野中郁次郎の経営の本質

吉本興業ホールディングス 代表取締役会長 大﨑 洋氏

お笑いから地方創生へ 吉本を変える夢見る力

2022年02月10日


w170_keiei_main.jpg東京は新宿、戦前に建てられた旧小学校の跡地にある吉本興業東京本部にて。大﨑氏がパーソナリティをつとめるKBS京都ラジオ「らぶゆ~きょうと」(毎週日曜日24~ 25時)では視聴者から起業アイデアを募り、実現に向けサポートするユニークなコーナーがある。
Photo =勝尾 仁

経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は歴史と伝統を兼ね備えた日本屈指のエンターテインメント企業、吉本興業を牽引する大﨑洋氏の「経営の本質」を明らかにする。

吉本興業ホールディングス 代表取締役会長 大﨑 洋氏
Osaki Hiroshi
1953 年大阪府堺市生まれ。1978 年関西大学社会学部卒業後、吉本興業入社。2009年代表取締役社長、2018年共同代表取締役CEO、2019 年より現職。2018 年内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部事務局「わくわく地方生活実現会議」委員。2019年内閣府「 基地跡地の未来に関する懇談会」委員、2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザー。著書『吉本興業の約束』(共著、文春新書)。

2022年3月21日、お笑いの総本山、吉本興業(以下、吉本)が自らのテレビ局を開設する。名付けて「BSよしもと」。お笑いの専門チャンネルかと思いきや、テーマは「地方創生」だという。

吉本がなぜ地方創生なのか。話は2010年の年末にさかのぼる。当時は社長だった現会長の大﨑洋は、後に社長となる部下の岡本昭彦とともに、都内のサウナつき銭湯にいた。大﨑は大の銭湯好き。つけられていたテレビを2人で何の気もなしに見ていると、NHKのニュースが地方の若者の就職難を報じていた。

大﨑の頭のなかで、あるアイデアが浮かんだ。「お笑いの会社ができることはたかが知れてるけど、うちの芸人に47都道府県に住んでもらい、新たに社員も雇って、セットで活動してもらうのはどうだろう」。そう岡本に告げると「いいですね」と岡本が応じた。

大﨑がそうしたアイデアを思いついたのには、いくつかの素地があった。1つは新幹線の車窓だ。大﨑は1978年に吉本に入り、2年後、新設された東京連絡所勤務となる。その後の1980年代前半に漫才ブームが起き、東京と大阪を新幹線で一日に2往復半するような日が続いた。そんなとき、車窓に目をやると、山や海、畑が見えるが、人々がどんな暮らしをそこで営んでいるか、さっぱり見当がつかない。
「テレビ番組の視聴率のわずかな上下に一喜一憂する日々が、普通の暮らしからいかに遊離しているか。実感せざるを得ませんでした」

もう1つは、吉本が旗振り役となり、2009年から沖縄で毎年開催されている沖縄国際映画祭だ。
「たまたま乗ったタクシーの運転手さんに、沖縄で、こんな大きなお祭りをしてもらってありがたいと、運転しながら泣かれたんです。都会だけに目を向けていてはいけない。吉本の社員も、地方に住む人たちのことを頭の片隅に置きながら、漫才師のマネジメントをしたり、テレビ番組をつくったり、劇場を運営したりしなければ、時代の流れに取り残されてしまうと思ったのです」

あなたの街に“住みます”プロジェクト

さらにいえば、切実なニーズもあった。吉本には約6000名の芸人が所属している。すべて個人事業主だ。そのうち、本業で食べていけるのは500名ほどで、残りは副業が必須だ。
「吉本という会社がそうですが、僕の場合は特に芸人の居場所をどう見つけ、どうつくるかを大きなテーマとしてきました。東京や大阪ではテレビに出たこともないけれど、人を楽しませる能力の高い芸人たちが地方に住んで活動し、地元に受け入れられたら、そここそが居場所になるだろうと」

