極限のリーダーシップ
ハイパーレスキュー 渡邊 豊氏
私たちはヒーローじゃない。
仲間の命を守りながら、
救うべき命を助ける
「余震発生!全員脱出!」
地震の緊急警報とともに号令が飛ぶ。「すぐに助けに戻ってくるからね。がんばって待っててね」。不安にかられる要救助者に声をかけ、崩れたコンクリートの隙間からロープを伝って這い出てくる隊員たち。東日本を襲った大地震の余波を受け、東京で起きた大型量販店駐車場のスロープ崩落事故の現場は、断続的に起きる余震で緊張に包まれていた。巨大なスロープの下敷きになった乗用車。そこに取り残された男性の救助活動が続く。だが、不安定なスロープが余震で完全に崩落すれば、救助隊員たちの命も危ない。消防救助機動部隊、通称ハイパーレスキューの渡邊豊氏は、このとき隊長として指揮を執っていた。救助現場で作業にあたる隊員たちから少し離れた位置で全体の動きを俯瞰し、後方に陣取る上長の部隊長と連携して、現場の危険を察知した場合には隊員たちを退避させる。「余震が収まるとまた救助に入っていきます。一晩で何度出入りしたか」と渡邊氏は振り返る。
「早く出ろ!」現場に響く声
ハイパーレスキューは、1995年の阪神・淡路大震災の教訓から、高度な技術と機材を備えた部隊として1996年に創設された。より多くの人命をより早く救助することを目的としたスペシャリストたちが活動する精鋭部隊だ。
この組織では、指揮命令系統は"絶対"である。しかし、救助活動に没頭する現場の隊員は、助けたいという思いから隊長の退去命令があっても動かないこともある。また、脱出を繰り返すうちに危険への感覚も麻痺する。「隊長は、そういった状況にいちばん注意しなければいけない」という。動こうとしない隊員に「早く出ろ!」と叫ぶこともしばしばなのだ。スロープ崩落の現場では、余震と疲労との戦いが続き、救出成功は事故発生から26時間後。ぎりぎりの緊張が続く過酷な現場だった。
極限こそ、"一歩引く"
渡邊氏はこれまで福島原発事故の放水活動をはじめとして、多くの救助活動に携わってきたが、「どの災害も、想定外の連続です。現場においては想定内なんてものはない」という。
ただしどのような状況にあっても、隊の指揮官に求められるミッションは常に2つ。目の前の命を助けること、そして同時に、救助隊員たちの命を守ることである。しかし、この両立が困難な場面にもしばしば出くわす。要救助者の命を救うことが、隊員の命をあまりにも危険な状態にさらすことになりかねないのだ。そのときの意思決定と指示こそが、渡邊氏が"極限のリーダーシップ"を発揮する瞬間である。「もちろん、救える命は救いたい。でも私たちにも家族がいます。だから自分たちの命を投げ出すようなことはしない。私たちはヒーローではないのです」
命を救うことと、隊員たちの身を守ること。このミッションを両立させるために、渡邊氏らリーダーが実践するのは、"一歩引く"ことだ。
「救助に奮い立つ隊員たちは、足元の大きな穴に気づかないこともある。上の者が一歩引いて冷静に全体を見ることが大切だと考えています」と渡邊氏は話す。スロープ崩壊現場での「早く出ろ!」という命令の背景には、そんな考え方があるのだ。
極限状態で"一歩引く"のは難しい。ギリギリの状態であればあるほど、リーダー自ら手を下したくなる。また、救助現場に入ると、最前線に立つのは隊員であり、彼らがその場で適切な行動をしているかは見えない。それでも一歩引いて、作業を隊員に任せられるのはなぜか。「それは、日常の訓練によって培った部下への信頼があるため」だという。部下それぞれが、高所や狭所などさまざまなシチュエーションでどのように力を発揮できるか、訓練のなかで渡邊氏はつぶさに見て理解している。「それぞれの能力も、強みも弱みも把握しているからこそ、私は一歩引いて指揮を執ることができるのです」
実は、この日常の訓練のなかには、別の意味でも"一歩引く"リーダーシップを支える仕組みが埋め込まれている。指揮命令系統が絶対の組織であるが、最良の指示を出すためには、部下たちに的確に最前線の状況を報告してもらう必要がある。「厳しい災害現場でも、躊躇せずに、自らの意見を言えるように、訓練のなかで、若手に指揮官の役割を体験させています。先輩にも指示を出して活動することで、自分の考えをしっかり言える習慣をつくっているのです」
渡邊氏は、「現場で部下が意見を言ってくれるとうれしい」と笑う。いつ訪れるとも知れない極限状態。そこで最大の力を発揮するため、渡邊氏は今日も部下たちと訓練に励む。
Text=木原昌子(ハイキックス)
プロフィール
渡邊 豊氏