野中郁次郎の経営の本質
ほぼ日(にち) 代表取締役社長 糸井重里氏
経営は農業、会社は農園
苗木があれば下草も
経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は、マルチ人間の草分けともいうべき、ほぼ日率いる糸井重里氏の経営の本質に迫った。
ほぼ日(にち) 代表取締役社長 糸井重里氏
Itoi Shigesato
一身にして二生を経るが如く、とはかの福沢諭吉の言葉である。混沌とした幕末と近代国家の基盤が築かれた明治初期という、まったく異なる2つの時代を生きた自らを振り返ってのものとされている。同じことがこの人にもいえるのではないか。ほぼ日の社長、糸井重里。1980年代にフリーのコピーライターとして名を馳せ、メディアの寵児となったが、現在は社員約100名を擁する上場企業の経営者なのだから。
取材の冒頭で、経営の本質を尋ねる本丸の質問を投げかけてみた。通用しない答えかもしれませんが、と前置きした後、本人はこう答えた。「喜びや自由、飯の種を生み、増やすことではないでしょうか。フリーで生きていた時代は、増やすというより取りに行っていました。成っている木の実を取りに行く。その木の実を大きな蔵を持っている人のところに持っていくと、お金と交換してもらえる。フリーが狩猟採集だとすると、経営は農業です」
ほぼ日は1979年に設立された有限会社東京糸井重里事務所を源流とする。1998年、今も続く人気ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」が創設され、2002年に株式会社化。2016年に社名変更し、ほぼ日に。2017年には東京証券取引所ジャスダックに上場し、注目を浴びた。
経営は増やすことだとしたら、そのためには何が必要になるのか。糸井いわく「苗木を育てること」。続いてこう解説する。
「苗木、すなわち人の素質や能力に大きな違いがあるとは僕は思わない。会社のありがたさというのは、ある時点で成果を1つも上げられない人がいてもいいこと。『俺、下草の役をするよ』という人がいていいんです。おいしい果実を成らせる木を苗木から育て、農園全体として収益を上げていく。芸能事務所がまさにそう。売れっ子のタレントが1人いれば、売れないタレントが何人も食べていけますから」
ほぼ日はメンバー、リーダー、部門長という3階層で構成されているが、リーダーや部門長になっても特別な手当が支給されるわけではない。多大な貢献をしたからといって賞与を弾んでもらえるわけでもない。「昇進やお金に期待してうちに入る人はいませんし、入ったとしてもつらいでしょう。稼いだからといって報いられませんし、褒められもしませんから」
では何のために働くのか。「困ったときに助けてくれた、突発力を発揮してくれた、いつもはつらつとして前向き……そういう人には黙っていても尊敬が向く。それこそが、うちで働く報酬です」
昨今、キャリア自律という言葉が流行り、自分から、やりたい仕事を選べることがよいことだとされるが……。「私はこれこそがやりたいという情熱と夢を、限られたものだけに持っている人はうちでは迷惑(笑)。仕事とはそういうものではなく、どんな仕事でも、やっているうちにおもしろくなるんですよ」
やさしく、つよく、おもしろく。
各自の担当する仕事はかっちり決められているわけではない。担当外の仕事でも頼まれれば手伝う。これもいま流行りのジョブ型とは違う世界だ。「それをいうなら、うちは連歌型です」と糸井。ある人がつくった上の句に別の人が下の句をつけ、その続きの上の句をまた別の人が、というように延々と続いていく。これが連歌だ。「上の句に対し、下の句の担当者がどうしても言葉が出てこなかったら、誰かが代わりにつくってもいい。ただし、最後の発表時にはつくれなかった担当者の名前で下の句が発表される。連歌というのは特定の個人ではなく、場がつくり出すものなんです。うちの仕事もそうで、俺が俺が、という競争はそこにはありません」
個より場を大切にする考え方は、株式上場をきっかけにつくられたほぼ日の行動指針「やさしく、つよく、おもしろく。」にも表れている。「やさしく」とは、相互に助け合うこと、自分や他人を「生きる」「生かす」ということ。「つよく」とは、企画やアイデア、コンテンツを組織として実現、実行すること。「おもしろく」とは新しい価値を生み出し、コンテンツとして成り立たせることを意味する。この言葉の順番が大切なのだという。「やさしく」が大元にあり、それを実現する力が「つよく」で、その上に、新しい価値となる「おもしろく」を生み出していく、というわけだ。
さて、先ほど糸井は社員を「苗木」にたとえたが、事業もそうではないか。「事業ももちろん苗木です。というより、人と事業は一体化するべきなんです。楽器屋さんがそう。楽器を買いに行くと、それはあんまりお勧めしませんと、売り子が言う。お客そっちのけで、ギターを延々と弾いていたりする。あれが僕の理想なんです。そういう店にはそこでしか買いたくない人が来てくれる。そうした場がいちばん生産力がある。お客が単なる商品の購入者ではなく、熱心な商品モニター、知恵を授けてくれるコーチ、はたまた向学心に燃えた生徒になってくれますから」
ほぼ日の稼ぎ頭、「ほぼ日手帳」がまさにそうなっている。「ほぼ日読者の『生徒手帳』をつくろう」という社員の発想から生まれ、2001年に販売開始。その年は1種類、1万部ほどの売れ行きだったのが、2020年に発売された2021年版は100種類以上のラインナップで、国内外あわせて74万部を売り上げた。2021年度のほぼ日の売り上げ56億円のうち、29億円と半分以上を稼ぎ出した(それ以外は生活用品、書籍などのオリジナル商品で占められる)。
