野中郁次郎の経営の本質
JERA 代表取締役社長 小野田 聡氏
カーボンニュートラルと電気の安定供給の両立を
経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は東京電力と中部電力が出資して誕生した日本最大の発電会社、JERAの小野田聡氏に「経営の本質」を尋ねた。
JERA 代表取締役社長 小野田 聡氏
Onoda Satoshi
「環境問題」という言葉をメディアで見かけなくなった。代わりに、よく使われているのが「脱炭素」だ。2020年10月、菅義偉前首相が所信表明演説において、2050年までの日本のカーボンニュートラル(温室効果ガス排出の実質ゼロ)化を宣言して以降のことだ。
実はその2週間ほど前、日本最大の発電会社JERA(ジェラ)がある発表を行っていた。「JERAゼロエミッション2050」である。ゼロエミッションはカーボンニュートラルと同義であるから、期限を含め、内容は政府の目標と同じだ。柱は3つある。
1つ目は、洋上風力などの再生可能エネルギーとゼロエミッション火力(後述)の相互補完でそれを実現する。JERAは海外でも事業を展開しており、2つ目は、各国のエネルギー環境に合わせた最適なロードマップを策定する。3つ目は、実証が必要な先進技術と安心して利用できる信頼性の高い技術を組み合わせ、ローリスクで賢い移行(スマート・トランジション)を目指す。JERAは東京電力(東電)と中部電力(中電)がそれぞれ50%ずつ出資し、2015年4月に誕生した。日本の総発電量の3割を担う。前首相による件の宣言は、JERAのこの発表内容があったからこそ可能になったのではないかと勘繰りたくなる。
アンモニアと水素の新しい使い道
ところで、ゼロエミッション火力とは何か。いちばんの目玉が、石炭火力発電の燃料として、石炭の代わりにアンモニアを使用すること。アンモニアは、燃やしても石炭のように二酸化炭素を出さない。さらに、同じくガスタービン火力発電の燃料であるLNG(液化天然ガス)の代わりに、これも二酸化炭素を出さない水素を使う。加えて非効率な石炭火力発電を2030年までに休止または廃止する。
先行しているのがアンモニアの活用だ。2021年10月から愛知県の碧へき南なん火力発電所で、アンモニアを石炭と混焼させる実証を行っており、世界初の試みとして2024年度までに混焼割合を20%まで高める。2040年代にはアンモニア100%の「専焼」を開始する計画だ。
石油や石炭などの化石燃料の使用をやめ、風力や太陽光といった再生可能エネルギーへの移行を図る欧州各国とはまったく違うやり方だ。JERAの社長、小野田聡が説明する。「アジアは欧州と違い、総じて電力供給が追い付かないほど経済成長が著しいうえに、電力を融通するための国を越えた送電網もない。再生可能エネルギーに移行するにも、風の状況がよくないですし、雨が多いため日照時間も短い。安定供給のためには火力が必須です。そこで活用できるのがこのアプローチなのです」
小野田によれば、ゼロエミッション火力の特徴は3つある。1つはすぐできること。アンモニアの場合、既存の火力発電設備にタンクと配管、気化設備を設置し、バーナーを改造すればいい。もう1つは再生可能エネルギー発電を補完できること。風力や太陽光は、日あるいは季節単位で発電量が変動するが、火力はしないので、その変動を補整することができる。最後は他国でも使えること。「世界中に石炭火力やガスタービン火力が既に普及しており、その既存設備が活用できる。このゼロエミッション火力をアジアの新興国に普及させたい」
Photo =勝尾 仁
アンモニア・サプライチェーンの構築を急ぐ
このアンモニア活用に対し、環境NGOなどが実は異を唱えている。従来よりも発電コストが高くなるし、何より一刻も早く停止すべき火力発電の延命を図るつもりか、というわけだ。この主張に対し、小野田はこう説明する。
「再生可能エネルギーはそもそもコスト高になります。自然条件に左右されるため、需要に応じて、機動的に電力をつくれないという欠点もある。それをカバーする方策としてバッテリーを使う方法がありますが、それもコスト高になる。結局、コストの低い火力に頼らざるを得ません。しかも、削減すべきは二酸化炭素であって、火力発電ではありません。発電会社の使命は暮らしとものづくりを支える電気を安全、安価に安定してお届けし、地域の発展に貢献すること。総合的に考えると、ゼロエミッション火力の活用は日本やアジアの新興国にとってベストな選択肢になると思います」
問題はアンモニアの量だ。肥料の原料などで日本は年間100万トンを消費しているが、アンモニア火力を推進すると到底足りなくなる。JERAは十分な量のアンモニアを調達するため、マレーシアの国営石油会社ペトロナス、アンモニア製造の世界的大手、ノルウェーのヤラ・インターナショナルとの協業に向けた検討を進めている。「私たちのLNGの取扱量は世界最大規模で、その開発から調達、輸送、受け入れ、発電まで、すべて手がけています。そのノウハウをアンモニアにも生かせる。国内外のさまざまな業種の企業を仲間に加え、太いサプライチェーンを一刻も早くつくりたい。そうすれば、十分な量のアンモニアを調達でき、価格の低下も実現できます」
前述のように、JERAは再生可能エネルギー発電にも取り組む。具体的には大規模洋上風力だ。英国の1海域のほか、台湾の3海域で稼働する発電事業に参画している。
「最も注力しているのが台湾です。英国と違って台風がきますし、地震も起こるなど、条件が日本に似ている。そこで培ったノウハウが日本で活用できるはずです」
