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21世紀の宇宙の数学、超弦理論

2019年12月10日

w157_macro_001.jpg物理学者 大栗博司氏
Ooguri Hirosi 東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)機構長。カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授、ウォルター・バーク理論物理学研究所所長。京都大学大学院修士課程修了後、プリンストン高等研究所研究員などを経て、1989年東京大学理学博士号。シカゴ大学助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授をなどを歴任。2000年にカリフォルニア工科大学に移籍し、現在に至る。2016 年から2019年にはアスペン物理学センターの所長も務める。『重力とは何か』(幻冬舎)、『大栗先生の超弦理論入門』(講談社)など著書多数。

20世紀の物理学における最大の発見は、一般相対性理論と量子力学の理論だ。この2つのあいだには深刻な矛盾があるのだが、それを解消する、“セオリー・オブ・エブリシング”といわれている理論が「超弦理論(超ひも理論)」である。超弦理論とは何か、その第一人者である大栗博司氏に、物理学の歴史を振り返りながら語ってもらった。

― 超ひも理論という言葉を初めて聞いたときは衝撃でした。「ひもってなんだ?」と思いました。

英語でSuperstring Theoryですから、和訳するとひもでもいい。我々は超弦理論といっていますが、どっちが正解というものでもないのです。なぜstringかはおいおい説明するとして、この超弦理論は、物理学の最大の謎の1つを解いてくれると期待されているんです。それには、物理学が何を目指す学問か、というところから話を始めたいと思います。
物理学は、自然界のいちばん根源の法則を見つけ、それを使って森羅万象を説明しようという学問です。こっちの現象はこの法則で、あっちの現象は別の法則で起きている、ということではなく、どのような現象も突き詰めれば同じ法則で起こっているはずだ、と考えるのが物理学者です。1687年に、ニュートンが万有引力を発見しました。地球上でリンゴが木から落ちるのも、月が地球の周りをぐるぐる回るのも、まったく同じ重力の数式で説明できる。これが1つの基本原理から森羅万象を説明しようという、物理学の“はしり”なのです。
その後の350年で、いろいろなことがわかってきました。特に20世紀には次々に大きな発見がありました。1つは量子力学。20世紀になるまでは、原子がすべての物質の基本単位だと考えられていたのですが、量子力学によって、よりミクロな世界とより根本的な原理がわかってきたのです。原子は原子核と電子で構成され、原子核は陽子と中性子でできている。それらはさらにクォークと呼ばれる素粒子でできている。素粒子の「標準模型」といわれる理論は、17種の素粒子の存在を表しており、この17の素粒子でほとんどすべての物質を説明できると考えられています。この素粒子の理論だけでなく、半導体や電子デバイスなどの現代の科学技術の基礎になっているのが量子力学なのです。
20世紀のもう1つの大発見はアインシュタインの一般相対性理論です。これは重力の理論、つまり宇宙の動きや成り立ちを説明する理論です。宇宙のなかでいちばん効いている力である重力のことがわかれば、ビッグバンから始まって、膨張して現在のような姿になった宇宙のことを記述することができる。それが一般相対性理論の方程式です。一般相対性理論の発表の翌年には、ブラックホールや重力波の存在がこの理論から予言されました。最近になって、重力波もブラックホールもその存在が検証されています。また、アインシュタインは宇宙の膨張にも気が付いていました。
一般相対性理論はこのように、宇宙の説明に非常に成功しており、“20世紀の宇宙の数学”といわれています。私の所属しているこの研究所、カブリ数物連携宇宙研究機構は、名前に“数”が入っているとおり、“21世紀の宇宙の数学”を見つけたい、という野望を持っているんですよ。

量子力学と重力の理論のあいだの矛盾を解く

― 物理学ではすべての現象を1つの基本原理で説明したいということでしたが、量子力学と一般相対性理論は別のものなのですか。

そこです。量子力学が正しいことも、一般相対性理論が正しいことも間違いない。ただ、この2つは数学的に矛盾しているのです。この矛盾を解くことに唯一成功しているのが、超弦理論なのです。
また、この矛盾を解くという研究課題は、宇宙からの特別なプレゼントでもあります。なぜなら、量子力学と重力の理論を統合できると、これよりもミクロな根本法則はないことが理論的にわかっているからなのです。

― これまで、よりミクロな世界を追求し、それが実際に次々と発見されてきたわけですよね。なぜ、量子力学と重力の理論が統合された暁には、その先はないといえるのですか。