スケジュールや仕事管理に使う一般のビジネス手帳とは異なり、1日に1ページがあてられ、毎日の暮らしを記録する「ライフログ」という位置づけだ。多くの利用者が絵を描いたり、有名人の写真をその言葉とともに張ったり、シールで装飾したり、といったユニークな使い方をしたうえで、SNSでも公開。「見せる手帳」でもあるのだ。
そうした中身は2008年から毎年発売されている『ほぼ日手帳公式ガイドブック』(マガジンハウス)でも詳しく紹介されている。「お客さんもチームの一員なんです。僕らが知らないことを教えたくてしようがない人がたくさんいる。うれしい半面、その人たちの期待に応え続けなければならないので、苦しくもあります」
小売業の裏でコンテンツ力を磨く
そんなほぼ日が上場を果たしたのは2017年3月のことだ。「一緒にやる仲間を増やしたかったんです。社内でいえば社員、社外でいうと株主であり、お客さんです。親しい人ほど反対した。思い通りにできなくなるよと。それもあって、助走期間が長くなり、上場を考えてから実現までに10年ほどかかりました」
上場して驚いたことがあった。ほぼ日は小売業に分類されたのだ。「距離や場所など、移動の手間を省くことが小売業の飯の種。つまり、最も原始的な小売業というのは山奥など、交通が不便な場所にあるお店でしょう。ところがネットが出てくると、距離や場所が問題ではなくなった。生産者が消費者と直接やりとりすることができるようになったから。そんな小売業斜陽の時代に、小売業に分類されてしまった。しかも規模の小さい僕らがその分類のなかで採点されたら、ドツボの評価しか得られないだろうと」
一方で、こうも考えたという。「僕らの強みは人間が心で感じる価値、つまりコンテンツを生む力、コンテンツを仕入れる力、コンテンツを売ったり貸したりする力だと。小売業という看板はそのままでいいから、そうした裏側を強く大きくしていこうと考えたんです。そこが野中先生のいう知識創造と重なる。僕流にいえば、創造価値創造業を目指そうと」
上場企業になると、株主という外部の資金が経営に入り、それまで以上に財務が重要になるはずだ。「社内にしっかりした財務のチームがありますし、付き合いのある中堅どころの企業の経営者数人がいい感じで助言してくれる。あとは本ですね。その3つが頼りです。メインとなる商品が強ければ財務も強くなる。優秀な財務だけがいても経営はうまく廻らない。おもしろいコンテンツをどう生み出し、売れる商品や仕組みをつくっていくか、財務も一緒になってやっています」
その新たなコンテンツであり商品が2021年6月にスタートした「ほぼ日の學校(がっこう)」だ。「2歳から200歳までのみんなの学校」を標榜、月額680円(税込)で、芸能人、文学者、職人、音楽家、スポーツマンなど、さまざまな講師の話をパソコンやスマートフォンで視聴できる(講師の1人に野中教授がいる)。「皆さん誤解しているんですが、学校というのは建物や施設のことでなく、教えるコンテンツとその方法の塊なんです。ネットがこれだけ身近になったおかげで、そのコンテンツや方法にも飛躍的進化が訪れる可能性がある。それでこんな学校を始めた。どんな人からでも学ぶべきことがある。どんな人でも何かを人に教えられる。この事業は僕が社長をやっているうちに目鼻をつけたい」
約1時間の取材中、糸井が繰り出す比喩の巧みさに魅了された。その比喩がまた別の着想を生み出す。糸井の発言そのものが連歌なのだ。世界があって言葉があるのではなく、言葉が世界をつくる、と言語学では説く。それに倣えば、言葉が事業を、言葉が経営をつくる。ほぼ日最大の経営資源は糸井のその言葉の力ではないか。(文中敬称略)
Text=荻野進介 Photo=勝尾 仁
Nonaka's view
本質直観の達人が営む連歌型経営
私が糸井氏に初めてお目にかかったのは、2012年のことだ。毎年、優れた日本企業を表彰する、わが一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻主催のポーター賞受賞企業に、ほぼ日の前身、東京糸井重里事務所が選ばれ、一緒に食事をしたのだ。
糸井氏は実に不思議な人だ。対面して話していると、強い親近感を覚え、知らぬ間に饒舌になってしまう私がいる。なぜそうなるのかといえば、本文にもある通り、「連歌」の人だからだと思う。こちらが何かを話すと、黙って聞くわけではなく、ある一言に反応して別の一言を返してくる。その発想が抜群なのである。
今回も、「ほぼ日がおもしろいのは、人間が生きるうえでの新たな意味をつくり出しているからだ」と話したら、「意味の対極が記号。記号は人間と違って、同じものを2つつくれる。相手を記号のように見なすことは、人を粗末に扱うことと等しい。戦争は相手を記号と見ることから始まる」と、まさに連歌のようなやりとりになった。
糸井氏は現象学でいう「本質直観」の人でもある。現象の背後にある物事の普遍的な本質を読み取り、言語化しようとする。詩人といってもいい。その下地になっているのが執筆だ。ほぼ日のサイトに載せる原稿を毎日欠かさず書いているそうだ。それも、1行で済むことを40行に伸ばして。その初めの1行こそ本質直観の賜物だろう。
経営における財務の本質もよくつかんでいる。主役は財務ではなく、あくまで商品なのだと。
そうやって本質直観した内容を社員と共有する。そこに対話が生まれ、連歌のように発想が跳び、新たなコンセプトがつくられる。そうなることを期待しているからか、ほぼ日の行動指針の先頭には「やさしく」が来る。俺が俺が、ではなく、相互に助け合い、自分を「生き」、他人を「生か」さなければならないわけだ。
経営は農業、人は苗木、場がつくり出す価値が大切、金銭ではなく仲間からの尊敬を糧に働く……ひと昔前の日本企業を彷彿とさせるほぼ日のような会社がもっとあっていい。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。