野中郁次郎の経営の本質
生活の木 代表取締役社長 重永 忠氏
会社は運命共同体 社員は志事で結びつく
経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は、ハーブやアロマテラピーを日本に根付かせたパイオニア、生活の木の重永忠氏を取り上げる。
生活の木 代表取締役社長 重永 忠氏
Shigenaga Tadashi
生活の木は、ハーブとアロマテラピー関連製品の輸入、製造から卸、販売、さらにはハーブやアロマに関する専門家を養成するスクールまで手掛ける日本で唯一の企業だ。同名の店舗は全国に110、ハーバルライフカレッジという名称のスクールは同12ある。本社は東京・原宿だ。
社長、重永忠には重要な日課がある。誕生日を近日に控えた社員に対し、自作のメッセージを書くことだ。社員は約650名で、約9割が女性。誕生日の夜、帰宅すると、メッセージが添えられたプレゼントが届く粋な仕掛け。プレゼントの中身も一律ではなく、各自にふさわしいものを重永自ら選ぶ。支払いは重永のポケットマネーだ。
なぜそこまでするのか。本人が話す。「社員は家族だと思うからです。経営者対社員ではなく、家族という気持ちでお互い付き合いたい。働きぶりだけではなく、趣味や生きがい、キャリア、すべて知っておきたい。家族なので、当然、誕生日には贈り物をしたいんです」
家族というと、親子という上下関係を想像してしまうが……。「うちでは上下関係はなく、フラットです。経営職、管理職、リーダー職、一般職という4職層はありますが、偉い順ではなく、役割が違うだけ。社内では肩書ではなく名前で呼び合います」
社員は「家族」とまではいかず、「仲間」という会社は多い。「仲間というと、好き嫌いが入ってしまう。そうではなく、出会いという『縁』を感じ、お互いがお互いの成長にコミットし合う。僕のいう家族にはそういう意味が込められています」
企業は利益を上げなければ存続できない。家族に甘んじ、関係がなあなあになってしまわないだろうか。「毎期の経常利益の3分の1を原資とし、業績と連動した年3度目の賞与を社員に分配しています。会社がよくなれば一緒に幸せになり、悪くなれば不幸せになる。運命共同体という家族なんです」
江戸時代の商家や農家に代表されるように、近世までの家族はある仕事を完遂するための集団だった。社員は家族という考え方は、歴史的にみると正しいのかもしれない。
重永自身、商家の3代目にあたる。戦後、重永の祖父が写真館を開業。父はそれを継がず、学生時代に陶器店「陶光」を創業する。「いずれ日本にも洋食文化の波がくる」と考えたからだ。1967年に法人化する。「僕は小遣い稼ぎのため、高校生のときから店でアルバイトしていました。父は、米国の外食産業をよく視察に行っており、西海岸を訪れたとき、ヒッピー文化と出合ったんです。彼らはハーブをお茶にして飲んだり、袋に入れて香りを楽しんだりしていた。父が興味をもち、ハーブをサンプルとしていくつか持ち帰ってきた。これは面白いと直感し、店の片隅にハーブの量り売りコーナーをつくることにしたんです。1978年のことです」
経営計画は全社員でつくる
ある少女漫画で、ハーブを容器や袋につめて香りを楽しむポプリの制作が取り上げられたことで人気に火がついた。それから徐々にハーブの売り場面積を増やし、いつしか陶器と逆転。1986年に商号を陶光から生活の木に変更し、ハーブとアロマが本業に。1994年、33歳のとき、父から譲り受けて重永が会社の経営権をもつことになった。
ただ、肩書はともかく、「一人前の経営者」になるには曲折があった。
重永は父の命により、1986年、公的機関である中小企業大学校が運営する経営後継者研修を受講した。10カ月にわたって経営のイロハを学び、最後、自らの人生設計も踏まえた今後の事業経営の設計図ともなる論文を書く、というカリキュラムである。「ハーブとアロマの世界を広め、学校をつくり、こんな製品を開発して、店舗も全国に展開するというように、ここで書いたことが今になり、ほとんど実現しているんです。でも、ビジョンはよくても、当時の僕は未熟でした。社内で1人だけ、経営の何たるかを勉強した。その知識を振りかざしてしまったんです。俺はできるんだ、知っているんだと」
新たな施策を実行しようとしても、誰もついてきてくれない。「あなたは何でも知っていて、何でもできるんでしょう。1人でやったらどうですか」という雰囲気だった。「同じ頃、経営者の先輩と飲んでいたとき、自分はこんな手を打った、こんな商品を開発したという話をしたことがあったんです。『お前が全部やったのか』と聞かれたから、『はい』と答えたら、『それじゃ駄目だ。お前が1人でやろうとしているうちは、会社はそれ以上は伸びないよ』と。頭にガツンときました」
トップだけがいくら頑張っても駄目だ。重永は会社の仕組みづくりに取り掛かる。2000年からは、毎期の経営計画を全社員でつくることにした。経営ならびに収支計画の作成を各部門に任せ、全体の経営方針のみ重永自らが作成する。「自分で決めた目標ならばやらされ感はありません。何より達成したときの充実感が違う。仮に未達成でも会社や上司のせいにできない。次はどうすれば達成できるかを必死で考える。『しごと』が『自分事』になるわけです」
同社では「仕事」のことを「志事」と言い表すようになっている。重永の発案である。「志や思いが入らなければ、ただの作業にすぎず、自分事にはならない。社内の報告書などに『仕事』とあると、訂正しなさいと突き返すこともある。努力は夢中に勝てないという言葉が好きなんです。社員全員が志事の醍醐味を味わってほしい」
同社の社員の多くは生活の木の熱心な顧客であったり、スクールの受講生であったりする。しごとを志事にしやすい環境であるのは確かだろう。
PDCAではなくDCAP
