成功の本質
第100回 ClipLine(クリップライン)
店舗従業員のつながりを生む新教育システム
多店舗展開する外食チェーンなどのサービス業ではパート・アルバイトが貴重な戦力だが、人手不足とともに離職率の高さが大きな課題となっている。そんななか、動画マニュアルを使った従業員教育の新しいシステムをクライアント企業に提供し、離職率の低下を実現して注目を集めているのがClipLine(クリップライン)だ。
同社が開発した「クリップライン」はサービス開始から5年が経った現在、5000店舗、約10万人が利用している。導入企業の一社、フィットネスクラブ大手のティップネスでは、パート・アルバイトの採用半年後の離職率が34%から9%に激減、1年後の離職率も70%から36%に半減した。
動画マニュアルを使う教育サービスは以前からあった。クリップラインの特徴はシステムがクラウド上にあることで、現場の店舗スタッフと本部との間で双方向のやりとりが可能になるところにある。使い方はこうだ。スタッフが店舗でタブレット端末に個人IDでログインすると、トップページに「クリップ」や「ToDo」などのサイドメニューが並ぶ。
クリップとは動画マニュアルのことで、クリックするとその一覧が表示される。ToDoはそのクリップのなかから、スタッフの役割やレベルに応じて習得すべき業務のカリキュラムを抽出したものだ。個々の業務について動作を細かく分解し、それぞれ20~30秒の動画に編集している。短い尺であれば、仕事の隙間時間に閲覧でき、苦手な動作だけを繰り返し見ることもできる。
最大の特徴は、クリップを閲覧するだけではなく、自分の動作をスマートフォンやタブレットで"自撮り"もしくは同僚などに撮影してもらい、その映像を投稿する機能がついていることだ。手本と自分の映像とを並べて比較すれば、違いや改善点に気づきやすい。さらには映像を本部にレポートとして提出し、店舗運営指導にあたるスーパーバイザー(SV)などから遠隔地にいながらレビュー(評価・コメント)を得ることができる。また、映像はほかの店舗のスタッフにも公開されるので、スタッフ同士で「いいね」の評価やコメントをもらうこともできる。一方、本部では、各店舗での従業員のToDoの進捗状況が"見える化"され、把握が容易になる。クリップラインを発案した高橋勇人社長は、その特質をこう話す。
「既存のeラーニングは集合研修の置き換えで、知識の習得が目的でした。しかし、重要なのは、スタッフが正しい方法を『わかっている』だけでなく、実際に『できる』ことです。要は行動を変える。クリップラインの目的は、スタッフに行動変容をもたらすことにあります」
「現場に答えがある」
行動変容は、「わかっている」から「できる」への進展にとどまらない。経験を積んだ店舗スタッフが「このやり方のほうがいいのではないか」と自発的に創意工夫し、仕事の成果に結びつけるケースも少なくない。それを撮影し、投稿する。本部が「手本よりもいい」と判断すれば、「新しい教材」として全店舗に配信する。
あるいは、本部が出した「今度発売する新商品のお勧めの仕方を考えてください」といった課題に対し、現場のスタッフが動画で投稿できるコンテストを行い、ベストなものを選んで新たな教材にすることもできる。
これまで現場に埋もれていたスタッフの知恵を発掘し、動画にして"見える化"し、横展開して還流させる。この仕組みを「映像音声クリップを利用した自律的学習システム」と題して特許も取得した。高橋が話す。
「パート・アルバイトのスタッフも、貢献欲求を持っています。現場での自分の知恵を、ほかの店舗のスタッフとも共有していく。自律的学習への行動変容です」
現場からの"知の還流"の仕組みは、「サービス業では現場に答えがある」との高橋の確信から生まれた。高橋は以前、コンサルティング会社に勤務し、回転寿司チェーンのあきんどスシローの経営改革に2009年から3年間携わった。直面したのは伝言ゲームの問題だった。情報が営業本部長→SV→店長→スタッフへと伝わる間に、内容が抜け落ちたり、解釈が変わったりしていた。
もう1つの大きな問題は、店舗から本部への情報伝達が滞り、本部からは店舗の状況がよく把握できないことだった。現場でマニュアルより優れた取り組みが行われていても、本部には伝わらない。
「本部の幹部もかつては現場で活躍していたとしても、"10年前の金メダル選手"です。本部のつくるマニュアルは時代遅れかもしれない。店舗のオペレーションは生き物です。最新のマニュアルにリアルタイムで更新されなければいけないのに、できていませんでした」(高橋)
