成功の本質

第94回 リンクルショット メディカル セラム/ポーラ

「シワを改善する」と明言できるまで15年
挫折と苦闘の開発の軌跡

2018年02月10日

長さ15センチほどで、手のひらに収まるサイズだ。色は前人未到の星を発見する旅をイメージしている。紺色は宇宙、金色は星、オレンジ色は宇宙服を表す。製品名の手書き文字風のロゴは「シワを必ず改善します」とポーラがお客さまと結ぶ誓約書の最後に記すサインを表現している。目尻や口もとなど、1部位あたり米2粒大くらいが使用量の目安となる。
Photo=ポーラ提供

史上初、人の皮膚にシワができるメカニズムを解明。シワを改善する医薬部外品として、日本で初めて承認されたのがポーラの薬用化粧品「リンクルショットメディカルセラム」だ。1本1万6200円(税込み。2018年1月1日より1万4580円に改定)の価格ながら、2017年1月1日の発売から9カ月で累計販売実績約112億円と、年間目標100億円(その後125億円に上方修正)を突破。日経MJヒット商品番付でも東の小結にランクされた。
開発期間は実に15年。道のりは困難を極めた。次々と立ちはだかる壁、予期せぬ障害、「中止」を求める声......。研究開発チームはそれらを乗り越え、完成させた。その販売戦略を担った商品企画部長の山口裕絵が話す。
「開発から始まるプロジェクトをバトンリレーにたとえれば、私たちは最後のバトンを受けとったアンカーでした。一番でゴールを切らないと、研究開発チームの苦労は報われない。責任の重さをひしひしと感じました」
ポーラは以前は、「ポーラレディ」(現在はビューティーディレクター)と呼ばれた女性販売員による訪問販売が主力だった。今は系列店舗や百貨店のコーナーでのカウンセリング型の販売へと比重が移ったが、全国4万5000人の販売員が第一線を担う形態は変わらない。山口が率いる販売担当チームは発売に向け、研究開発メンバーとともに1カ月半で全国150カ所を回り、開発の苦闘の数々を販売員たちに伝え続けた。
「シワを改善する医薬部外品は日本初だったので、間違いなくヒットすると予想できました。ただ、私たちの役割はそれをゆるぎないブランドにすることにありました。ブランドとは、お客さまの喜びを実現するという、つくり手の思いの結晶です。その思いを最前線でお客さまと向き合う販売員たちに伝えたかった。すると、販売員たちが感動しながら聞いてくれるのです。研究員たちが時に悔しい思いをしながら苦労の末、生み出した製品について、『こういう思いで、こうやって開発した製品だからシワが改善できるんです』と堂々と説明できる。それは販売員にとっても誇りです。感動のあまりか、なかには涙ぐむ人もいました」(山口)
4万5000人の販売員たちが共感した、15年に及ぶ「思いのバトンリレー」の軌跡をたどってみたい。

ポーラのホームページおよびニュースリリースを参考に作成

シワは「勘違い傷」が原因

末延則子
ポーラ化成工業
研究企画担当 執行役員
Photo=勝尾 仁

ポーラ製品の研究開発はグループ会社ポーラ化成工業の研究所が行う。リンクルショットの開発は2002年、それまで医薬品部門にいた研究員、末延(すえのぶ)則子(現・同社研究企画担当執行役員)が化粧品部門へ異動になり、開発チームのリーダーに就いたことに始まる。その年、ポーラは創業家の3代目社長、鈴木郷史(現・同社会長兼ポーラ・オルビスホールディングス社長)が新創業宣言を発表。企業変革に着手した。これを機に訪問販売から店舗への誘客へと転換が始まる。「研究所も新しいことに挑戦したい」。そう決意したとき、末延はある現実を知る。それは、化粧品部門の研究員が陥っていたジレンマだった。
肌の2大悩みのうち、シミ対策は効果を明言できる医薬部外品が承認されていたが、シワについては薬事法にシワのカテゴリー自体が存在しなかったため、どんな製品をつくっても、化粧品として「肌を健やかにします」といった遠回しの表現しかできなかった。その一方で30歳以上の女性の7割がシワで悩んでいた。末延が話す。
「ならば、有効成分を見つけ、医薬部外品として承認してもらい、『シワを改善する』と堂々と言えるようにしよう。すべては研究員の積年の思いから始まったのです。ところが、すぐに壁に突きあたります。なぜ皮膚にシワができるのか、そのメカニズムは未解明だったのです。既存の研究をもとにするやり方もありました。ただ、今までにないものを生み出す以上は、ゼロからすべてのストーリーを組み立てよう。それは地道な作業でした」
シワのある皮膚とない皮膚を顕微鏡でのぞき比較する。その繰り返し。すると、ある現象が浮かび上がった。シワのある箇所には白血球の一種である好中球が多く集まっていた。好中球から出る好中球エラスターゼという酵素は生体に炎症が起きた際、異物を分解する働きがある。そこで、好中球エラスターゼを皮膚組織に振りかけてみると、真皮成分のコラーゲンやエラスチンが分解され、ボロボロになった。原因が特定された瞬間だった。「皮膚は普段、屋外で紫外線を浴びているときも『微弱な炎症』が起きていて、好中球はこれを『傷』と勘違いする。好中球エラスターゼは諸刃の剣で、異物だけでなく真皮の成分まで分解してしまい、結果、シワができる。ただこの現象を見つけただけでは不十分で、好中球エラスターゼの働きを止める抑制剤を見つけ、それがシワに効くことを示さなければ、メカニズムを証明したことにはならない。もう1つの地道な作業が必要でした」

