から期待できるスポンサー料の金額や、企業ごとの契約獲得見込みなどを詳細にまとめた資料を毎月証券会社に提出。さらに、市場規模の成長性や、海外でも収益化が図れる可能性があることなどをていねいに説明して、何とか上場を認められました。
――そういえば先日、Jリーグでもクラブの株式上場を解禁するための規約改定が行われましたね。
そうですね。Bリーグでもいずれは解禁されるでしょう。各リーグで上場が可能になり、今より投資や資金調達をしやすい環境が整ったら、私たちが種目を超えたM&Aに乗り出してビジネスの拡大を目指す可能性もあります。
今後、上場するプロスポーツクラブは増えるでしょう。日本でも、英プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCのように、巨額の資金調達に成功して世界的クラブを目指すところが現れるかもしれません。それが、日本でもスポーツがビジネスとして認めてもらえるようになった証になると思います。
――早川さんは今後、スポーツ界で何を目指すのでしょうか。
いずれは、プロスポーツクラブの枠を超えた、Bt oC、Bt oBのマーケティング会社を作りたいですね。
卓球は、資金力のない選手でも世界で勝てるチャンスのある競技です。また、ほかの競技やコンテンツと組み合わせることで、魅力があるのに盛り上がっていない地域を豊かにすることもできるはずです。そこで、卓球と飲食店やスポーツジム、アパレル会社などの事業を組み合わせ、スポーツと地域、そして選手にお金が循環する仕組みを作ることで、弱い人や地域に光を当てるという私の志が実現できると思うのです。
Text=白谷輝英 Photo=平山 諭
After Interview
早川氏と実際にお会いして、書籍や記事などの文字情報では伝わらないポジティブなエネルギーを肌で感じた。その根っこにあるのは、若かりし頃の世の中に対する不信感とそれを払拭するために自らの手で仕組みを変えたいという強い思いだろう。豊かなエネルギーと実行力で結果を出す早川氏は、学生時代から起業家のオーラをまとっていたに違いない。それは、実績のない20歳そこそこの早川氏に支援が集まったことからも明らかだ。さらに注目すべきは、事業経営やベンチャー支援などで成功しても満足せず、新たなチャレンジが止まらない点だ。何かを目指すのではなく、見つけた課題を解決することで世の中を変えていくと語る早川氏にとって、スポーツの世界も通過点にすぎない。1つのクラブの上場に満足せず、M&Aによるさらなる成長や、スポーツの枠にとらわれない視野でよりよい世の中を見据えている。どんなに苦しい環境でも、自らの手で変えてやるという若かりし日の志は今も変わっていない。
早川周作氏
琉球アスティーダスポーツクラブ代表取締役
Hayakawa Shusaku 明治大学法学部在籍中から起業家として活動。不動産会社の経営などに携わった後に政治を志し、衆議院議員選挙に出馬したが落選。その後はベンチャー起業支援事業を手がけ、90 社以上を顧問やアドバイザーとして支えた。2011 年、沖縄に移住。2018 年、男子プロ卓球クラブの琉球アスティーダの代表としてTリーグに参戦。2021 年には日本のプロスポーツクラブとして初の上場を果たす。同年、女子プロ卓球クラブの九州アスティーダを設立し、Tリーグに参戦。現在は、プロ野球独立リーグ・九州アジアリーグの理事、琉球大学客員教授なども務めている。