重永は社員のアイデアを現実化させるPFC(Project For Challenger)という仕組みもつくった。年1回、現在の担当業務に関係なく、誰もが「こんな商品をつくりたい」「こんな店をつくりたい」「こんな研修はどうだろう」という自由なアイデアを構想することができる。経営会議で了承を得られれば、正式なプロジェクトとして発足する。「僕は社員との飲み会が大好きで、率先して開いています。そういう場ではいろいろなアイデアを社員が発してくれるんですが、飲み会での話ですから、いつしか消えてしまう。これはもったいないなと」
PFCからはヒット商品も生まれた。2016年に発売された「アロモア」というディフューザー(香りを室内に拡散させる芳香機)である。生活の木の主力製品であるアロマエッセンシャルオイル(精油)を瓶ごと取り付け、電源ボタンを押すだけで、オイルの微粒子が拡散される。水を入れ、オイルをたらして、という手間を省いた製品であり、こんなものがあったら、という一社員の発案が形になり、これまでに31万台を売り上げている。
しごとが志事になっていると、思わぬ場面で機動力が発揮される。コロナ禍となり、2020年4月に緊急事態宣言が発出され、翌月にかけて全店閉鎖となったときのこと。650名の社員のうち7割が自宅待機となる。重永は雇用は守ること、給与は今まで通り100%支給することを宣言。そのうえでこう伝えた。「状況がよくなりお店が再開したとき、あるいはこんな状況下でも、お客さまにどうしたら喜んでもらえるか、徹底的に考える時間にしてください」と。
そこで上がってきたのが、花粉症の人向けの、花粉バリア機能のあるマスクスプレーの拡販というアイデアだった。ウイルスの侵入防止にも効果があるはずだと、製造ラインをフル稼働させた。自店舗は閉じていたから、まずはオンラインで売り、ドラッグストアにも置かせてもらった。「店舗閉鎖の余波で全社売上高は前年比30%まで落ち込むと予想していましたが、4月は1割、5月は2割減にそれぞれとどまり、最悪の事態を免れました。うちではPDCA(Plan→Do→Check→Action)ではなく、DCAP(Do→Check→Action→Plan)を大切にしています。まずやってみようと。それで乗り切ることができた」
さて、社員イコール家族ということになると、新しく家族となるメンバーの迎え入れには相当の慎重さが必要になるはずだ。実際、同社は新卒内定者向け教育に力を入れる。毎年8月に開催される3泊4日の合宿研修である。
昼間は山中での宝探し、川下り、ロッククライミングといった過酷なメニューをチームでこなし、夜は互いの人間性をさらけ出した本音の対話を繰り広げる。最後、入社日までにどんな人間になりたいかを各自に宣言してもらう。ほとんどの参加者が感極まって涙を流すという。「皆、研修初日にはかっこつけていますが、最終日になると、素の自分になっている。やるしかない。この会社に自分の人生を賭けてみようとなっているはずです」
そんな重永は経営の本質をどうとらえているのだろうか。「一言でいうと縁、です。会社は人の縁で成り立っています。社員との縁、お客さまとの縁、社外の協力者との縁、いい縁をつないでいけば、会社の運がよくなっていく。経営者だけ、自社だけでは何もできませんから」
企業には縁を大切にする共同体的性格と、成果と利益を追い求める機能体的性格のどちらも重要だ。では、どちらに比重を置くべきか。重永の実践はその問いに対する答えを教えてくれる。(文中敬称略)
Text = 荻野進介 Photo =勝尾 仁
Nonaka's view
知識創造の本質をとらえた二項動態経営
知識創造理論(SECI(セキ)モデル)は、言葉や記号で表現できない暗黙知と、表現可能な形式知の2つが相互転換しながら、組織内で豊かになっていく過程を理論化したものだ。
このうち、肝になるのが、他者の暗黙知を自分の暗黙知に変換したり、他者と関わり合いながら、ともに暗黙知を紡ぐ最初の「共同化」だ。暗黙知は主観的な知であるため、他者に理解できる具体的な形で表現できない。そこで、五感を働かせたり、同じ場を共有するといった、身体が介在する直接体験の場が重要になる。しかも、その際には互いに対する強い共感が不可欠となる。
SECIモデルは、正反合というように、矛盾を解消していく弁証法的プロセスと理解されることがあるが、正しくない。正と反だと、2つは別物になるが、暗黙知と形式知はそうではない。氷山を思い浮かべてほしい。海面から出ており目に見える部分が形式知であり、海面下に沈むその何倍もの塊が暗黙知なのだ。暗黙知と形式知は互いに対立するものではなく、連続体なのである。
暗黙知と形式知もそうだが、物事を「二項対立」でとらえない。私はそれを「二項動態」と表現する。同体ではなく動態とするのは、2つを別物と考えず、互いに影響し合うという意味を含ませたいからだ。
社員と経営者、労働者と使用者がいるのではない。そこにいるのは、同じ「家族」……。重永氏を取材し、私の頭に去来したのは、「二項動態経営」という言葉だった。何より、SECIモデルにおける共同化が、職場で実現している。鍵を握るのが新卒内定者向け研修である。昼間は過酷な課題にチームで取り組み、夜は胸襟を開いた本音の対話を繰り広げる。互いが互いの家族になる瞬間だ。といっても、楽しいだけの家族ではない。全体の利益に応じ、各自の取り分も上下する運命共同体でもある。だからこそ、一人ひとりの社員が目の前の「しごと」に「志事」として取り組むことができる。
人間は関係性のなかで生きている。それを表す言葉が「縁」だ。経営の本質を縁とみなす重永氏は知識創造の本質もよく理解している。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。