野中郁次郎の経営の本質
清水建設 代表取締役社長 井上和幸氏
「 超建設」の考えと作法で未来への挑戦を果たす
経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は、五大ゼネコン(総合建設土木会社)の一角を占めつつ、「超建設」という新しいコンセプトを打ち出した清水建設社長、井上和幸氏を取り上げる。
清水建設 代表取締役社長 井上和幸氏
Inoue Kazuyuki
2023年9月、清水建設がイノベーションと人財育成の拠点として建設した「温故創新の森NOVARE(ノヴァーレ。ラテン語で『新たにする』の意)」が一部オープンした。広さ約1万坪で、ノヴァーレが位置する東京の京葉線潮見駅周辺の様子を一変させるほどの規模だ。
主な建物は、拠点の核となるハブ施設、研究施設、研修施設の3つである。創業220周年にあたる2024年春には、歴史資料展示施設が開館するとともに、同社2代目清水喜助が手掛けた旧渋沢栄一邸が青森県六戸町から移築され、計5施設が揃い踏みする。
同社は2030年を見すえた長期ビジョン「SHIMZ VISION 2030」において、目指すべき企業像として、時代を先取りする価値を創造する「スマートイノベーションカンパニー」を掲げている。ノヴァーレはその実現を目指し、事業構造、技術、人財の3つのイノベーションを強力に推進し、それぞれの融合と社会とのコミュニケーションを図る場とする。
同社社長の井上和幸が話す。「もともとは創業220周年を迎えるにあたり、所有する歴史資料を展示する施設をつくりたいと企画したものでしたが、どんどん構想が大きくなっていきました。これらの投資はうちの規模からしたら少し過剰かもしれない。しかも、短期間で何らかのリターンが得られるとも考えていません。50年先、100年先の会社を支える人財をここで育てるんだという思いで取り掛かりました」
50年先、100年先の会社を支える人財をここで育てる
旧渋沢邸を青森県から移築
それにしても、なぜ旧渋沢邸なのか。日本資本主義の父ともいわれる渋沢栄一は、2代目喜助が第一国立銀行(旧三井組ハウス)を建築した際に知り合い、渋沢が喜助の丁寧な仕事ぶりに惚れ込み、懇意となる。その後、30年にわたり同社の相談役を務めた。
渋沢といえば、その著書『論語と算盤』が有名だが、清水建設は2019年5月からそれを社是としている。「『論語と算盤』は2018年までは社の経営の基本理念という位置付けだったのですが、われわれがリニア中央新幹線を巡る談合事件を起こしてしまった。そのときによく考え、もう一度、原点に戻らなければと、基本理念より上位の社是に格上げしたんです。公益第一、私利第二、ルールを逸脱して得た富は絶対に長続きしないと」
ただ、ノヴァーレというイノベーション促進のための立派なハードをつくったからといって、従業員が変わらなければただのハコだ。そこで井上はこのノヴァーレ建設と並行し、従業員の意識改革に取り組んできた。
キーワードは「超建設」だという。「社長就任直後、長期的に見て、果たして今までのやり方だけで、今の会社の規模や従業員の生活を守っていけるだろうかと思いました。建設という一本足打法だけでは心もとない気がしたんです。その時に第2、第3、第4の事業の柱をつくることとあわせて従業員が働く意識を変えないと、今後、新しい価値を創出し、お客さまに提供できないのではないかと思ったわけです」
さらにこう続ける。「創業以来の220年間、私たちにとって建設は目的だったんです。でもこれからは違う。目的であるとともに、手段であるとも考えなければならない。お客さまや社会が持っている本質的なニーズを掘り下げ、それをともに解決し、新しい価値をお客さまや社会に還元する。お客さまや社会が成長していくとともに、私たち自身も成長していく手段でもあると整理したのです」
その「超建設」に基づく活動プロセスを、清水建設では「+C+(プラスシープラス)」と表現する。最初の+は「探究」だ。お客さまや社会の本質的かつ未開拓なニーズを探究する。
それを、Construction(建設事業に加え、エンジニアリング、風力発電、不動産開発などの非建設事業や新規事業領域も含む)という事業を通じ、新たな付加価値をつくり、提供する。それらの過程を通じ、お客さまや社会とともに自分たちも成長していく。それが2番目のプラスを意味する。「超建設は仕事に対するマインドセットを意味します。超建設という考え方の底流にも『論語と算盤』がしっかり流れています」
社長直轄のビジネスイノベーション室
この活動を浸透させるために、2022年4月、社長直轄のビジネスイノベーション室がつくられた。執行役員のアメッド モヒを筆頭に、11名の専任社員、7名の兼任社員、自ら手を挙げる仕組み「WeInnovate」を通じて参加した277名の協力社員で構成される。拠点はノヴァーレにある。
超建設の試みは既に始まっている。その詳細をアメッドが説明する。まずは、離島、地方、都市で小規模のミッションから活動を開始。ある離島では、「島の人たちと、今後、どんな暮らしや働き方がしたいか、何に困っているのかを、一緒に探究しています。出てくる課題は人と人のつながりや、安全安心な暮らし、再生可能エネルギーを活用したカーボンニュートラルな環境づくりなど、さまざまです。それらに対し、事業を通じてできることを含め、解決策を一緒に考える。われわれは非営利団体ではありませんので、適切な利潤をいただく必要があります。お互いにとってWin-Winのモデルをつくれたらうれしい」。
ある地方の町とは、海洋深層水の資源化や洋上風力発電の風車の建設などで、深い関係を持ってきた。「町からは『清水建設にはハード面でお世話になり、感謝しています。今後は町そのものの発展にもつながるソフト面でもご一緒しましょう』と言われました」(アメッド)
