野中郁次郎の経営の本質
高倉町珈琲 代表取締役会長 横川 竟(きわむ) 氏
儲けを独り占めしない 正直な商人であれ
経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は、一世を風靡したレストラン、すかいらーくの創業者で、現在は新しいカフェチェーンを展開する横川竟氏に登場いただいた。
高倉町珈琲 代表取締役会長 横川 竟(きわむ)氏
Yokokawa Kiwamu
木目調のインテリアに広いテーブル、ゆったりとした椅子。BGMはビートルズ。カフェチェーン高倉町珈琲ではお洒落な応接間に招かれたような気分で飲食を楽しめる。同チェーンは首都圏が中心だが、地方の中小都市を含め、全国に37店舗を展開する(2023年4月末現在)。
売りは、生地にリコッタチーズをたっぷり練り込んだふわふわのリコッタパンケーキ。注文を受けてから焼き上げる。
創業者で会長の横川竟が話す。「あるとき、東京のお台場のカフェで、パンケーキを食べたんです。自分だったら、これより絶対おいしいものをつくれると。6カ月ほど試行錯誤して完成させました」
現在85歳の横川は立志伝中の人である。1970年、兄弟4人で東京・府中で一軒の郊外型レストランをオープンさせる。その名はスカイラーク(後に「すかいらーく」)。言わずと知れた日本初のファミリーレストラン(以下、ファミレス)で、またたく間に店舗数を増やした。
1980年、郊外型のすかいらーくとは別に、都心型のファミレス、ジョナサンを出店。これも大当たりするが、バブル崩壊後の1992年に出店した低価格型ファミレス、ガストの成功を最後に、ファミレスという業態が競争力を失い、すかいらーくグループも迷走を始める。
再建を任され、横川がグループのトップに立ったのが2006年だが、株主や銀行の声が強く、料理や食材の質にこだわる横川の脱ファミレス戦略はなかなか受け入れられなかった。2008年、経営悪化の責任を問われ、トップを解任されてしまう。
「普段の嫌なことが忘れられる楽しい店をつくろうと思って、すかいらーくをつくったんです。それが受けて店が増えていったのですが、1981年、300店舗を超したあたりから、経営方針が微妙に変わった。楽しい店ではなく、儲かる店にシフトしていったんです。競合も増え、売り上げが落ちると、値段を下げてでも売ろうと、人件費も削ってコストカットに走った。結果、儲かればいい、という体質になってしまった。それに違和感があったので、もう一度、楽しい店をと思い、つくったのが高倉町珈琲です。店名は2013年にオープンした1号店の地名、八王子市高倉町からとりました」
パンケーキを食べてひらめいた。これより絶対おいしいものをつくれると
顧客と産地のコーディネーター
同店の客層は40~60代の女性が中心で、3〜4時間過ごす人もざらだ。パンケーキに代表されるスイーツ類のほか、サンドイッチやパスタ、ドリアなどの軽食も出す。「よそのファミレスより、味も材料も上質です。ファミレスはもちろん、家庭料理よりもおいしくないと駄目だと口酸っぱく言っています」
まず、商品力の向上には素材の専門家との付き合いが欠かせない。1970年代後半、すかいらーく時代に人気となったコーンクリームスープの例を横川が紹介する。横川は当時すかいらーくの商品開発担当だった。
北海道のスイートコーンを扱う食品メーカーの社員に話をし、現地の畑に連れていってもらったところ、農家の人が通常の化学肥料の代わりに、牛の堆肥を畑に入れてつくったコーンを見せてくれた。株の丈も高く、粒も大粒で、糖度が抜群に高いという。メーカーの社員が言う。「コーンは食べ頃になって3日間くらいがいちばんおいしい。1週間後にもいでも、糖がデンプン化し、甘みが落ちてしまう。しかも日の出前にもいだ実がいちばんおいしい」と。
横川はその言に従った。牛の堆肥が入った畑で育ったコーンを、食べ頃になった最初の3日間で収穫してもらうという条件で、そのコーンが加工された缶を卸してもらうことに。それを原料にコーンクリームスープをつくるとおいしさが評判になり、たちまち人気メニューになった。「料理をおいしくするにはどうしたらいいか。産地のプロがいちばんよく知っているのに、尋ねない。尋ねたとしてもコスト高になるからとその通りにやらない。さらに、私はそのコーンの粒をスープに入れたんです。ホテルのシェフに邪道だと言われました。でも、今ではホテルのスープでも粒を入れるのが当たり前になっています。人間一人ひとりが持っている力なんて大したことがない。外食業たるもの、皆の知恵を統合し、お客さまと産地のコーディネーターになれればいいんです」
いつも新鮮、いつも親切
一方、高級店でもない限り、接客の差別化も難しい。「高倉町珈琲の全店でパートが約1000名働いています。マニュアルには限界があり、最終的にはお客さまと心が通じ合えるよう、思想教育をしなければ駄目なんです。それをしっかりやれば人間はAIには絶対負けません」
横川が商売ならびに生き方の原点として大切にしている言葉がある。「いつも新鮮、いつも親切」というものだ。「新鮮とはいつもフレッシュな心で、ということです。どこまでも優しく、相手のために行動しようというのが、親切。商品を安く提供するのも親切ですが、より本当の親切は、お客さまが十分負担できる金額でよい商品を提供し満足してもらうこと。この言葉を従業員にはことあるごとに話しています」
この思想教育とともに、横川が会長として取り組んでいることがもう1つある。経営が脇道に入ることを防ぐことだ。「経営者は今までとは違う道に進みたがるんです。9割が失敗する。経営には店づくり、人づくり、商品づくりの3つがありますが、獣道に入りそうになったとき、それは違うと道をふさぐのが僕の仕事です」
