極限のリーダーシップ
指揮者 大植 英次氏
常にBetter than Bestを尽くす、
その姿勢が、どんな状況も
乗り越える力になる
米国、ドイツ、スペイン、日本。世界の名だたるオーケストラの音楽監督・指揮を務めてきた指揮者・大植英次氏。巨匠レナード・バーンスタインに師事し、12年間活動を共にした。作曲家の楽譜を大切にした音作り、パッションあふれる指揮は世界中のファンを魅了。指揮だけにとどまらず、「クラシック音楽を、格調は高く、敷居は低く」を信条に、誰もが気軽に楽しめるコンサート「大阪クラシック」を2006年から13年にわたって開催してきた。
指揮者とは、一流の演奏家たちを束ね、本番では観客の力をも味方につけて最高の演奏と最高の場をつくりだす仕事である。だが時に、公演直前での演奏家の急病や楽曲の変更など、想定外の事態が発生することがある。それは指揮者にとってはまさに極限の状態。もちろん、大植氏にもそんなエピソードは枚挙にいとまがない。バーンスタインの代役がその1つだ。
どんなときも"極限"ではない
それは、1990年にバーンスタインがロンドン交響楽団とともに行った日本ツアーでの出来事だった。東京公演が開幕する直前、バーンスタインが体調を崩し、急遽大植氏に指揮が任されることになったのだ。団員たちは急な指揮者変更に動揺し、観客も巨匠の指揮を期待しているという、"アウェー"の極限状態だった。そのなかで、大植氏は楽団を盛り上げ、代役を堂々と務め上げ、見事に期待に応えた。
大植氏はこの経験をこう語る。「極限なんかじゃない。Impossibleという言葉があるけど、僕はこれを"I'mpossible"だととらえています」
「ベスト以上」を貫く姿勢
なぜ、極限ではない、と言い切れるのか。その背景にあるのは、「常に"Better than Best"を尽くす」という姿勢だ。巨匠の代役という"極限"をも乗り越える、大植氏のBetter than Bestとはどのようなものか。
まず、オーケストラが演奏に集中するために、自分のできることはすべてやる。大植氏は、世界中から演奏家を招聘した際に、ビザの発給遅延で一部の演奏家の合流が遅れ、予定通りに全員が揃わないという事態を経験している。オーケストラ全体でのリハーサル時間を満足に確保できない。そんな状況下でも最高の演奏を実現するために、大植氏は曲目を変更し、それぞれの演奏家が持つ強みが引き立つように席順もすべて自ら決めた。さらに、団員たちがよりスピーディにその曲目で目指す表現を理解できるように、一人ひとりの譜面に必要な情報を手書きで書き込み、でき得る限りのサポートをしたという。
練習では、たとえ時間が限られていても、団員の力を1つに結集することが指揮者の役割である。このとき、「上に立つ人こそ、いちばん下からメンバーを見上げる態度でいるべき」と大植氏は言い切る。これがBetter than Bestの第2の姿勢だ。
一流の演奏家である団員たちを信じ、まずは「いちばんいい音を出してほしい」と話す。そして「団員には、『こう演奏しろ』と言うのではなく、イメージを分かち合うという姿勢で伝えるんです」。たとえば「この曲は秋の風景のなかで、風で落ちた葉がすうっと小川を流れていく雰囲気で」。このように大植氏に言葉をかけられると、団員たちはそれぞれの想像力を膨らませ音を奏でるのだ。「団員はみな、素晴らしい個性を持っている。ベストの上を行こうとするならば、私の表現を押し付けるよりも、一人ひとりがイマジネーションを広げ、その個性が共鳴し合うようにしたほうがいいのです」
もう1つ、指揮者にとっての大きな課題は、観客をいかに演奏に引き込むか、である。巨匠の代役のときも、失望している観客に演奏を楽しんでもらうのは至難であったに違い
ない。それでも、「指揮者には後ろに目があるから問題ない」と大植氏は笑う。観客の呼吸、動き、ささやきを繊細に感じ取り、どうすれば観客を巻き込んでいけるのか、常に考える。大植氏は、そのような"配慮の人"だ。
こんなエピソードがある。前述の大阪クラシックで、親子連れの観客がいた。その子どもが、演奏中にぐずりだしてしまった。ほかの観客の不快感を察知した大植氏は、"普段コンサートに来られない人にこそ聴いてほしい"という大阪クラシックの趣旨を、観客に語り始めたのだ。その瞬間、観客の雰囲気は一変する。その親子に前方の席を譲る人が現れるなど、その場が一体化したのだ。「観客を幸せにしたい。その経験を団員と分かち合いたい」そのために大植氏はBetter than Bestを貫く。
Text=木原昌子(ハイキックス)
プロフィール
大植 英次氏