コスト感とスピード感
一方、自身は私生活ではインターネットを使ったビデオ通話を多用していた。店舗のマネジメントに映像を活用したくても、当時は送受信に時間がかかった。それが短期間に環境が一変する。通信回線が高速化し、スマホやタブレットが急速に普及、それを使いこなすユーザーのリテラシーも高まった。高橋は2013年に起業し、システム開発に着手。「従業員教育のコスト削減とマニュアルのスピーディな更新」を打ち出し、事業を開始した。
システムの導入費用は1社平均約150万円、利用料が1店舗毎月1万円かかる。吉野家、日本ケンタッキーフライドチキン、養老乃瀧グループ、高島屋などが次々導入していった。
「たとえば、吉野家さんは全国に1200店舗あります。この規模のチェーン店では、各店舗に毎月新人が1人は入りますから年間1万4400人。新人教育に20時間かかるとして、マン・ツー・マンのOJTを行うと膨大なコストです。一方、クリップラインではカリキュラムを一度セットしておけば、OJTにかかわるコストは劇的に削減される。また、動画はポイントを絞って編集するため、対面のOJTなら20時間かかるプログラムが平均30秒のクリップ200〜300本で表現でき、トータル1時間40分〜2時間30分で学習が可能です。そして、何より現場のベストプラクティスを動画でリアルタイムに横展開できるので、マニュアルの更新速度が圧倒的に速い」(高橋)
離職の要因は不安感
導入例を見てみよう。前出のティップネスでは、2014年に開業した24時間営業のスポーツジム「FASTGYM24」に2017年10月から導入した。プールやスタジオも併設する総合型と違い、筋トレやランニングなどのマシンに特化。店舗面積も60〜100坪と総合型の10分の1の規模で、コンビニより多少広い程度だ。スタッフはパート・アルバイトが2人のみ、常駐時間帯は10〜20時でほかの時間帯は無人。月会費は総合型では1万円ほどだが、7000円前後に設定され、20〜40代が主なターゲットだ。このタイプのジムは比較的初期投資が軽いため異業種からの参入も相次ぎ、全国で急増している。
マシンの使用はセルフ方式で、スタッフはトレーニングの指導は行わない。受付以外の大半の時間はジム内やシャワー室、トイレなどの清掃に費やされる。顧客の不満要因解消となるため重要な業務だ。開業から3年間は、SVが1人で10店舗ほどを回りながら、口伝えと紙のマニュアルで教育を行っていたが壁にぶつかっていた。FASTGYM24担当の取締役執行役員、小宮克巳が話す。
「この業態は、好立地にいち早く出店できるかどうかが勝負で、当社も4年間で90店舗と年間約20店舗のペースで出店してきました。店舗は1都3県の広範囲に分散しているため、SVの店舗訪問の頻度はどうしても低くなります。スタッフに対するフォローが十分には行き届かず、それが離職率の高さに結びついていました」
スタッフはなぜ辞めていくのか。FASTGYM24事業部長の三島昌彦はその理由を次のようにあげる。
「いちばん大きいのは不安感です。スタッフはスポーツジムなど未経験の主婦や学生、フリーターです。紙のマニュアルを見ても、細かいところはよくわからない。先輩のスタッフも忙しいので聞きづらい。SVは週1回くらいしか来ないし、5名のスタッフでシフトを組むので、必ずしも会えるとは限らない。スタッフは不安を抱えながら、自分なりのやり方で清掃をする。そのため、店舗によって清掃の方法もまちまちでした。クリップラインならば、正しい方法が全店舗に伝わる。SVがレビューを通じてフォローできる。それが導入の決め手でした」
導入後1年でどう変わったか。三島が続ける。
「1年目のスタッフは、クリップを見るようになってから、来店されたお客様に目を見て挨拶するなど、紙のマニュアルで伝えきれない所作の部分まで劇的に変わりました。そして、2年目以降のスタッフたちからは、自分なりに発想した新しい仕事の仕方をSVに動画で提案し、他店舗と共有しようとする動きが出てきたのです」
コミュニティの生成
現場発の提案により、クリップ数も当初の200本から2000本に増えたという。約40店舗を統括するエリアマネージャーの八木貴之が、1つの例を紹介する。