昼食のデザートがヒントに

抑制剤の候補は医薬品、植物エキス、微生物の代謝物など約5400種類に上った。このなかから抗シワ効果、安全性、色、臭いなどの条件をもとに一つひとつ調べあげる。最終的にニールワンという4つのアミノ酸誘導体を合成した素材が最も効果があることを突き止めた。それが2004年。既に2年が経過していた。シワ改善の評価法も存在していなかったため、自分たちで工夫して編み出した。こうして史上初めてシワのメカニズムが解明され、有効成分が発見された。バトンは次の製剤担当チームに託された。そこには、より困難な壁が待ち受けていた。
有効成分を他の材料と配合してクリームやローション状にする。この製剤の過程でニールワンには決定的な問題があった。大半の化粧品には水分が含まれるが、ニールワンは水で分解されやすく、品質の安定化が困難だった。担当した檜谷季宏(ひのきたにとしひろ)(現・研究企画部長)が話す。
「製剤用の材料は何百種類もあり、一つひとつ試していっても安定化がうまくいかない。日本中の大学を回って相談しても解決策は見つかりませんでした」
社内でも絶望視され、上層部からは「開発中止」を求める声が何度も出てきた。これを末延は必死に抑えた。「今回はこの方法で失敗したけれど、次はその学びをこう活かしていくと、その都度、ロードマップを示しながら、われわれが描くストーリーのなかでは成果が1個1個積み上がっていることを伝えたのです」(末延)
打開策は突然、やってきた。2006年の初めのことだ。神戸の研究機関を訪ねた際、昼食をとった店で食後に出たチョコミントのアイスクリームを見て、檜谷が閃いた。「アイスのなかにチョコが溶けずに点在していた。同じように油脂が中心の材料にニールワンを固形のまま分散させよう。行き着いたのは単純な方法でした」(檜谷)

医薬部外品の承認に思わぬ障害

檜谷季宏
ポーラ化成工業
研究所 研究企画部長
Photo=勝尾 仁

3年かけて試験データを揃え、開発着手から7年後の2009年6月、医薬部外品の承認申請にこぎ着けた。ところが、そろそろ承認が期待されたころ、予想外の事態が起こる。2013年7月、カネボウ化粧品が販売した医薬部外品の美白化粧品により、皮膚がまだらに白くなる「白斑事件」が発生。厚生労働省の責任も問われた。末延が担当者に連絡をとると、「医薬部外品のあり方を見直さないと先へは進めない」。審議は完全にストップする。
それでも開発チームは諦めず、徹底した安全性試験を断行。122人に1年間使用してもらい、副作用がないことを実証したのをはじめ、協力医から「まだやるのか」と驚かれるほど試験を重ねた。そのデータを示しても承認が出る気配はなかった。「医薬部外品ではなく化粧品でどうか」。上層部は成果を急いだが末延は応じなかった。
「『シワを改善できる』と堂々と言えるようにしたい。それは、ポーラを支える販売員の女性たちの思いでもあります。化粧品では、それが言えない。われわれのストーリーのなかでは医薬部外品以外はありえませんでした」
出口が見えないなかで開発メンバーも同じだった。
「不安もありました。でも、最後までやり切りたい。心が折れることはありませんでした」(檜谷)
申請から8年後の2016年7月、待望の承認が下りる。バトンは生産工場へと受け継がれた。水を使わない製剤は製造が難しかったが、「われわれの苦労を皆さん知っていて、本当に頑張ってくれました」(末延)
同時に販売会社のポーラでも山口をリーダーに商品企画、販売、デザイン、宣伝の部門横断チームが動き出した。あてどない15年に及ぶストーリーをデザインにも入れ込もう。暗い宇宙を旅してついに見えた光。それがリンクルショットだ。チューブ本体の紺色は宇宙を、キャップの金色は星を、ロゴや箱のオレンジ色は宇宙服を表す。そのロゴも手書き文字を採用した。山口が話す。
「それは契約書のサインです。最終走者としてゴールを切る販売員たちが、時には後ろ指を指されながらも、マグマのような思いで製品をつくりあげた研究員たちの15年の軌跡をお客さまに語り、シワを改善すると堂々とお約束する。その誇りを手書き文字に表しました」
150回もの販売員への研修会を経て、2017年元旦、発売開始。系列販売店の多くは個人経営だが、全国各地の店舗が初日からの営業に名乗りを上げてくれた。都内の百貨店内のコーナーには元旦から行列ができた。

