成功の本質

第111回 CLINICS(クリニクス)/メドレー

コンサルの経験を経て元医師が立ち上げたオンライン診療システム

2020年12月10日

w163_seikou_01.jpgオンライン診療のイメージ。医師は診察室のパソコンを使い、オンラインで患者を診察する。クリニクスの場合、医療機関は初期費用などで約30万円、システム利用料として月1万円、診察ごとのサービス利用料を負担する。

新型コロナウイルスの感染拡大回避のため、多様な分野でオンライン化が進んだ。なかでもオンライン診療の全面解禁は特に注目を集めた。それまでは初診は認められず、対象疾患も生活習慣病などに絞られ、種々の規制があった。それが2020年4月10日から、コロナが収束するまでの時限的措置により全面利用が可能になった。
オンライン診療システムは国内に複数あるが、日本における草分け的存在で、導入医療機関数で国内1位を誇るのが、医療スタートアップのメドレーが運用する「CLINICS(クリニクス)」だ。4月の新規導入件数はコロナ禍前の10倍に拡大、導入機関数も上半期に2000施設に倍増。東大病院、慶應大学病院や全国各地の国立病院も含まれる。患者がオンライン診療を受診するのに必要なアプリのダウンロード数も9倍に増え、2016年のサービス開始以来、累計受診件数は10万件を突破した。
受診の仕方はこうだ。患者はスマートフォンなどを使ってオンライン診療に対応した医療機関を探し、都合のよい日時を選んで予約を取る。その際、問診票に回答。予約時間になると医師からアプリ上で呼び出され、自宅や職場にいながらビデオ通話で診察を受ける。終了後、登録したクレジットカードで自動決済。薬の処方箋をアップロードしてもらい、調剤薬局からオンライン服薬指導を受けることもできる。薬は登録住所に郵送される。予約から服薬指導まで、アプリ上で一気通貫で行える。
政府はデジタル活用推進のため、コロナ収束後も映像を使うことを原則にオンライン診療の「原則解禁」を表明した。今後広く普及した場合、「日本の医療が変わる1つのきっかけになる」と話すのは、クリニクスを立ち上げたメドレーの豊田剛一郎・代表取締役医師だ。
「医者と患者の関係性は“サンクチュアリ(聖域)”として、触れてはいけない世界のように見られてきました。ここにITのオンラインが入る。インターネットの力は効率化と個の力を高めるエンパワーメントにあります。オンライン診療が患者さんを啓発し、より強くする。医療現場に一石を投じることになるでしょう」
「代表取締役医師」の肩書きが示すように、豊田は以前、3年半、医療現場に立っていた。医師をやめ、クリニクスの立ち上げに至る歩みを通して、日本の医療問題とその解決に向けたオンライン診療の可能性を見てみたい。

日本では医療リテラシーが低い

w163_seikou_03.jpg豊田剛一郎氏
メドレー 代表取締役医師

進学校の開成高校から東京大学医学部へ。脳外科医を志して大手病院で研修の日々を送っていた豊田は、医療現場が抱える矛盾に疑問を抱くようになっていった。
「第1に無駄な医療です。日本の医療は出来高払いになっていて、どれほど医療行為をしたかでお金が入る。そのため、本来は病気を治す手段である医療行為自体が目的化してしまう。結果、現場は超多忙で疲弊しているのに、正直これはやらなくていいと思うような仕事を自分たちで増やし続けるという悪循環に陥っていました」
豊田は、てんかんの治療を専門にしようと考えていた。てんかんの患者は継続的に受診し、薬を服用すれば、発作は予防できる。ところが、患者は通院を負担に感じて、しばらく発作が起きないと病院へ来なくなり、発作が起きてから救急搬送されてくる。
「病院に来ないと患者として扱われない。それは医者のエゴではないか。患者さんがもっと多様な形で気楽に医療に接するようにできないかとも思い続けていました」
現場でこんな光景も経験した。90歳の高齢者が救急搬送され、脳出血と判明した。手術をしても意識が正常に戻る可能性は低く、寝たきりになる。一方、手術をせず、出血が続けば、半分くらいの確率で亡くなる可能性がある。「手術をしますか」。医師の問いに家族は「お願いします」と答える。手術は成功するが、家族は患者と会話することも笑顔を交わすこともできず、次第に見舞いの足は遠のく。患者は自宅に戻れず、長期入院へ。
「もし、患者さんや家族が医療について十分な情報や知識を持っていたら、後悔することのない“納得できる医療”を選択できたかもしれない。一人ひとりが医療との関わり方について高い意識を持っていたら、無駄な医療にも疑問を抱き、最適な手段を求めるようになる。国民皆保険の裏返しとして希薄になりがちな予防医療に対する意識も高まる。日本ではこの医療リテラシーが不足しているのも大きな問題でした」