「月会費が入会月に半額になるキャンペーンを行ったときのことです。ある店舗から、『割引になった金額でご自分に投資してみませんか』と、専門トレーナーによるオプションのパーソナルトレーニングをお勧めするセールストークの例が投稿されました。本部としては価格を下げて入会を誘導するのが目的で、浮いたお金で追加のサービスの利用を促し、対価をいただくという発想はまったくできませんでした。利用者の目線を併せ持ったスタッフならではの発想で、すぐに横展開しました」
高橋の言う「貢献欲求」が喚起されたわけだ。不安から貢献へ。働き方の変化は離職率の低下だけでなく、顧客の継続率の向上など業績にも反映しているという。加えて、働き方に変化を及ぼした要因として、「一体感や所属欲求が満たされることも大きい」と小宮は話す。
「クリップにはわれわれ本部の社員も出演するため、どの店舗に行っても、スタッフから『クリップラインに出ていた人だ』と親近感を持って受け入れてもらえる。以前はないことでした。店舗の異なるスタッフ同士も同じで、クリップ上で互いに顔を認識し、投稿に『いいね』やコメントをし合ったりして、会っていなくてもつながりがある。だから、年1回、全スタッフが集まる場では初対面でも旧知のように打ち解け合い、盛り上がります。新店の応援を募れば、すぐ手をあげてくれる。クリップラインによって、FASTGYM24のスタッフのコミュティが生まれている。これはすごいと驚かされました」
なぜ、コミュニティが生まれるのか。高橋は「映像にも共感を生む力があるからだ」と言う。
「投稿の映像はスタッフが現場で得た暗黙知の表出です。その映像を見ながら、スタッフ同士で暗黙知を共有できる。暗黙知を共有できれば、場が生まれます。だから、対面で会っているように感じ、共感が生まれるのでしょう」
クリップラインをいち早く導入した吉野家でも、単なる教育システムではなく、「社内における新たなコミュニケーションのインフラ」として位置づけているという。「教える」という一方通行から、相互に「つながる」「共感する」という関係性へ。クリップラインは多店舗展開を行う業態において最も重要な課題に解決策を提供している。(文中敬称略)
Text=勝見明
1対1から 1対 nへ
動画で共感を醸成し効率性と創造性を両立
一橋大学名誉教授
人はものごとを認識する際、1つの流れとしてとらえる。たとえば、ドレミファソラシドの音階。ドの音を聞き、次いでレの音を聞くと、現在のレの音の認識を起点として、1つ前の過去のドの音の記憶が蘇り、ミファソ……と続くと未来を予知する。このように常に「過去・現在・未来の流れ」で認識する。
紙のマニュアルは業務を論理分析し、概念化するため流れが消える。その点、動画は流れをそのままとらえることができるので、人間の認識の仕方に即しているといえよう。
では、人と人は動画を介して互いに共感を抱くことができるのだろうか。
他者に対する共感は、基本的には「1対1」の対面で身体性を共有しながら対話することで場が生まれ、相手の微細な動きの流れまでも五感で感じとり、暗黙知を共有するなかでわき上がる。
本来、動画は身体性を持たない。しかし、クリップラインの場合、店舗スタッフ自らが自分の仕事ぶりを撮影した動画を投稿し、それに対して、見る側もコメントすることで、そこに対話の場が生まれる。これにより、身体性の共有はなくとも、共感し合う関係性に限りなく近づくことができるのではないか。
注目すべきは、互いに共感し合うなかで知識創造が行われることだ。クリップラインでは、現場で生まれた暗黙知がクリップという形式知に表出化される。それを見た別のスタッフが共感しながら現在の自分を顧みて、「私もこうありたい」と改善点に気づく。さらには、「私だったらこうする」と自発的に創意工夫し、未来の仕事のあり方を自ら切り開こうとする。ここにも知識創造を見ることができる。
クリップラインが注目を集めるのは、この知識創造のサイクルが、対面のOJTでは「1対1」のペアで生起されるのに対し、クラウドを使うことで、「1対n」の広がりになるからだ。n人のスタッフの一人ひとりがクリップと向き合うときには、前述の動画の特質により、擬似的に「1対1」の共感の関係性が成り立つ。「1対n」はコスト的にも効率性が高い。同時に、「1対n」であっても、それぞれの間では共感が生まれ、知識創造のサイクルが回る。動画の作成・配信、共有により効率性と創造性を両立させ、いずれも高めているところにクリップラインの強みがある。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。