極限のリーダーシップ

消防司令 安納真樹氏

同じ現場は1つとしてない。命を守る判断・決断・行動を組織として日々磨き続ける

2022年06月10日

w172_kyokugen_main.jpgPhoto =大平晋也

2022年1月4日午前5時13分、宇都宮市消防局に携帯電話から119番の緊急通報が入った。電話の相手は無言。通報を受けた通信指令課では、呼びかけたり通知電話番号にかけなおしたり、コンタクトを試みるがまったく返事がない。火事か事故か事件か、もしくはただの電話の誤操作なのか。まったく判断できないため、通報のエリアを管轄する宇都宮市中央消防署に消防車と救急車の同時出動要請が出された。

24時間体制の消防署では、そのときに出動する隊員のなかでいちばん上の階級の隊員が現場の指揮をとる。安納真樹氏は同署の消防司令。署内待機隊員のリーダーとして、消防隊員4名、救急隊員3名とともにすぐに現場に向かった。

まず電話番号から特定した自宅に向かう。玄関には鍵。チャイムを鳴らしても誰も出ないが、家の照明とテレビはついている。誰も出ないのはおかしい。一人暮らしの高齢者か……。「このような場合、通報者が家のなかで倒れている可能性があります。すぐに開いている戸や窓を確認して家のなかを捜索するよう指示を出しました」

電話から何かが聞こえる

開いている窓を発見し、8人で家に入り内部を捜索。1階、2階の押し入れやトイレ、風呂場などあらゆる場所を手分けして探すが誰もいない。部屋のこたつはスイッチが切られていたが、まだほんのり暖かさが残っていた。家の近くにいるはず。隊員が通報のあった電話番号にかけてみると、電話に出るがやはり無言だった。「表札から名前はわかっていたので、〇〇さん、消防です。何か言ってくださいと話しかけましたが、まったく応答がない。そのとき、隊員が、電話の向こうから何かが聞こえると言ったのです。水みたいな音だ、と」

安納氏もその携帯電話を受け取り、受話口の向こうの音に耳をそばだてた。冬の明け方の静まり返った時間。携帯電話の向こうから、かすかにサー、サー、パチャパチャという音が聞こえてきた。ほかの隊員にも携帯電話を回し、「これは水の音だね」と確認した。水の音がするところといえば、川、用水路、井戸が考えられるが、周辺は住宅地で用水路は少なく、井戸はここまで水の音はしない。

相手の携帯電話のGPSで半径400メートル以内にいると判明。消防車のナビゲーションを見ると、家から東側50メートル離れたところに小さな川があった。まだ夜明け前の暗いなか、すぐ全員に川を捜索するよう指示を変更。そして、もう一度、通報者に電話をかけた。すると隊員の1人が「携帯の着信音が聞こえる」。音のする方向に約3メートルの川岸を下った。「発見! 脈、呼吸あり。生きてる!」

現場をのぞき込むと、土手の下で高齢男性が川のなかに倒れていた。川の深さは20センチと浅かったが左半身が川の水に浸り、頭にはけがを負っていた。そして水に浸かっていない右手に携帯電話。男性は土手から転げ落ちたのだろうか。気温マイナス3度の真冬の川のなかで、けがで動けず、寒さに体力を奪われて言葉を発することもできず、動く右手だけで119番に助けを求めていたのだ。

男性は体温30.5度の低体温症状だったが一命をとりとめた。「あの水の音が聞こえなければ、家の周りを探し続けていたと思います。救急はスピードが大切。受話口の向こうの音からすぐに川を捜索でき、あの状況では冷静な判断ができたと思います。結果、通報から20分後に発見でき、命を救うことができました」

w172_kyokugen_01.jpgPhoto=宇都宮市中央消防署提供

反省会で判断力を磨き上げる

消防現場34年の安納氏。これまでの消火・救助活動において「1つとして同じ現場はない」と語る。救助の対象の性別、年齢、人数、建物や道路の状況、時間によって、すべての現場が異なる。また、24時間交代制で勤務に当たるため、出動時のメンバーも毎回同じとは限らない。「その場に応じた判断と決断と行動が大事です。どのような現場においても決してあきらめず、些細な情報を基に状況を的確に判断し、決断し、迅速に行動する。判断と決断は私の仕事で、行動は隊員相互の連携から生まれます」

緊迫した現場では、時に状況から導いた判断であっても決断に迷うこともある。そのとき、安納氏は必ず周りに意見を聞き、そのうえで決断を下す。また、消火、救助活動が終わったあと、署内で必ず反省会を行うという。

「今回の決断はよかったのか。もっといい方法があったのではないか。必ず状況を分析し、みんなで情報を共有していきます」
川の音から男性を発見した今回の一件も、チームとしての経験と反省を積み重ねてきたことが実を結んだ。「通報は、その人にとって『命の瀬戸際』。どんなときにも最善を尽くすことが我々の使命です」

Text=木原昌子(ハイキックス)

安納真樹氏

Annou Masaki 大学卒業後、1988年に宇都宮市消防局入局。以来34年にわたり消防、救急、救助などほぼすべての仕事を経験。現在、宇都宮市西消防署 宝木分署長。