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医師をやめてマッキンゼーへ

豊田はこの問題意識を日ごろから周囲にぶつけ、疑問を投げかけた。「日本の医療はこのままで大丈夫か」「変える必要があるのではないか」。あるとき、兄貴分的存在の先輩医師からこんな言葉をかけられた。「マッキンゼーとか受けてみたら。僕が今30歳だったらマッキンゼーに行くな」。豊田は初めて、戦略コンサルタントの存在を知り、医療の世界の外に出て、アクションを起こしてみるという選択肢があることに気づかされた。
その一方で、米国へ留学して脳外科の勉強をする夢もあり、自分で留学先も見つけた。どちらに進むか。豊田は尊敬する上司に相談する。「米国へ行くのが本当に自分のするべきことか迷っています。医者をやめてもっと外の広い世界から医療を変える道もあるのではないかと」。上司はこう答えた。「患者を救う医者は私たちがいる。豊田は医療を救う医者になりなさい」
豊田は、マッキンゼー・アンド・カンパニーの採用試験の結果次第で進路を決めようと、留学直前、日本支社にエントリーシートを送って渡米。米国と東京をつなぐウェブ会議システムで面接試験を受け、合格する。興味深いのは、留学後に医師をやめる決断をする一方で、猛勉強して米国医師資格を取得し、論文執筆にも打ち込んだことだ。
「マッキンゼーに行くにしても目の前のことから逃げずにすべてやり切って初めて、迷わずに選択できる。チャンスは何ごとも力を120%出した人に回ってくる。80%では回ってこない。それが僕のやり方でした」(豊田)
1年あまりの留学から帰国すると2013年9月、マッキンゼーに入社。医療関連企業のコンサルティングに全力で取り組んだ。ところが、1年ほどして次第に違和感を覚えるようになる。自分は「医療を変える道」を選んだのに、医療が抱える課題と担当するプロジェクトにつながりを見いだせない。クライアントの収益は国の医療費で支えられる。医療改革のためにお金を出す企業は存在しなかった。

w163_seikou_04.jpg患者がクリニクスを利用する場合、アプリのダウンロード料および利用料は無料で、負担は通常の診察と同じく医療機関への支払いのみだ。24時間予約可能で、診察時の待ち時間はゼロ。パソコンから受診する方法もある。

「自分の名前で勝負してほしい」

そのころ、豊田は旧知の人物と再会していた。メドレーの創業社長の瀧口浩平だった。小学校時代、同じ進学塾に通った。ともに開成中学校に入学。瀧口は校風が合わず、公立中学へ転校。東京学芸大学附属高校に進むが大学は受験せず、2年生のときに市場調査の会社を設立し、起業家の道を選んだ「規格外の男」(豊田)だった。
瀧口も医療のあり方に疑問を感じた経験があった。食道楽だった祖父が胃がんになり、胃を全摘出。術後、食が細くなり、2カ月後に亡くなった。「もっとしっかりと知識をつけて治療法を選べばよかった」 と後悔した。「納得できる医療を選べるようにするにはどうすればいいか」。強い問題意識を抱いた瀧口は自ら病院で働く経験もして医療の現状を知ると、医療・ヘルスケア分野の課題解決をミッションとして2009年、メドレーを起業。現場の人手不足解決に向け、医療介護の求人サイトを立ち上げた。その後、全国の医療、介護、薬局など約70万事業所のうち、3割の約21万の事業所(2020年11月現在)が利用するまでに成長する。
瀧口と豊田はフェイスブックでつながり、何度も会っては語り合った。瀧口は「患者にダイレクトに届くサービスや医療の質を底上げするサービスをやりたい」と考えていた。「医師の力が必要だ。来てほしい」。瀧口は豊田に共同代表就任を求める。真冬の深夜、豊田の家にタクシーで駆けつけると熱く語りかけた。「豊田が抱く危機感と熱い思いを、立ち上がってしっかりと世の中に伝えるべきだ」「豊田には自分の名前で勝負してほしい」。表舞台に立てという、その言葉が胸に刺さった。2015年2月、代表取締役医師に就任する。豊田が話す。
「自分の手で医療を変えていくという、やるべきことができる環境はベンチャーしかない。メドレーはそれがいちばんやれる場所だと感じた。最後は勢いで決めました」
メドレーに移ったと同時に、自らが企画したオンライン医療事典「MEDLEY(メドレー)」をリリース。ネット上に溢れる医療情報には誤った内容も多い。そこで、「患者が医療リテラシーを高めることができる場」をつくることを目的に医師たちが編集と記事の執筆を担当する。
コンセプトは「医療と向き合う力を。」。現在、約800名の医師の協力で、1500以上の病気情報のほか、約3万件の医薬品、約17万件の医療機関情報を掲載し、月間数百万人がアクセスする「唯一無二の医療事典」になった。
2015年8月、それまでは離島、僻地に限られていたオンライン診療について、地域の限定が解除される。患者の通院の負担を減らし、継続率を高めることができるような医療提供の新しいスタイルを検討していた豊田らは、この実質的な解禁を受け、システム開発に着手。翌2016年2月に運用を開始したのがクリニクスだった。