サウナで2人がその会話を交わしたのが12月30日で、年明け2011年1月4日に吉本のホームページに「あなたの街に“住みます”プロジェクト」の概要がアップされた。所属芸人のなかから、地域を盛り上げたいという思いを持つ「住みます芸人」を募ったところ、約500組が集まり、オーディションで各都道府県1組ずつ、計47組が選抜された。多くが20代である。彼らと一緒に活動する住みます社員(現在の名称はエリア担当社員)の募集には約5000名が殺到。こちらも47名が採用された。大﨑の着想から約4カ月、事業は4月からスタートした。

それから11年が経過し、彼らの活躍の場は想像以上に広がっている。

たとえば愛知県犬山市では、城下町地区で、住みます芸人が車夫と観光ガイドをつとめる「お笑い人力車」が人気となり、同市の観光客増に大きく貢献している。岐阜県美濃市や島根県松江市も観光ガイドに住みます芸人を起用することに踏み切ったほか、香川県の丸亀城下でもお笑い人力車が始まった。

山梨県富士川町では、住みます芸人が妻や子供とともに一家4人で町内に移住。本人は同町の初代観光大使となり、イベントへの出演、観光や物産のPRなど、地元の顔として県内外で活躍している。

地域の物産開発に携わる芸人もいる。A級グルメの町として売り出し中の島根県邑南町(おおなんちょう)で、調理師免許を持ち、料理人経験もある住みます芸人が地元の老舗醤油店と組み、地元食材を使った「食べる醤油」を開発、人気を呼んでいる。

コンセプトは一番組一起業

こうしたユニークな地域活性化策をどうして形にすることができるのか。芸人もそうだが、パートナーとしての住みます社員がよほど優秀なのでは、と尋ねると、大﨑はこう答えた。
「世間でいわれる優秀な人材を選んだわけではありません。適材適所という言葉がありますが、うちは社員も芸人も、不適材適所です。芸人と社員がお互い切磋琢磨し、現場で悩むと、どちらも優秀になって、成果が出てくるのではないでしょうか」

スタート以来、住みます芸人らが立ち上げた地域活性化事業は約800件、観光大使などの地域の大使就任は313件、出演するテレビのレギュラー番組数は238本になる(2021年12月現在)。サウナで得た着想が瓢箪から駒のように形になったわけだ。

一方で、大﨑は発信力の強化を課題ととらえていた。自社のホームページや各種SNS、YouTubeなどは活用していたが、それでは限界があると。
そんな折、総務省がBSテレビ局の新規参入を公募していることを知り、社長の岡本と相談し手を挙げると、幸い申請が通った。2019年11月のことだ。
冒頭で記した通り、BSよしもとを貫くテーマは地方創生である。主役はもちろん住みます芸人となる。

さらに大﨑は「一番組一起業」というユニークなコンセプトを打ち出した。
「住みます芸人が地域の課題を発見し解決していく。その過程を番組にするわけですが、それだけではなく、地元の当事者、芸人本人、吉本、さらに地域のほかの人や銀行などにも出資してもらい、会社を立ち上げようと。視聴料はとりませんし、コマーシャルも入れない。事業が成功し、株式公開する会社が現れたら、上場益を製作費に回します。さらに番組ごとに動画にし、YouTubeなどに上げて、海外、特にアジアで見てもらおうと思っています」

w170_keiei_01.jpgPhoto =吉本興業提供

足し算、掛け算から累乗の世界へ

w170_keiei_02.jpgPhoto =勝尾 仁

大﨑は人気漫才コンビ、ダウンタウンの育ての親として知られる。大﨑がプロデュースした大阪の心斎橋筋2丁目劇場では、彼らを筆頭としたお笑いの新しい才能が数多く開花するとともに、従来の吉本が取り込めていなかった若い客層が大挙して押し掛けた。

大﨑はその後、漫才と並ぶ吉本の収益源である吉本新喜劇の立て直しにも成功。さらにダウンタウン出演のテレビ番組のビデオ化、その片割れ、松本人志の著書『遺書』の出版をきっかけに、「印税」という吉本にとって新たな収益源の開拓を行った。