発売直前の2016年11月中旬から年末にかけて行われた、ビューティーディレクターと呼ばれる販売員向けの研修会の様子。壇上に立つのは開発を担当した研究員だ。同じ製品を扱いながら、普段は接することのない両者がコミュニケーションをとる貴重な機会だ。
Photo=ポーラ提供

強敵資生堂も追随した

山口裕絵
ポーラ
商品企画部長
Photo=勝尾 仁

同年6月、資生堂が抗シワ医薬部外品として2番目の製品を発売する。真皮成分の1つ、ヒアルロン酸の産生を促進する成分を配合。1本6240円(税込み)という手の届きやすい価格、ドラッグストアなどの販売網の広さもあり、こちらも快進撃を続けた。ただ、リンクルショットの販売には「影響は出なかった」(山口)という。
それを象徴するエピソードがある。発売開始から10カ月後にユーザーを集めてインタビューを行ったときの話だ。「ポーラさんは、何かとてつもなく苦労してつくられたみたいで、それもあったから買いました」。そう語るユーザーの話を聞いて、「あ、伝わっているんだ」。山口はみんなの労が報われた思いがしたという。
「機能性の高さの裏には人のストーリーがある。お客さまは機能性だけでなく、ストーリーへの共感も求め、それが信頼につながる。今回そのことを学びました」(山口)
末延のもとに、販売員の女性たちからは感謝の手紙が、工場からは「絶対欠品はさせません」とのメッセージが届く。それをみんなの目に触れる研究所の食堂に貼りだしている。「どちらも現場同士の共感です」
末延は2017年末、『日経WOMAN』誌主催のウーマン・オブ・ザ・イヤーの大賞を受賞した。15年間、逆境でも諦めずにチームを鼓舞し続けたリーダーシップが評価された。企業活動には多くの困難がともなう。それを人々の知恵と知識で克服する企業が成功へと至る。この受賞は「知の競争」の時代にあって、人々をつなげる共感の連鎖こそが知を生む大きな原動力になることを物語っている。(文中敬称略)

Text=勝見 明

イノベーションを起こすためにリーダーは生き方に根ざした物語生成力を持つべきである

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授

末延氏は「ストーリー(物語)」という言葉を多用された。それはリンクルショットの開発が論理的な市場分析的アプローチではなく、全体のストーリーを描いて、その都度、最善の判断を下し、環境にも影響を及ぼしていく物語的アプローチによって進められたことを示している。
抗シワ医薬部外品の開発は、化粧品のカテゴリーを刷新するイノベーションを意味した。サイエンスは客観的な原理原則の世界であり、何をどうすべきかという行動の指針は出てこない。そこで、アートとしてのストーリーが必要になる。
ストーリーとは過去、現在、未来を俯瞰しながら、複数のことがらを結びつけ、皆で挑戦するロマンの実現を筋立てることだ。それを実践することで各自が一貫性を持って生きていくことができる。
物語は生き方の投影であり、「私はこうありたい」という1人称の主観が起点となる。末延氏も新創業宣言に触発され、新しいことに挑戦したいという思いを抱いた。
一方、チームには、薬事法上、シワに対する効果を明言できずジレンマに陥っていたメンバーがいた。末延氏はその思いに共感し、基本的な研究から始まって販売の第一線を担う販売員たちが堂々と「シワを改善できる医薬部外品」を届けられるようにするまでのストーリーの全体像を描いた。それは地道な努力と多くの困難も折り込みながら、シワ改善の取り組みを根本から問い直し、最後にはポーラをライフサイエンス志向の新たな高みに立たせる起承転結の筋立てだった。
「中止」を示唆されながら継続できたのも、メンバーのモチベーションを維持できたのも、徹底した安全性試験をもとに当局に働きかけたのも、ストーリーの起承転結のなかで「いま、ここ」の部分を明確に位置づけることができたからだ。
ストーリーは生産部門、販売部門へと伝えられ、最後は顧客の共感に結びつき、ヒットへと導いた。
最初はリーダーの主観から始まり、次いでメンバーとの間で共感を醸成すると、チームとしての開発目標を明確に掲げ、「われわれはこうありたい」という1つ次元の高い、より大きな主観を共有していった。チーム・マネジメントが見事だ。
不確実性の高い状況でイノベーションを起こすには、リーダーは生き方に根ざしたストーリー生成能力を持たなければならない。ウーマン・オブ・ザ・イヤー大賞は末延氏にふさわしい。

野中郁次郎氏

一橋大学名誉教授

Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。