たとえば最近、店舗へのドライブ・スルー機能の付加、というプランが持ち上がった。同社では現在、店長など、一定の経験を積んだ社員にオーナーになってもらうフランチャイズ制度が整備されており、その制度のうえで、小型店舗の展開を検討している。そこをドライブ・スルー併設にしようというのだ。
横川の反応は否定的だった。看板商品のパンケーキはつくるのに約10分かかるうえに、食べ頃の時間が短い。ドライブ・スルー向きの商品ではないというのがその理由だった。「僕としては1店だけつくらせてみようと思ったんです。おそらく失敗するから、2店目からは止めるだろうと。でも結局、やらないという判断を現場が下しました。よそがドライブ・スルーで成功しているからうちもやるという“まねっこ経営”は通用しないと担当者自身が気づいたんです」
横川には生涯忘れられない言葉が3つあるという。1つは父親の言葉だ。戦前、満州開拓団の隊長としてかの地に渡り、その地で病没した父親の口ぐせが「男は世のために尽くせ」だったことを母親から言い聞かされて育った。
もう1つは伯父の言葉だ。15歳のとき、生まれ故郷の長野県から東京の冷蔵庫メーカーで住み込みで働くために上京、目黒にあった伯父の家に泊まると、こう言われた。「人を騙して儲ける人を商人という。お前はそうではなく、正直な商人になれ。そして儲けた金は独り占めするな」
その後、過労による大病を患い、メーカーを退社、今度は東京・築地の食品問屋に、こちらも住み込みで入る。その社長から叩き込まれたのが「お客さまが欲しがるものを揃えろ。品切れは起こすな。よいものを安く売れ」だった。
それぞれの言葉が現在の高倉町珈琲の経営に色濃く反映されているのだろう。
経営の本質は、小さくいえば働く人の豊かさをどう守るか
令和はみんなが豊かに生きる時代
高倉町珈琲は、2026年の上場を目指し、人口15万人あたり1店舗の割合で、全国に100〜150店舗の拡大を目指している。加えて、先ほどの小型店の展開も視野に入れるものの、目指す本丸はこうした店舗運営だけではない。「各家庭の冷凍庫に、うちの商品が何品目か必ず入っていること。これが僕らの目指すところです」
今後は調理の時代ではないというのが横川の読みだ。調理済みの食材をコンビニやスーパーで購入するか、店舗から宅配してもらうのが主流になる。そこに高倉町珈琲からネットで購入するという選択肢を加えようというのだ。
「ビーフシチューにグラタン、ドリアなど、8分以内で解凍し食べられる商品を開発し販売していく。それらをコンビニで売ることはあり得ますが、メーカーの下請けにはなりません。そうなったら、値段を叩かれ、品質低下を余儀なくされるからです。それだったら、メーカーが儲ける分を消費者に還元したい。平成は安売りの時代でした。令和はみんなが豊かに生きる時代だと言っているんです」
横川は経営の本質をどう考えるか。「小さくいえば、働く人の豊かさをどう守るかでしょう。そのためにこそお客さまを大切にしなければならない。僕はよくこう言うんです。親は家族を守れ、会社は社員を守れ、総理は国民を守れと。社員には家族を守れ、と言い続けています。俺は会社を守るからと」
高倉町珈琲の2023年のテーマは「いい人、いい店、いい会社」だという。「いい人とは商売のできる人。それがいなければいい店になりません。いい店が増えればいい会社になるから、まずはいい人をつくれと」
背筋が自然に伸びる、真っ当な商売人の話を久しぶりに聞いた。(文中敬称略)
Text = 荻野進介
Nonaka's view
新しい価値を生み続ける変化対応力に期待する
横川氏の著書『外食業成功の鉄則』によると、すかいらーくが最初に追求したのは、ほかの外食業にはない、次の6つの価値だった。すなわち、①住宅地の近くに、②駐車場のある、③明るくきれいな店をつくり、④親切なサービスで、⑤料理を早く出し、⑥値段は懐に相談せずにすむ程度に、ということである。こうした価値の創造が、同じすかいらーくグループで、1992年に誕生したガストが打ちだした「低価格」路線でストップしてしまったのだという。
同書で、横川氏はこう綴る。〈すかいらーくはお客さまのために新しい価値をつくり続けてきたのに、上場した頃から新たな価値づくりがストップしました。(中略)会社のシステムの中心が価値づくりから金づくりに変わってしまったからで、いちばんいけなかったのは株価を気にしすぎたことです〉
しかも、これはすかいらーくに限った話ではない。〈日本の外食業はこの20年間、利益の追求という方向にだけ舵をとって、時代に合った新しい価値をつくるという「種まき」をしてこなかったのです〉と。
その種まきをもう一度やろうと考え、船出したのが、高倉町珈琲なのだ。東京・八王子に1号店を出店したのが、横川氏が75歳のとき。その年齢で、口にしたパンケーキをきっかけに新しい事業をスタートさせたとは、頭が下がる思いだ。
今回、私の心を打ったのは、横川氏がマニュアルの限界を説いた箇所だ。マニュアルで、ニコニコした笑顔を絶やさないように、と書いても従業員には伝わらない。伝わったところで、表面上の笑顔になってしまうだろう。
顧客とは心を通じ合わせなければならない。そのためには目の前の顧客に対する無意識の共感が必須となる。それはAIにはできない。その無意識の共感を醸成する指針となるのが「いつも新鮮、いつも親切」なのである。
高倉町珈琲は外食業から、冷凍食品を中心にした一般食品業への進出も視野に入れている。それこそ、外食にこだわらない新しい価値づくりである。基点にあるのはいつも顧客だ。横川氏がリードする高倉町珈琲の変化対応力に期待したい。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。