当該ビデオは一巻あたり10万本、『遺書』に至っては250万部超の大ヒットとなり、数十億円の印税収入が吉本に入る。
「それまでのお笑いのビジネスは足し算。つまり、今日は朝日放送で20万円、明日は関西テレビで20万円というふうに積み重ねていく。権利ビジネスというのは掛け算なんですね」と、大﨑は雑誌の取材で語っている(『AERA』2018年1月1・8日合併号)。

以後、吉本はその権利ビジネスと、各種コンテンツの制作および配信へと、事業領域を拡大させた。その先頭に立つ大﨑が社長になったのは2009年のことだ。その際に掲げたテーマがデジタル、アジア、地方創生の3つで、住みます芸人とBSよしもとはまさにその3つに関わっている。しかも、BSよしもとで一番組一起業が実現し、株式公開までこぎつけられたら、掛け算どころか、利益が雪だるま式で増える累乗の世界が実現するかもしれない。

最近、29歳の友人から、ある話を聞いて大﨑はショックを受けた。車にも服にも興味がなく、スマホがあればほかは要らないという若者が増えているのは知っていたが、そのスマホに写真やメールといったデータすら入るのを嫌う若い子が増えているという。所有欲がそこまで落ちている。
「BSよしもとを、そういう若者がリアルな居場所を探すことができるチャンネルにしたい。居場所をつくるには夢が必要です。お笑いのあるところには夢や希望が生まれます。若者がリアルな世界で、自分の夢や希望を発見できるようなコンテンツを提供していきたい」

大﨑にとって経営の本質とは何か。
「いちばん大切なのは夢を見る力だと思います。構想力といってもいい。僕にとっては思いつきということでしょう。もともと吉本には確たる戦術も戦略もないんです。誰かの思いつきを受け止め、その人が何かを考えたら、口に出す前から走りだしてくれる社員がいる。それこそが吉本の最大の武器です」 

吉本の歴史は長く、創業は1912年、100年企業の1社だ。もはや単なるお笑いの会社ではない。夢を力に、次の新たな100年に挑む。(文中敬称略)

Text = 荻野進介

Nonaka's view
動きながら暗黙知を磨き漫才のように発想する

大﨑氏は動の人だ。動きながら感じ、感じながら考える。それが暗黙知となる。その暗黙知を人と共有し、共感を得てコンセプト、すなわち形式知にし、事業にまとめ上げていく。そのプロセスはわれわれのいう知識創造モデルそのものだ。
本文では紙幅の都合上触れられなかったが、「住みますプロジェクト」の素地となった経験がもう1つあったそうだ。都内を忙しく駆け回るとき、たまたま通った新宿の大ガード下で耳にした、上を走る電車のゴトゴトという音である。その音が耳から離れなかった。大﨑氏のなかでは、その音とニッポンの地方とがつながっていたのだろう。
大﨑氏は言葉の人でもある。会話していると、不適材適所、一番組一起業といった魅力的な言葉がポンポンと飛び出す。その背景には相当量の読書があるはずだ。
大﨑氏のイノベーターとしての優れた素質は、芸人のマネジャーとして、漫才という芸に長く関わってきたことでも磨かれたのではないか。
その漫才は2人の会話だけで成立する。それも同質ではなく、ボケとツッコミという異質な2人だ。甲が発した言葉に乙が突っ込み、対立をはらみながら会話が展開し、最後は弁証法のように発想が跳び、意外な結論が導き出される。
電車の音、新幹線の車窓、沖縄国際映画祭でのエピソードと、地方の若者の就職難のニュースから、「住みますプロジェクト」が生まれ、それがテレビの開局にまでつながった。発想が跳ぶ漫才そのものだ。
今回は吉本という企業の革新性にも目を開かされた。もはや芸能プロダクションという範疇で括れない。私の共著『失敗の本質』で結論づけたように、日本の組織は「過去の成功体験への過剰適応」をしがちだが、吉本はまるで違う。
度重なる成功、芸人の「闇営業問題」のような失敗、どちらも糧にしながら、人々の笑顔で日本を元気にすることに集中し、芸人とともに前へ前へと進んでいく。環境変化を敏感に察知し、戦略や戦術をダイナミックに変える。その背景に豊かな知的機動力を感じるのだ。

野中郁次郎氏

一橋大学名誉教授

Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。