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医師と患者の関係性が変わる

その年の秋、原発事故で避難指示が出された福島県のある病院から導入の打診があった。指示解除で帰還した住民は高齢者が多く、在宅医療が必要だが、医師は3人から1人に減った。そこで看護師がタブレットを持って患者宅を回る形のオンライン診療を行うことになった。
システム導入後、担当医師が発した言葉があった。「オンライン診療のほうが患者さんとじっくり向き合うようになった。病院ではカルテを見たり、聴診器を当てたりといろいろやることがあるけれど、オンラインではフェイス・トゥ・フェイスで相手を見て話さなければならないからでしょう」「患者さんも画面でつながった瞬間、パッと表情が変わり、笑顔になる。病院ではなかったことです」。この言葉こそ、オンライン診療が「医療にもたらす変化」を示唆していると豊田はいう。
「医者は患者さんと向き合う時間のなかで自分は何をすべきかを考え、この患者さんは病気についてきちんと理解しているだろうかと患者のことを深く知ろうとする。一方、患者さんも医者と向き合うなかで主体的に医療に関わろうとする姿勢を持つ。医者の患者さんを思う気持ちと患者さんの医療に対する主体的な関わり方があって初めて、医者と患者の間の信頼関係が生まれます。それにより、医者も患者さんも、医療の目的は病気を治すことであり、そのためには対面だろうと、オンラインだろうと最も効率のよい手段を選べばいいと考えるようになれば、それぞれに負担も減り、無駄な医療もなくなる。オンライン診療は医者と患者さんの関係性が変わる1つのきっかけになる。目指すのは患者主体の医療です」
メドレーがクリニクスを導入した医師にその有効性についてアンケートを行ったところ、「患者の利便性」「通院継続率」の向上のほか、約4割が「かかりつけ機能の強化」をあげた。オンライン診療に否定的な日本医師会も、かかりつけ医の定着を推進する。「かかりつけ機能の強化を認める医師が7 ~ 8割と増えていけば大きな変化が期待できます」(豊田)。コロナ禍はリモート勤務の普及など、世の中の変化を一気に加速させた。オンライン診療の今後の展開が注目される。 (文中敬称略)

Text =勝見 明 Photo=メドレー提供

中の世界と外の世界を知る知的体育会系人材こそが “ 外からの変革”を起こせる

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授

医師と患者の関係性は、診察室のなかという、“密室の世界”であり、第三者が入り込むのは難しい領域だ。オンライン診療では、患者が医師の領域である診察室から出ることで、密室の関係性が開放される。医師はビデオ通話をしながらフェイス・トゥ・フェイスで患者とより向き合うようになり、患者にも自らの疾患、それを治療する医師と主体的に向き合う姿勢が生まれる。その結果、相互の向き合い方の質が高まる。また、オンラインという選択肢が増えたことで、対面診療もその意義が問い直され、質が向上する。
こうした医師と患者の関係性の変化が、日本の医療における「手段の目的化」の問題を是正し、あるべき姿へと変えるきっかけとなると豊田氏は考える。彼がオンライン診療の向こうに医療変革の可能性を予見するのは、根底に医師としての医療現場での経験があるからだ。
3年半と期間は長くはないが、常に120%の力を出し続けたからこそ、医療が抱える問題の本質を見抜き、その解決の道筋を思い描くことができた。現場での実践を重視し、直接経験を積み上げ、暗黙知を蓄積していく能力と、本質を直観し、経験を概念化し、形式知に転換していく能力を併せ持った「知的体育会系(Intellectual Muscle)」のあり方がここにある。
ただ、豊田氏も、もし医療の世界に居続けたら“中からの変革”は難しかっただろう。本人も、「あと5年くらい医療現場にいたら、現実と折り合いをつけ、思考停止していたかもしれない」と語っている。
現場で直観した医療の課題をどう解決するか、コンサルの経験も積みながら悩み苦しみ抜いたからこそ、旧友である瀧口氏との再会という「出会い」を活かすことができた。高校在学中に起業という異質の経験をもつ創業社長である瀧口氏とペアを組んだことにより、創造的な発想を活かす場を得た。豊田氏は、こうしてベンチャーに身を投じてクリニクスを立ち上げ、医療のIT化により“外からの変革”を実行しつつある。しかし、ITはあくまで本質にメスを入れる手段として活用しているのだ。
中の世界と外の世界を経験し、「動きながら考え抜く」ことのできる人材が、活力と知力に溢れた知的体育会系としてイノベーションを実現することができる。豊田氏は、社会変革に求められる人材像も自ら示している。

野中郁次郎氏

一橋大学名誉教授

Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。