技術のイノベーションに関する試みもスタートしている。次世代通信技術として6Gに注目が集まっているが、欧州における最先端の研究拠点として知られる、フィンランドのオウル大学との提携が実現したのだ。
井上が話す。「ビジネスイノベーション室で取り組んでいるミッションは、今までの主力事業である建設にすぐに結びつくことはないでしょう。逆に、それでいいと思っているんです。お客さまはもちろん、さまざまな研究者や社外の人たちとネットワークをつくり、真摯な対話を繰り返す。そこから、建設につながる話が出てくるかもしれない。何よりも、超建設の考え方に基づく仕事への取り組み方を皆に理解してもらいたい。そうすると、先に言ったように、取り組むべき事業の目的が建設だけではなくなってくるはずなんです」
清水建設の創業は江戸時代の1804年で、長い社歴を持つ。越中小羽(現富山市)に生まれた初代喜助が、若くして遠く離れた江戸に向かい、大工店を開いたのがその始まりだ。
今に至るまでどんなDNAが受け継がれているのか、井上に聞いてみた。まずは「誠実なものづくり」、そして「進取の精神」という言葉が返ってきた。
この2つは半ば予想されたものだったが、3つ目に井上が挙げたのが「出入り大工の精神」というものだ。建物をつくった後も「何かご不便はございませんか」と、お客さまへの気配りを常に怠らず、誠実に向き合う精神だという。
Photo =勝尾 仁
建物をつくった後もお客さまに誠実に向き合う出入り大工の精神
自分の人生は自分で切り拓け
井上に『論語と算盤』の内容のうち、気に入っているものを聞いてみると、「人よく道を弘(ひろ)む。道、人を弘むるにあらず」という『論語』の一節を挙げた。「その意味は、人が道(道徳)をつくり広めるのであり、道(道徳)が人をつくり広めるのではない。要するに、自分の人生は自分で切り拓いていけ、というものです。先日、年4回行うキャリア採用者の入社式があり、そこでもこの一節を紹介しました」
そんな井上に、これまでに自身を成長させた経験について尋ねてみた。
井上が最初に配属されたのは、ある電機メーカーの研究所の建設現場で、施工管理を担当した。定期的に上司が点検にくる。外装工事が完了し、外壁にかけていた足場を外すと白いきれいな壁が出てきた。「よかった」と安堵していたら、西日がちょうどあたり、横から見ると、外壁に吹き付けた塗装が波を打っているのが一目瞭然だった。
たまたま視察に来ていた支店の部長が一喝した。「こんなのはうちの仕事じゃない。全部やり直せ」と。「怖かったですね。足場をかけ直し、吹き付けしたばかりの壁の塗料を削り取りました。大変な作業でしたが、清水のものづくりとは何かを身をもって学ばせてもらいました。経験に勝る教科書はありません」
経営の本質についてはどうか。「220年経ったから次は230年、その次は240年、250年と、現在の延長線上に未来があるのではないと思います。220年という重みを感じながら将来に向けて何をしていくのかが、清水建設を経営するということではないかと。そういう意味で、経営の本質とは未来への挑戦だと思っています」
今取り組んでいる超建設こそ、未来への挑戦の基礎になるものだろう。(文中敬称略)
Text = 荻野進介
Nonaka's view
超建設の背後にある人間くさい二項動態経営
私は物事や問題を「あれかこれか」で捉える二項対立(dichotomy)ではなく、「あれもこれも」で捉え、状況に応じて何をなすべきかを機動的に判断、行動する「生き方(a way of life)」を二項動態(dynamic duality)と呼び、それを重んじイノベーションを起こす経営手法を二項動態経営と呼んできた。今回の清水建設はまさに二項動態経営そのものだ。
まず、伝統も革新も重んじる。たとえば、『論語と算盤』と「超建設」であり、あるいはノヴァーレの冒頭につく「温故創新(の森)」という言葉である。それこそ、旧渋沢邸を青森県から移築しながら、最新鋭の施設も揃えたノヴァーレも二項動態の体現だ。
二項を重視し、高次のレベルでの綜合を目指すことはたやすいことではない。単に両立して同時に事を進めるということではないからだ。超建設の活動の1つである離島のプロジェクトでは、その土地の人たちのニーズを五感を駆使して感じ、丁寧に拾い上げて、コミュニティ・ビルディングを行っているが、それは清水建設の新たな生き方を体現するものであり、本業の建設業の進化にもつながっていく。
その背景にあるのが井上氏のリーダーシップである。リニア中央新幹線にからむ談合事件を機に、『論語と算盤』を社是に格上げし、自身の言葉で語り掛ける行動指針をつくり上げた。
アメッド氏の人事も適材適所だ。彼は20代の頃、清水建設に在籍していた。その後、米シリコンバレーで日本の総合電機メーカーのイノベーションセンターのリーダーを務めた。縁あって清水建設に戻り、現在のような役割と役職を与えられた。彼はわが一橋大学大学院で客員研究員を務めたこともある。超建設の探究と実践を担当する部署のリーダーとして、組織を超えて賛同者とネットワークを組み、プロジェクトを推進しているのは頼もしい限りだ。
井上氏に感じるのは、物語に対する豊かな感性だ。昔から映画が好きで、1日映画館をはしごしてまわる休日もあったという。映画好きは人間好きだ。発想が極めて人間くさい。彼が未来に向かって織りなす「物語り」には、ワクワクさせられる。今後の清水建設の二項動態経営の実践から目が離せない。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。