2021年12月、秋田県の2海域、千葉県の1海域、計3海域を対象とした政府公募による大規模洋上風力発電プロジェクトの入札結果が発表された。JERAもJ-POWERなどと組み、秋田2海域の入札に参加したが、三菱商事が主導する企業連合が3案件を総取りする結果となった。
「相当の自信をもって臨んだものの、われわれの想定外の入札価格を三菱商事が提示してきた。当社の最大の強みは70年にわたり積み上げてきた火力発電所の運転と保守に関するノウハウです。それを生かすべく、次の案件に挑みます」
全社員に手紙を送り、思いを伝える
JERAは東電と中電の燃料および火力発電事業が統合され、誕生した。同じ電力会社でも組織が違えば文化は異なる。うまくスクラムが組めるのだろうか。
「出身は違いますが、東電組も中電組もエネルギーの安定供給を支えるという思いは同じです。火力発電でいえば、より優れた発電の方法を目指すという軸をしっかり立てました。結果、互いのやり方や考え方をリスペクトし、いいとこ取りをする文化が確実に醸成されてきています」
2020年9月、小野田は全社員とその家族に対し、手紙を送った。東電と中電、それぞれからの出向者が、翌年4月にJERAへ転籍するか決断しなければならなかった。「転籍の決断は誰でも悩みます。JERAの将来性を強調し、社員と家族が幸せになれる会社を目指したい、という私の思いを綴りました」
手紙には空白のメッセージカードも同封した。社員や家族からの声が聞きたかったからだ。約400通の返信があった。「仕事の悩みを書いたものから、東洋と西洋を包含したエネルギー企業にしたいという決意を述べたものまで、中身は多様でしたが、総じて肯定的でした。なかでも、ゼロエミッション宣言を評価してくれる社員が非常に多かった。宣言が、社員が一致団結する目標にもなったということです。うれしいことに約9割の社員が転籍を決断してくれました」
小野田は中電出身で、火力のエンジニアとしてキャリアを積んできた。顧客が電力会社を選択できる「電力の自由化」が始まった2000年、小野田が中心となってLNGを販売する子会社を立ち上げた。業界初の試みで、成功間違いなしと自信満々だったが、さっぱり売れない。石油やプロパンガスのほうが価格が安く、取り扱いも簡単で、顧客にとってのメリットが薄かったのだ。「あの手この手で、最初の長期契約のお客さまを獲得するまでに3年かかりました。たった7名の会社でしたが、くす玉を買ってきて祝賀会を開いたら、皆、うれし泣きでした。ここからお客さま基点で物事を考えることの大切さを学びました」
それは小野田が考える「経営の本質」にもつながる。先に紹介した「暮らしとものづくりを支える電気を安全、安価に安定してお届けし、地域の発展に貢献する」という言葉が頭に刻まれ、口ぐせのようになっているという。「設備をつくり稼働させますから、できた電気をどうぞ使ってください、というやり方はしません。地元の人を雇い、育成し、設備を運用してもらう。その結果、雇用が生まれ、産業が勃興し、地域や国が発展していく。経営の本質は社会貢献であるべきです。あわせて、社員と家族を幸せにする。それが私の目指す経営です」
ゼロエミッション火力こそ、カーボンニュートラルを目指しながら電気を安全、安価に安定して供給する取り組みにほかならない。名は体を表す。一度聞いたら忘れない、電力会社らしからぬ斬新な社名のJERAが日本、いや世界に貢献するイノベーションに挑戦している。(文中敬称略)
Text = 荻野進介
Nonaka's view
脱炭素という“山頂”に独自ルートで登攀する
JERAが推進しているアンモニア火力は従来の発電所の設備が使える。石炭との混焼割合を徐々に高め、約30年の歳月をかけ、アンモニア専焼を実現する。既存の技術を深掘りし、海外も視野に入れた新たな展開を図る。一足跳びではなく、「いま・ここ」の地点から、過去と未来をつなげ大きく飛躍する日本型イノベーションの見本のようなやり方だ。
このアンモニア火力を知り、私は電気とガソリンを併用するハイブリッド車を連想した。脱炭素の流れに対し、欧米の自動車会社は政府を巻き込み、EV(電気自動車)シフトを急ぐ。それに対し、日本のトヨタは1997年に完成させたハイブリッド・システムにこだわった。世界中で売れ、エコカーの代名詞となったのがプリウスである。
ところが、そのトヨタの戦略に暗雲が垂れ込めている。欧米各国が近い将来、ガソリン車とともにハイブリッド車の規制に乗り出すことが確実となり、トヨタは戦略を転換させ、急速にEV開発に力を入れ始めた。アンモニア火力はこのハイブリッド車の二の舞いになるのではないかと思ったのだが、杞憂だろう。
まず、ハイブリッド車は商品として各国に入っていかなければならないが、アンモニア火力の当面の舞台は国内だからである。2050年までの日本のカーボンニュートラル化に間に合わせるためのものだからだ。
もう1つは、アンモニアの世界的サプライチェーンをいち早く構築するという戦略をJERAがしたたかに実行しているからだ。完成すれば、アンモニア火力のアジア各国での展開も容易になる。同志が増えるのだ。
しかも、そのサプライチェーンの構築にあたっては既存のLNG事業で培った知識やノウハウが役立つ。
JERAは東京電力と中部電力の共同出資で誕生し、それぞれの出向組で構成されていた。その融合はうまくいっているようだが、ゼロエミッション宣言がより強固な団結を促したというから喜ばしい。
脱炭素という“山頂”を極める道は1本ではないはずだ。石炭からアンモニアへ、LNGからアンモニアへ、JERAが当面取り組む2つのスマート・トランジションに期待したい。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。