それは、物質の存在を観察するということと深くかかわっています。可視光線を使った光学顕微鏡では細胞レベルまで観察できますね。電子顕微鏡を使えば分子レベルのサイズのものが見えます。光も電子も波の性質を持っており、より波長の短い波を当ててやれば、よりミクロなものが見える。これが量子力学の教えるところです。波長が短いとは単位時間当たりにぶつかってくる波が多いということですから、エネルギーが大きくなります。よりミクロなものを見ようと思ったらより短い波長のものを使う、つまり、より高エネルギーの状態を作る必要があるということです。
高エネルギー状態を作るためには、原始的ですが、加速器というものを使ってびゅんびゅん振り回してやるんですね。欧州原子核研究機構(CERN)が作った大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は現在、世界最大の加速器ですが、これは全周約27キロメートル、都市1つ分ほどの電力を使う巨大装置です。このLHCによって、17番目の素粒子であるヒッグス粒子の実在が確かめられました。
では、たとえば地球サイズとか、太陽系サイズの加速器を作ればいくらでもミクロな世界を見られるかといえば、そうではないのです。LHCレベルのサイズでは重力は無視できますが、銀河系サイズの加速器になると、重力の作用が無視できなくなります。アインシュタインの特殊相対性理論によれば、エネルギーとは質量ですから、エネルギーあるところには質量があり、質量あるところには重力が働くのです。高エネルギーにすればするほど質量は大きく、重力も大きくなるのです。
重力が大きくなると、その物体から脱出するための速度、脱出速度はより速いものが要求されます。たとえば、地球の重力の影響を逃れるための脱出速度は秒速11.2キロメートル。どんどんエネルギーの高い場を作り、重力がどんどん大きくなると、ついには、宇宙でいちばん高速に動くもの、つまり、光でも脱出できなくなってしまうものになるでしょう。この、脱出速度が光速になった天体がブラックホールというわけです。光がその場から脱出できないのですから、そこでは何も見えません。
量子力学を突き詰めた場所とは巨大な重力が働く場所で、そこでは何も観測できないということになります。どんなことをしても観測できないものは「存在しない」というのが、現代物理学の基本的な考え方ですから、この時点でミクロな世界の探索は終焉を迎えるといえます。だからこそ、素粒子の理論と重力の理論を統合する理論は特別なプレゼント、究極の理論なのです。

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超弦理論が教えてくれるラジカルな保守主義

― その究極の理論、21世紀の宇宙の数学が超弦理論、ということですか。

そうであってほしい、と思いながら私たちは研究しています。超弦理論は、まだ完全には完成しておらず、一組の式で表すに至らないのですが、今わかっている部分だけでも、2つの理論の統合という目的は達しています。
超弦理論とは、つまるところ何なのか。量子力学における基本的な要素、素粒子を点であると考えている以上、重力の理論とは統合できない。そこで、基本要素は点ではなく「1次元的に広がったもの」だと仮定してみると問題が解決することがわかったのです。1次元的に広がったもの、すなわち、ひもや弦ですね。広がったものを基礎とするという構想はもともと湯川秀樹が持っていたものですが、実際に模型にしたのは南部陽一郎でした。このときは素粒子の性質の一部を説明できる模型として考えていたので、重力のことは念頭になかったといいます。
この後、米国のジョン・シュワルツとフランスのジョエル・シャークという2人が、南部の数式のなかには重力を表す計算式がもともと埋め込まれていることを発見しました。量子力学のための理論だったのですが、重力のことを組み込んだものになっていたのです。
そこから超弦理論の研究は進み、全容は解明されていないもののさまざまな側面がわかってきて、それをベースにしたさまざまな予言も生まれている、というのが現在地です。たとえば、超弦理論からさかのぼって素粒子の標準模型を構築する道筋も見えてきています。この研究所の目的の1つは、超弦理論を完成させること、そしてそれを使って宇宙のさまざまな現象を予言することなのです。

― 予言というのも物理学における1つのキーワードですね。

一般相対性理論も超弦理論も、実験ではなく、純粋に理論を突き詰めた末に生まれたものです。理論物理学のいい研究では、理論ができればそこから起こり得る現象を予言できるのです。
でも理論は、勝手に作れるものではありません。ジョン・ウィーラーという高名な物理学者がいうとおり、理論物理学者は“radical conservatism”という基本姿勢を持つべきです。現在確立している理論は正しいという仮定のもと、適用限界のぎりぎりまでその理論を使って事象を説明すべきです。ぎりぎりの状況でその理論が壊れてしまうようだったら、そこで初めて修正を試みる。そのときにはラジカルな発想が必要で、それはたとえば、“点ではなくひもなんだ”というようなことです。物理学者は毎日、「今日もイノベーションを起こしてやろう」という気持ちで研究室に向かうのではありません。既にあるものを究極まで考え尽くす。それが自然にイノベーションに結び付くのです。

Text=Works編集部Photo=平山 諭 Illustration=内田文武

After Interview

「物理学者は子供みたいなものです。自分はどこから来たんだろうとか、地球はどうやってできたんだろうという、誰もが子供のころに一度は遭遇した疑問をそのまま抱えて大人になったのですから」と大栗氏は笑う。すべてをたった1つの原理で説明したい、そして、その原理が通用しなくなる究極的な一点まで考え続け、最後の最後に思考を飛躍させる。この“radical conservative” なスタンスは、ビジネスの現場で私たちが求められているものとはかなり異なっているといえる。
あの手この手で売り上げや利益を改善すること、顧客それぞれに最適化されたアプローチで提案すること、そして、“イノベーション”を加速的に生み出すこと。ビジネスの現場では、こうしたアクションが強く要求されている。しかし、この目まぐるしさ、慌ただしさは、私たちからものごとの本質を考える力を奪ってしまっているのかもしれない。100年、3000年、100億年。たまにはそんなスパンで思考を巡らせてみるのもいい。

聞き手=石原直子(本誌編集長)

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